名城の旅

兵庫県

童謡の里龍野

春の盛り、日本のうた“赤とんぼ”の作詞者である詩人三木露風の生誕地龍野を訪れた。 前回訪問時の記事「播磨の小京都 龍野城」、龍野城の訪問記です。 姫新線の列車から降り立つと、ホームの柵越しに「赤とんぼ」の像が出迎えてくれます。 市域のほぼ中...
北陸

福井さくら巡り~越前大野城

1575年(天正3年)、織田信長より越前一向一揆を平定した恩賞として越前国大野郡の内の3万石を与えられた金森長近がその翌年、最初に居城とした戌山城の近くの亀山(大野盆地の小孤峰)に城郭を築いたのが越前大野城の始まりである。 福井から昨日下っ...
北陸

柴田勝家の居城 北ノ庄城

城は足羽川と吉野川(のちの百間堀)が合流した位置に築かれ、堀の一部に足羽川を使用していたと推定されており、天守は7層(一説には9層)構造で、安土城に匹敵する巨城であったと伝えられている。 以前の訪問記がこちらにあります、併せてお読みいただけ...
北陸

桜満開の福井城

今、福井は桜満開、福井城の散策です。 早朝の福井城、登る陽を受けて桜が紅く輝く。 御廊下橋、福井城内に明治初期までかかっていた木橋を現地にほぼ忠実に復元したもの。 総ヒノキの橋は屋根のおかげで色あせることもなく、美しい姿を保っています。 本...
東海

桜咲く 郡上八幡城

郡上八幡城は満開の桜の中にあった。 前回の訪問記「司馬遼に「日本で最も美しい山城」と言わしめた 郡上八幡城」を合わせてお読みいただければ理解が深まることと思います。 駐車場から山上を見上げれば、山内一豊夫妻の銅像を通して天守閣が望めるよう、...
東海

桜の季節に苗木城を訪問する

少し盛りを過ぎたが桜の時期に苗木城を訪問した。 苗木城の詳細は前回訪問記「巨岩と石垣との壮大な組み合わせ 赤壁城こと苗木城」に詳しく記しましたのでそちらを参照いただければ幸いです。 大手口道は長さ500m、高低差150mあり「四十八曲り道」...
四国

中村 早朝散策

最初から予定の狂ってしまった「だるま夕陽」撮影の旅、今日の泊りは新ロイヤルホテル四万十翌朝は道の駅ビオスおおがた周辺の早朝撮影の予定だか、この天候では変更せざるを得ないだろう。 翌朝、中村の街を早朝散策、なんとか雨も上がっている。 中村城跡...
四国

阿波九城の一つ撫養城(むやじょう)

築城は、古くは小笠原氏の居城と伝えられるが、はっきりとはわかっていない。 その後三好氏の配下の四宮氏が城主となったが、天正10年(1582年)、長宗我部元親が阿波国へ侵入し、撫養城を長宗我部元親の配下である真下飛騨守が守備する。 天正13年...
京都府

歴史とドラマの城 勝竜寺城

勝竜寺城は京都盆地の西南部、小畑川と犬川の合流地点に位置し、西国街道と久我畷が交差する交通上の要衝で、京都では山崎城につぐ防衛拠点であった。 延元4年/暦応2年(1339年)、京都をうかがう南朝方に対抗するため、北朝方の細川頼春が築いた城と...
東海

兵どもが夢のあと 関ヶ原合戦地をゆく

天下分け目の関ヶ原、用意周到、細心の注意で臨んだ家康と、自分の才能を頼み、策におぼれた三成の戦いでした。 家康は関ケ原合戦早朝に、赤坂から桃配山に兵を移動し、桃配山の中腹に陣を敷きました。 この山は、関ケ原合戦以前の壬申の乱にて、勝者である...
東海

長篠の合戦って正確には設楽原の合戦じゃないの

正確には設楽原の合戦だが、徳川方の長篠籠城に続いて行われた戦闘だから、長篠合戦の名で呼ばれる。 徳川方が参加している戦争はすべて徳川幕府の記録本位で名がつけられている。 その意味でも権力者の歴史である。 いつの場合でも勝った側が歴史書を残す...
大阪府

現存12天守 佐幕派の城が破壊されたというのは大嘘

現存天守はいかにして生き残ったか 戦国時代には日本には3~5万もの城があった。 天守を備えた城も多かったが、現在残る天守はわずか12だけ。 現存天守の残る 国宝 松本城 なお、廃城令の際、藩主が佐幕派だったので城を破壊されたという伝説が各地...