名城の旅

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清正による国境警備の城 佐敷城

佐敷城(さしきじょう)は、肥後国の南部、現在の熊本県葦北郡芦北町にあった日本の城。加藤清正によって築城された近世の佐敷城は佐敷花岡城とも呼ばれる。 佐敷城の城下は薩摩街道と人吉街道(相良往還)が通る交通の要地であり、戦国時代中期までは相良氏...
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大規模な土塁や堀切が圧巻 都於郡城

都於郡城(とのこおりじょう)、築城は1337年(建武4年)伊東祐持による。 別名・浮船城 1335年(建武二年)、足利尊氏より都於郡三百町を賜って日向に下向した伊東本宗家の祐持による築城といわれ、一国人領主にすぎなかったころよりの本拠でもあ...
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日本最南端の天守台を持つ 佐土原城

佐土原城(さどわらじょう)は、14世紀半ばごろに伊東氏の一族田島休助によって田島城(たじまじょう)として建てられた。 江戸時代は佐土原藩島津氏の居城となった。 現在は埋められてしまっているが、鶴松館の前面部には水堀が掘られていた。 この堀に...
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三階櫓がそびえた名城 延岡城

延岡城は江戸時代に高橋元種によって築かれた平山城。 築城当初は縣城と呼ばれたが、後に延岡城へ改称されている。 もともと、縣は古代以降土持氏の支配する所であり、この城も高橋元種の築城以前に存在した土持氏の城館を改修増築した可能性も考えられてい...
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海に囲まれた天然の要害 臼杵城

丹生島は北、南、東を海に囲まれ、西は干潮時に現れる干潟の陸地でつながるのみという天然の要害をなしていた。 ちなみに丹生島の「丹生」とは「金属鉱石の産出する島」という意味である。 義鎮(宗麟)は、この島一つを城郭化して干潟を干拓して城下を形成...
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豊後佐伯城

関ヶ原の戦いにおいて、徳川方(東軍)に与したことにより毛利高政は佐伯2万石を与えられた。 しかし佐伯氏の旧居城・栂牟礼城(とがむれじょう)は険阻な山城で、平時の統治には不便であったため、高政は栂牟礼城を廃して番匠川河口近くの八幡山に新たに山...
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大宰府管轄下の兵站基地 鞠智城(くくちじょう)

鞠智城(くくちじょう)は、日本の城(古代山城)の一つ。 熊本県のサイトでは、「きくち」と振り仮名が振られている。 大宰府管轄下にあった6城の1つで、大野城・基肄城の兵站基地として有事に備えた城と考えられている。 城の面積は内城55ha、外縁...
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海上の城 富岡城

富岡城は天草下島の北西、砂州で繋がった陸繋島の富岡半島の南東部の丘陵上にある梯郭式の平山城である。 長い腕を海に突き出して、掌をかためて拳固を作ったような地形である。 拳固に当たる鳥山は、111mの標高を持ち、しかも島そのものから今一つ小さ...
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悲劇の城 原城

島原半島の南部に位置し、明応5年(1496年)、日野江城の支城として有馬貴純によって築かれた。 有明海に張り出した丘陵にあり、本の丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成されていた。 今日の天気予報は雨、しかし、まだ大丈夫のようだ。 それ...
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キリシタン大名大村氏の居城 玖島城

藤原純友を祖とする大村氏は鎌倉時代よりこの地の地頭として、大村地方を領有してきた。 新蔵波止、1686年、幕府が官米3千石を筑前から運んで預けたとき、二棟の新蔵を建て、この波止を築いた。 以後、藩船などの発着に利用した。(現地案内看板より)...
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肥前の海城 唐津城

今日から肥前、肥後、5ヶ城歴訪の旅の始まりだ。 島原の乱関連地ばかりを訪れることになる、最終に総括がいるかなと意気込むが・・・・・ 毎回、九州シリーズは夕日、朝日をお届けするのだが今回は残念だがありません。 天気予報は曇りまたは雨の予報ばか...
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大友、龍造寺拮抗の城 久留米城

室町時代後期の永正年間(1504年 - 1521年)にこの地の土豪が篠原城と称した砦程度のものを築いたのが始まりと言われる。 天文年間(1532年 - 1555年)には御井郡司の某が修築したとの記録がある。 この時代は豊後国の大友宗麟(筑後...