日本100名城

地域

秀吉地獄の兵糧攻め 因幡の名城 鳥取城

中世城郭として成立、戦国時代には織田信長の家臣であった羽柴秀吉と毛利軍との戦いの舞台(中国攻め・鳥取城の兵糧攻め)となる久松山城ともいう。江戸時代には鳥取藩池田氏の治下に入り近世城郭に整備された。現在は天守台、復元城門、石垣、堀、井戸等を残...
四国

南海の名城、高知城

高知城は大高坂山(標高44.4m)上に築かれた、梯郭式平山城山の南を流れる鏡川、北の江の口川をそれぞれ外堀として利用している。別名、鷹城(たかじょう)。本丸の建物が完全に残る唯一の城として知られている。追手門 高知城の表門石垣の上に渡櫓を載...
四国

蜂須賀氏の居城 徳島城

吉野川河口付近の中洲に築かれた山城と城山の周囲の平城からなる、連郭式の平山城吉野川河口付近の中洲に位置する標高61メートルの城山に築かれた山城と城山の周囲の平城からなる、連郭式の平山城。北を助任川、南を寺島川(現在のJR線路)に囲まれ、東に...
東海

天下人家康の究極の城 名古屋城

その絢爛豪華な造りから、徳川幕府の権力を誇示する、シンボル的な城郭としてとらえがちな名古屋城ところがその実態は、大阪の豊臣方に対して旺盛な戦闘意欲を随所に秘めていた、まさしく「戦闘指令所」といえる巨大城郭であった。能楽堂の裏手に、加藤清正像...
関東

北条五代の栄華を秘める 小田原城

豊臣秀吉21万の軍勢に包囲され、約4ヶ月の籠城虚しく落城名城の名をほしいままにしていた小田原城も天正十八年(1590)には天下統一を目前にした豊臣秀吉21万の軍勢に包囲され、約4ヶ月の籠城虚しく落城、100年に亘る北条五代の関東支配は終焉を...
東海

小田原の西の防衛を担う最重要拠点 山中城

北条氏によって築城され、小田原城の支城として位置づけられる日本100名城の一つ。箱根十城のひとつ。永禄年間(1558年 – 1570年)に北条氏康により築城。北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、城は東海道を取り込む形で造...
東海

家康公大御所時代の居城 駿府城

今川氏全盛期9代義元の時代に、徳川家康(幼名 松平竹千代)は人質として19歳までの12年間、駿府で生活しています後に戦国大名、そして天下人へと成長していく過程で臨済寺の住職太原雪斎などから種々の教えを受けており、家康の人間形成の上で非常に重...
東海

東海の名城、日本初の木造復元天守閣 掛川城

戦国時代には東海道を扼する遠江国東部の中心、拠点として掛川はしばしば争奪戦の舞台となった日本100名城の一つ。朝比奈氏によって逆川の北沿岸にある龍頭山に築かれたとされ、現在見られる城郭の構造の基本的な部分は安土桃山時代に同地に入封した山内一...
九州

悲劇はここから 朝鮮出兵の前線基地 名護屋城

名護屋城は波戸岬の丘陵(標高約90メートルほど)を中心に170,000平方メートルにわたり築かれた平山城の陣城ルイス・フロイスが「あらゆる人手を欠いた荒れ地」と評した名護屋には、全国より大名衆が集結し、「野も山も空いたところがない」と水戸の...
九州

弥生時代の大規模環濠集落跡 吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里丘陵に、およそ50ヘクタールにわたって遺構が残る、弥生時代の大規模な環濠集落跡報道がなされた当初は邪馬台国に関係する遺跡ではないかとも見方もあり、一部で九州王朝説も取り上げられた。今回の旅は名門大洋フェリー2便、「フェリーふくおか2...
和歌山県

錦秋の 和歌山城 西の丸庭園(紅葉渓庭園)

和歌山城西之丸庭園は、江戸時代初期に西の丸御殿とともに造られた日本庭園で、紅葉渓庭園とも呼ばれる藩主の隠居所であった城の北西麓という地形を活かし、鳶魚閣や二段の滝が設けられている。勝海舟寓居跡JR紀勢本線と南海電鉄和歌山市駅から、前の道をま...
関東

武士の居館跡鑁阿寺(ばんなじ)に残る足利城址

「足利氏宅跡(鑁阿寺)」として国の史跡に指定されている鑁阿寺(ばんなじ)はもともとは足利氏の館(やかた)であり、現在でも、四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されている。鑁阿寺の参道には...