"名城"

甲信越

中山道の治め 甲府城

甲府城は武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城された。関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたといわれ、徳川体制になってからは西側への備えとしての重要性を保ち続けたといわれています。かつては20haほどの広大な城郭でした。現...
甲信越

信玄出生地 積翠寺

積翠寺は甲府市街地を形成する相川扇状地の頂部、甲府駅の北約4キロの標高約540〜700メートル、国の史跡に指定されている要害山城の麓に位置している積翠寺近在の要害山城は、『高白斎記』に記される武田信玄生誕の地でもあり、現在も同寺院には信玄の...
甲信越

三代にわたる甲斐源氏武田氏の本拠躑躅ヶ崎館

躑躅ヶ崎館は戦国時代に築かれた甲斐源氏武田氏の本拠地で、居館と家臣団屋敷地や城下町が一体となっている。信虎、晴信(信玄)、勝頼3代の60年余りにわたって府中として機能し、後に広域城下町としての甲府や、近代以降の甲府市の原型となる。勝頼は領国...
甲信越

わずか60日あまりで捨てられた新府城

新府城は勝頼が築城し、甲斐武田氏の城郭技術の集大成と評価される崖端城。一般には、武田氏は次々に領土を減らしていく一方になり、信玄の「人は城」という伝説(『甲陽軍鑑』『名将名言録』)を理念にできるほどの余力はなかったとされる。しかし、新府城は...
滋賀県

3代将軍家光上洛の際の宿館 水口城(水口御茶屋)

関ヶ原の戦い後、徳川氏の直轄地となった水口は、東海道の宿場町に指定された。その後、3代将軍徳川家光が寛永11年(1634年)、京都への上洛の際の宿館として、道中の水口に築かせた。これが水口城(水口御茶屋)である。作事奉行は小堀政一(遠州)が...
滋賀県

悲運の関白 秀次の居城 近江八幡山城跡

豊臣秀次は18歳で入城したが、1590年(天正18年)に尾張国清洲城へ移封。代わって京極高次が2万8千石で入城したが、1595年(文禄4年)秀次事件で羽柴秀次は切腹、聚楽第と同時期に八幡山城が廃城となると京極高次は大津城へ移った。築城から1...
京都府

3度に渡って築城された伏見城

伏見城は3度に渡って築城され、最初の城は朝鮮出兵(文禄の役)開始後の1592年(文禄元年)8月に豊臣秀吉が隠居後の住まいとするため伏見指月(現在の京都市伏見区桃山町泰長老あたり)に建設を始めた。このとき築かれたものを指月伏見城、後に近隣の木...
大阪府

長居植物園 蓮の花が見頃です

『長居植物園』で咲く色とりどりの睡蓮と蓮長居植物園ではハスの花が見頃で、開花に合わせて早朝開園されています。7時30分に植物園につくと既に40名ばかり人が開園を待っていました。枯れてしまった蓮(ハス)も少しだけ復活して、数本ですが咲いていま...
大阪府

生国魂神社で「生国魂祭」 70年ぶりの渡御列

生国魂祭、大阪城までを巡行する神事「渡御行列」が今夏、約70年ぶりに本格的に復活。「陸の生國魂、川の天神」。生國魂神社の夏祭りは、大阪天満宮の天神祭と並び称された。特に、豊臣秀吉から与えられたと伝わる「枕太鼓」を先頭に、獅子舞などが練り歩く...
大阪府

現代に見生きる太子信仰 愛染さんから四天王寺へ

真光院(しんこういん)は寺伝によれば、推古天皇2年(594年)聖徳太子の草創で、用明天皇追孝の念仏法会を修した折に、天竺祇園精舎の西北角に当たる無常院に模して、四天王寺の無常院菩提所と定めた。本尊を引導仏と称した。 当院に聖徳太子が六万体の...

ブログの見かた

≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!ブログ「晴れてもふってもきままな旅人」の「見かた」のご説明です。ブログ記事が生活充実の一助となれば幸いです。記事の検索窓があります。過去の記事の検索ができます。地名などを...
兵庫県

但馬の小京都 出石散策

城下町として整備された町割が碁盤の目状であることなどから、但馬の小京都と呼ばれ、豊岡市出石伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。大手前通り。辰鼓櫓櫓本体は1871年(明治4年)完成。辰の刻(7時か...