名城の旅

九州

筑前の小京都 秋月城址

鎌倉時代に 原田種雄が秋月の庄に入り 「秋月」を名乗ったが、 江戸時代になって黒田長興が秋月5万石の領主となり秋月城を築いた。 小さな橋の上から野鳥川の清流。 かっての藩士の登城道である「杉の馬場」通りには、藩校「稽古館」や、秋月郷土館が建...
九州

細川忠興が築城の小倉城

小倉城は13世紀中ごろ、紫川河口西岸にあった丘に築かれたといわれ、近世の江戸時代前後に毛利勝信が現在見られるような縄張で総石垣造の城郭を築き、細川忠興が南蛮造の天守などを建てた。 一路西へ新門司港目指すフェリー、今、周防灘を航行中、とっくに...
九州

宗氏の居城 金石城

金石城は、文禄・慶長の役の際に築かれた清水山城の麓に位置する平城で、宗氏の居城だった。 金石屋形を、朝鮮通信使を迎えるために、近世城郭に改築したといわれ、石垣や堀切が廻らされたが、天守は築かれず1669年(寛文9年)に宗義真によって造られた...
九州

飛鳥時代に築かれた朝鮮式山城 金田城を訪ねる

金田城(かねだじょう、かねたのき)、663年の白村江の戦いに敗れた倭国は唐・新羅に対する防衛のため、西日本各地に防衛施設を築いた。 その一環として、667年に対朝鮮半島防衛の最前線として対馬国に築かれた古代山城(朝鮮式山城)。 後ろに鎌足の...
九州

豊後路の小京都へ杵築城を訪ねる

杵築城は、室町時代初期に木付氏によって八坂川の河口にある台山(だいやま)の上に築かれた。 台山は、北は高山川、東は守江湾に囲まれた天然の要害である。 駐車場脇の入り口から台上の城を目指す。 昭和45年に3層の天守閣と築地塀が復元され、国東塔...
九州

「暘谷城」と呼ばれた日出城

1602年(慶長7年)に日出藩の初代藩主木下延俊が義兄であった細川忠興の支援を受けて築城した。 別名「暘谷城」と呼ばれ、3代木下俊長が 中国の古書、『淮南子』から引用して名づけたと伝えられる。 近代要塞みたいな雰囲気の内堀を進む。 日出城の...
九州

黒田官兵衛が築いた中津城

中津城は黒田孝高(如水)が築城し、細川忠興が完成させた。 江戸時代の大半は、奥平氏が居城としていた。 三斎池(さんさいいけ) から模擬天守を望む。 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦などの功によって黒田長政は筑前52万石となり、如水(官兵衛...
北陸

前田利長の隠居城 富山城

利長は男子がなかったので、異母弟の利常(利家の四男、初名は利光)を養嗣子として迎え、越中国新川郡富山城に隠居した(隠居領は新川郡22万石)。 幼い利常を後見しつつ富山城を改修、城下町の整備に努めた。 慶長14年(1609年)、富山城が焼失し...
北陸

運命の一日 魚津城の戦い

魚津城の戦いの運命の一日って意外と知られていないと思う。 それは、天正10年(1582年)6月3日落城を悟った上杉方の守将13人が自刃して果て、魚津城は落城し織田軍の勝利となった。 ところが、その前日の6月2日には京都の本能寺で織田信長が重...
北陸

松倉城の支城 天神山城

富山県魚津市天神山(別名・松尾山、標高163m)にあった日本の城(山城)。 別名・萩城。 天神山の山頂部からは弥生式土器が出土しているため、2世紀末の倭国大乱に関係する弥生時代の山城跡と考えられている。 魚津へ向かう途中、有磯海サービスエリ...
北陸

加賀藩三代目藩主前田利常の隠居城 小松城

本丸には天守台が築かれ、天守の代用として御三階櫓が築かれた。広大な水堀に浮かぶ姿から浮き城の別名を持つ、難攻不落の実戦を想定した要塞であった。 現在、城域はそれぞれ隣接する小松市役所、芦城公園、石川県立小松高等学校として開発され、遺構の保存...
北陸

天下取りへの転換点 金ヶ崎城

南北朝、戦国期を通じ常に天下取りへの転換点となった金ヶ崎城址への訪問記。 金ヶ崎城跡のふもとには、足利氏と新田義貞の戦いで城の陥落とともに捕縛された恒良親王と、新田義顕とともに自害した尊良親王を祀った金崎宮(かねがさきぐう)がある。 城の縄...