東海 長篠の合戦って正確には設楽原の合戦じゃないの 正確には設楽原の合戦だが、徳川方の長篠籠城に続いて行われた戦闘だから、長篠合戦の名で呼ばれる。徳川方が参加している戦争はすべて徳川幕府の記録本位で名がつけられている。その意味でも権力者の歴史である。いつの場合でも勝った側が歴史書を残すケース... 2014.09.03 東海
東海 武田氏壊滅のきっかけとなった戦いと長篠城 長篠城付近図、実際の戦場となった設楽原は図の左欄外。長篠城はちょうど二つの川の合流点に位置しているのだが、その川の側は断崖絶壁であり堅固そのものである。重火器が中心の現代戦ならともかく、飛び道具と言えば火縄銃や弓矢が中心だった戦国時代におい... 2014.09.02 東海
九州 渓流に癒される菊池渓谷の光芒 今日は光芒撮影の本番、ホテルを5時出発です。4時起床、見上げる空には月が、やった、晴れた!!早朝出発でホテルの食事はなし、コンビニでおにぎりとサンドイッチを調達、朝食です。昨夜のうちに管理組合と交渉、広河原への立ち入りの許可を取る。広河原の... 2014.08.31 九州
大阪府 現存12天守 佐幕派の城が破壊されたというのは大嘘 現存天守はいかにして生き残ったか戦国時代には日本には3~5万もの城があった。天守を備えた城も多かったが、現在残る天守はわずか12だけ。現存天守の残る 国宝 松本城なお、廃城令の際、藩主が佐幕派だったので城を破壊されたという伝説が各地にある。... 2014.08.23 大阪府
大阪府 祟りを恐れる一方で・・・・ 戦国武将は神仏や神秘的な威力に頼るものが非常に多い。上杉謙信の春日山城には毘沙門堂があります。謙信は合戦の前には護摩を焚いて勝利を祈願したという。謙信が戦の前にこもったと言われる毘沙門堂毘沙門堂(復元)この毘沙門堂は昭和6年に復元されたもの... 2014.08.21 大阪府
四国 阿呆がいいね! 二拍子の楽園 この記事は誤って消去した記事の再掲です。画像は2011年8月15日訪問時のものです。一言でいえば「熱狂」である。鉦が鳴り、太鼓が響き、三味線が誘い、笛が歌う。「手をあげて足を運べば阿波踊りですから」と、地元の人は笑う。鳴り物が奏でる音に合わ... 2014.08.13 四国
甲信越 中山道の治め 甲府城 甲府城は武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城された。関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたといわれ、徳川体制になってからは西側への備えとしての重要性を保ち続けたといわれています。かつては20haほどの広大な城郭でした。現... 2014.07.29 甲信越
甲信越 信玄出生地 積翠寺 積翠寺は甲府市街地を形成する相川扇状地の頂部、甲府駅の北約4キロの標高約540〜700メートル、国の史跡に指定されている要害山城の麓に位置している積翠寺近在の要害山城は、『高白斎記』に記される武田信玄生誕の地でもあり、現在も同寺院には信玄の... 2014.07.27 甲信越
甲信越 三代にわたる甲斐源氏武田氏の本拠躑躅ヶ崎館 躑躅ヶ崎館は戦国時代に築かれた甲斐源氏武田氏の本拠地で、居館と家臣団屋敷地や城下町が一体となっている。信虎、晴信(信玄)、勝頼3代の60年余りにわたって府中として機能し、後に広域城下町としての甲府や、近代以降の甲府市の原型となる。勝頼は領国... 2014.07.25 甲信越
甲信越 わずか60日あまりで捨てられた新府城 新府城は勝頼が築城し、甲斐武田氏の城郭技術の集大成と評価される崖端城。一般には、武田氏は次々に領土を減らしていく一方になり、信玄の「人は城」という伝説(『甲陽軍鑑』『名将名言録』)を理念にできるほどの余力はなかったとされる。しかし、新府城は... 2014.07.24 甲信越
滋賀県 3代将軍家光上洛の際の宿館 水口城(水口御茶屋) 関ヶ原の戦い後、徳川氏の直轄地となった水口は、東海道の宿場町に指定された。その後、3代将軍徳川家光が寛永11年(1634年)、京都への上洛の際の宿館として、道中の水口に築かせた。これが水口城(水口御茶屋)である。作事奉行は小堀政一(遠州)が... 2014.07.23 滋賀県
滋賀県 悲運の関白 秀次の居城 近江八幡山城跡 豊臣秀次は18歳で入城したが、1590年(天正18年)に尾張国清洲城へ移封。代わって京極高次が2万8千石で入城したが、1595年(文禄4年)秀次事件で羽柴秀次は切腹、聚楽第と同時期に八幡山城が廃城となると京極高次は大津城へ移った。築城から1... 2014.07.22 滋賀県