"名城"

関東

武士の居館跡鑁阿寺(ばんなじ)に残る足利城址

鑁阿寺(ばんなじ)はもともとは足利氏の館(やかた)であり、現在でも、四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されている。 「足利氏宅跡(鑁阿寺)」として国の史跡に指定されている。 鑁阿寺の参...
関東

関東では珍しい、総石垣の戦国山城 金山城

日本100名城の一つ。 金山の頂上にある山城であり、現在は、本丸跡とされている地点に新田神社がある。 背後の斜面には石垣の一部が遺存しており、往時のようすを現在に伝える。 関東平野を一望に収めることができ、西方は一段低くなっており「日ノ池」...
関東

在原業平の子孫が築いたと言われる箕輪城

日本100名城の一つ。 箕輪城は榛名山からのびる低い尾根の末端部を巧みに利用して造られています。 標高274メートル、西は榛名白川の清流に望む約20メートルの断崖、南は椿名沼の沼地、なだらかな北東部は水堀で囲まれていました。 この城を見学す...
関東

一日で殲滅されたといわれる八王子城跡

日本100名城の一つ。 利家や景勝は松井田城、鉢形城など北条方の要衝を撃破し関東へ駒を進めたが、秀吉より「手ぬるい」と叱責され、続く八王子城攻めは攻撃・殲滅戦へ戦略を変更。 八王子城は城主北条氏照が小田原に詰めていたため、わずかの兵と領民ら...
滋賀県

天下人・信長か築いた幻の天守と城 安土城

日本の城の歴史という観点からは、安土城は六角氏の観音寺城を見本に総石垣で普請された城郭であり、ここで培われた築城技術が安土桃山時代から江戸時代初期にかけて相次いで日本国中に築城された近世城郭の範となった。 そして普請を手がけたとの由緒を持つ...
滋賀県

信長も手本にした戦国最大級の巨大山城 観音寺城

標高432.9メートル、南北に伸びる繖(きぬがさ)山の山上に築かれる。 南腹の斜面に曲輪を展開、家臣や国人領主の屋敷を配した。 総石垣で、安土城以前の中世城郭においては特異な点とされる。 天文年間には城下町・石寺も置かれ、楽市が行われていた...
九州

秋の九州爽やかウォーキング 熊本城

熊本城は日本三名城の一つとされ、「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価がある。 二の丸広場から本丸を望む。 長塀越しに高層建造物がと...
甲信越

家康に煮え湯を飲ませた 真田の城 上田城

信濃の戦国大名、真田昌幸の本拠。 昌幸は大坂の陣で活躍した雪村の父。 千曲川の分流である尼ヶ淵に面していたので、築城当初は「尼ヶ淵城」と呼ばれることもあった。 真田昌幸が二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦が行われたことで有名。 折か...
甲信越

川中島合戦の前線基地 松代城

松代城は元々は海津城(かいづじょう)と呼ばれていたが貝津城とも言われた。 また茅津城(かやつじょう)とも言われ茅の生い茂った地であったと伝える説もある。 形式は輪郭式平城。 国の史跡に指定されている。 本日の朝のプラスワンの旅は中止です。 ...
東海

木曽川の畔にたたずむ後堅固の城 犬山城

木曽川を背に建つ、国宝犬山城は兵法に言う「後堅固(うしろけんご)の城」です。 標高80mの平山城だが、旧城下町からの眺めは もっと高く、崇高に見えます。 その後方は断崖と川。 兵法に言う、「後堅固の城」なのです。 そして日本100名城の一つ...
東海

信長天下統一への夢の始まり 小牧山城

永禄3年(1560)、桶狭間で今川義元を討った信長は、三河の松平元康(後の徳川家康)と同盟を結び、美濃の斉藤道三を次の攻略対象としました。 そして永禄6年(1563)、信長は頂上から美濃方面を一望でる小牧山に城を築き、清州から居城を映しまし...
四国

河野水軍伊予統治の拠点 湯築城

湯築城は湯の街道後のど真ん中にあるがあまり知られていないのでは、しかも100名城の一つなんです。 しかし、踊念仏で有名な一遍上人が河野一族の出とは迂闊にも知らなかった。 湯築城は、建武年間頃に伊予の守護・河野通盛が築いたといわれている。 元...