名城の旅

北陸

運命の一日 魚津城の戦い

魚津城の戦いの運命の一日って意外と知られていないと思う。それは、天正10年(1582年)6月3日落城を悟った上杉方の守将13人が自刃して果て、魚津城は落城し織田軍の勝利となった。ところが、その前日の6月2日には京都の本能寺で織田信長が重臣・...
北陸

松倉城の支城 天神山城

富山県魚津市天神山(別名・松尾山、標高163m)にあった日本の城(山城)。別名・萩城。天神山の山頂部からは弥生式土器が出土しているため、2世紀末の倭国大乱に関係する弥生時代の山城跡と考えられている。魚津へ向かう途中、有磯海サービスエリア(あ...
北陸

加賀藩三代目藩主前田利常の隠居城 小松城

本丸には天守台が築かれ、天守の代用として御三階櫓が築かれた。広大な水堀に浮かぶ姿から浮き城の別名を持つ、難攻不落の実戦を想定した要塞であった。現在、城域はそれぞれ隣接する小松市役所、芦城公園、石川県立小松高等学校として開発され、遺構の保存状...
北陸

天守の高さ日本一を誇る勝山城博物館

勝山城は明治維新後解体され今は跡形もない。博物館は、地元出身の実業家、相互タクシーの創業者である多田清の手により建築され、1992年(平成4年)7月19日に開館した。信号の少ない大野経由で勝山に入る。めったに見れない越美北線の列車。沿線では...
北陸

天下取りへの転換点 金ヶ崎城

南北朝、戦国期を通じ常に天下取りへの転換点となった金ヶ崎城址への訪問記。金ヶ崎城跡のふもとには、足利氏と新田義貞の戦いで城の陥落とともに捕縛された恒良親王と、新田義顕とともに自害した尊良親王を祀った金崎宮(かねがさきぐう)がある。城の縄張り...
兵庫県

童謡の里龍野

春の盛り、日本のうた“赤とんぼ”の作詞者である詩人三木露風の生誕地龍野を訪れた。前回訪問時の記事「播磨の小京都 龍野城」、龍野城の訪問記です。姫新線の列車から降り立つと、ホームの柵越しに「赤とんぼ」の像が出迎えてくれます。市域のほぼ中央を流...
北陸

福井さくら巡り~越前大野城

1575年(天正3年)、織田信長より越前一向一揆を平定した恩賞として越前国大野郡の内の3万石を与えられた金森長近がその翌年、最初に居城とした戌山城の近くの亀山(大野盆地の小孤峰)に城郭を築いたのが越前大野城の始まりである。福井から昨日下った...
北陸

柴田勝家の居城 北ノ庄城

城は足羽川と吉野川(のちの百間堀)が合流した位置に築かれ、堀の一部に足羽川を使用していたと推定されており、天守は7層(一説には9層)構造で、安土城に匹敵する巨城であったと伝えられている。以前の訪問記がこちらにあります、併せてお読みいただけま...
四国

中村 早朝散策

最初から予定の狂ってしまった「だるま夕陽」撮影の旅、今日の泊りは新ロイヤルホテル四万十翌朝は道の駅ビオスおおがた周辺の早朝撮影の予定だか、この天候では変更せざるを得ないだろう。翌朝、中村の街を早朝散策、なんとか雨も上がっている。中村城跡とは...
四国

阿波九城の一つ撫養城(むやじょう)

築城は、古くは小笠原氏の居城と伝えられるが、はっきりとはわかっていない。その後三好氏の配下の四宮氏が城主となったが、天正10年(1582年)、長宗我部元親が阿波国へ侵入し、撫養城を長宗我部元親の配下である真下飛騨守が守備する。天正13年(1...
京都府

歴史とドラマの城 勝竜寺城

勝竜寺城は京都盆地の西南部、小畑川と犬川の合流地点に位置し、西国街道と久我畷が交差する交通上の要衝で、京都では山崎城につぐ防衛拠点であった。延元4年/暦応2年(1339年)、京都をうかがう南朝方に対抗するため、北朝方の細川頼春が築いた城と言...
東海

兵どもが夢のあと 関ヶ原合戦地をゆく

天下分け目の関ヶ原、用意周到、細心の注意で臨んだ家康と、自分の才能を頼み、策におぼれた三成の戦いでした。家康は関ケ原合戦早朝に、赤坂から桃配山に兵を移動し、桃配山の中腹に陣を敷きました。この山は、関ケ原合戦以前の壬申の乱にて、勝者である大海...