日本の庭園・美術館・水族館

京都府

宇治茶発祥の地 黄檗山 萬福寺

この記事は誤って消去した記事の再掲です。 江戸初期、中国から渡来した隠元禅師が中国の黄檗山を模して創建した黄檗宗の大本山で、中国明朝様式の伽羅配置がなされています。 開祖隠元の来日は日本の仏教に新風を吹き込むと同時に、建築や仏像・書画・普茶...
京都府

雪の三千院もいいもんです

この記事は誤って消去した記事の再掲です。 先月は雪景色の京都の写真が撮りたくて何度も足を運びながら都度空振りを繰り返してきたが、今回は湖東に菜の花の撮影に行き、帰りに雪の三千院を撮影することができました。 関連記事:三千院 冬の大原を訪れる...
京都府

三千院 冬の大原を訪れる

この記事は誤って消去した記事の再掲です。 シーズン中の喧騒が嘘のように静かな大原の里を散策してみました。 京の観光は人の少ない冬季が狙い目なのです。 大原の里山にたちのぼる野焼きの煙が冬の訪れを告げ、疲れを癒す季節となります。 比叡の山々に...
九州

九州の小京都 飫肥散策

飫肥城を中心とした飫肥藩5万7000石の旧城下町で「九州の小京都」とも称されるが高速道路もなくかなり辺鄙な町だ。 途中、道の駅 おおすみ弥五郎伝説の里でトイレ休憩、大隅半島曽於郡を縦断する国道269号沿い、 岩川市街地近くに位置し、町に入る...
九州

薩摩藩主島津氏の別邸跡仙巌園(せんがんえん)

仙巌園(せんがんえん)は鹿児島県鹿児島市吉野町字磯にある薩摩藩主島津氏の別邸跡とその庭園。 別名磯庭園(いそていえん)。 1658年(万治元年)に第19代当主であった島津光久によって造園され、その後も歴代当主による改築が重ねられてきた。 1...
関東

鎌倉五山第五位 「鎌倉の語源となった」 浄妙寺

寺の裏山で、藤原鎌足が子孫のために「霊鎌」を埋めた地とされ、これが「鎌倉」の地名由来となったという伝承がある。 複数ある「鎌倉」の地名由来伝承の一つである。鎌足稲荷神社の小祠がある。 鎌倉五山の第五位の寺院として、かつては広大な寺地を有し、...
関東

鎌倉五山第二位 北条時宗開基の円覚寺

臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられる。 本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元である。 なお、寺名は「えんがくじ」と濁音で読むのが正式である。 北鎌倉駅は鎌倉五山第二位の円覚寺の門前にあり、横須賀線の線路も寺...
関東

鎌倉五山第一位 日本初の禅専門道場 建長寺

鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧蘭渓道隆で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧である。 鎌倉五山の第一位。 境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定...
地域

松江藩主菩提所 月照寺

今日から山陰の名城巡り、天気予報は雨 中国山地を越えたとたんに降り出した。 この地には洞雲寺(とううんじ)という禅寺があった。 永く荒廃していたが、松江藩初代藩主・松平直政は生母の月照院の霊牌安置所として、1664年(寛文4年)に、この寺を...
甲信越

沢海(そうみ)に越後の豪農の館を訪ねる

越後の蒲原平野(かんばらへいや)をよぎる大河・阿賀野川の西岸にある小さな集落を沢海(そうみ)という。 この地に江戸時代中期、農より身を起こし代を重ねて豪農の道を歩み、やがて巨万の富を築き、越後随一の大地主となった一族があった。 これが伊藤家...
京都府

「粟田御所」と呼ばれた青蓮院門跡

青蓮院は、三千院(梶井門跡)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院とされる。 江戸時代に御所の火災により仮御所となったことがあり、「粟田御所」と称される。 門跡寺院らしい建物や庭園は王朝文化の遺構とされ、また「旧仮御所」として国の史跡に指定され...
京都府

角倉了以別邸跡 高瀬川源流庭苑

現在のみそそぎ川は京都府立医大病院の北側で鴨川から取水し、そのまま暗渠で荒神橋を越え、京都市職員厚生会職員会館のあたりで河川敷に姿を現す。 そのまま二条橋の下を流れ、その流れの一部が高瀬川源流庭苑へ入り、高瀬川に注ぎ込んでいる。 「がんこ高...