"名城"

大阪府

岸和田城再訪

一段と秋らしくなったこの日、岸和田城を再訪した。 詳細は前回の訪問記猪伏山 千亀利城と呼ばれた岸和田城を参照いただきたい。 関連記事:城下町岸和田を散策 廻遊式日本庭園 五風荘(ごふうそう)散策 スタート地のJR難波駅に向かいます。 家で飼...
滋賀県

秀吉が初めて築いた長浜城

長浜城も昨年の6月以来の再訪だ。 関連記事:琵琶湖にたたずむ湖城 長浜城 私費で建設した明治天皇行在所 慶雲館 長浜は、羽柴(豊臣)秀吉が江北12万石の領主として、天正2年(1574)から翌年にかけて、はじめて自らの城を築き城下町を形成した...
滋賀県

初秋に佐和山城を訪れる

初秋のこの日、昨年6月に引き続き佐和山城を再訪した。 前回の記事:三成の夢の跡 佐和山城址 佐和山城跡は、西側山麓にある龍潭寺(彦根市古沢町1104)が所有しているが、好意により無料での入山が許可されており、境内に登山口がある。 山道の突き...
大阪府

四天王寺に有難い夕陽を拝む

もうすぐお彼岸です、ここ四天王寺ではお彼岸に西の海に沈む夕陽を拝して、西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)を観想する「日想観(じっそうかん)」という修行が行われることで有名ですが一足早めに夕日を拝みに来た。 関連記事:現代に見生きる太子...
京都府

細川藤孝の築城 丹後の舞鶴城(ぶがくじょう)

田辺城(たなべじょう)は京都府舞鶴市にある戦国時代から江戸時代にかけての城。 別名は舞鶴城(ぶがくじょう)。 「舞鶴」の地名は、田辺城の別称「舞鶴城」(ぶかくじょう)に由来しています。 舞鶴若狭自動車道の福知山インターを過ぎると石原(いさ)...
兵庫県

小雨降る出石城跡

6月に引き続き今年二度目の出石訪問です。 今回は小雨の中の城下町探訪です、雨にたたずむしっとりとした小京都の味わいもいい。 参考記事:山峡の城下町 出石城 但馬の小京都 出石散策 近畿最古の芝居小屋 出石 永楽館 先ず出石に来たなら訪れるの...
東海

武田氏壊滅のきっかけとなった戦いと長篠城

長篠城付近図、実際の戦場となった設楽原は図の左欄外。 長篠城はちょうど二つの川の合流点に位置しているのだが、その川の側は断崖絶壁であり堅固そのものである。 重火器が中心の現代戦ならともかく、飛び道具と言えば火縄銃や弓矢が中心だった戦国時代に...
大阪府

現存12天守 佐幕派の城が破壊されたというのは大嘘

現存天守はいかにして生き残ったか 戦国時代には日本には3~5万もの城があった。 天守を備えた城も多かったが、現在残る天守はわずか12だけ。 現存天守の残る 国宝 松本城 なお、廃城令の際、藩主が佐幕派だったので城を破壊されたという伝説が各地...
大阪府

祟りを恐れる一方で・・・・

戦国武将は神仏や神秘的な威力に頼るものが非常に多い。 上杉謙信の春日山城には毘沙門堂があります。 謙信は合戦の前には護摩を焚いて勝利を祈願したという。 毘沙門堂(復元) この毘沙門堂は昭和6年に復元されたものなので、大きさ形などが謙信がこも...
四国

阿呆がいいね! 二拍子の楽園

この記事は誤って消去した記事の再掲です。 画像は2011年8月15日訪問時のものです。 一言でいえば「熱狂」である。 鉦が鳴り、太鼓が響き、三味線が誘い、笛が歌う。 「手をあげて足を運べば阿波踊りですから」と、地元の人は笑う。 鳴り物が奏で...
甲信越

中山道の治め 甲府城

甲府城は武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城された。 関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたといわれ、徳川体制になってからは西側への備えとしての重要性を保ち続けたといわれています。 かつては20haほどの広大な城郭でした...
甲信越

わずか60日あまりで捨てられた新府城

新府城は勝頼が築城し、甲斐武田氏の城郭技術の集大成と評価される崖端城。 一般には、武田氏は次々に領土を減らしていく一方になり、信玄の「人は城」という伝説(『甲陽軍鑑』『名将名言録』)を理念にできるほどの余力はなかったとされる。 しかし、新府...