京都府

上賀茂神社で桃花祭・雛流し

時折り時雨が混じる中、上賀茂神社で桃の節句・雛祭りのこの日、上賀茂神社で桃花祭・雛流しの神事が行われた。神職を先頭に本殿へ向かう参拝者たち。土舎(つちのや)でお祓いが行われます。陰陽串をお祓いに使った後、境内を流れる『ならの小川』に捨てられ...
九州

大和朝廷が七世紀に造った国防城塞 大野城

斉明天皇6年(西暦660)、朝鮮半島では日本の友好国百済(くだら)が唐(とう)・新羅(しらぎ)連合軍によって滅ぼされました。日本は百済を救うために大軍を派遣しましたが、天智天皇2年(663)、白村江(はくすきのえ)の戦いで大敗し、日本軍は撤...
九州

鍋島父子が築いた広大な堀 佐賀城

古名は佐嘉城。別名、沈み城、亀甲城。江戸時代初頭に完成し、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城であった。佐賀城鯱の門および続櫓<重文>1836年(天保7年)に建立された。屋根の両端に青銅製の鯱が載ることから「鯱の門」と呼ばれている。明治時代初期に起...
九州

鍋島閑叟を祀る佐嘉神社(さがじんじゃ)

佐嘉神社(さがじんじゃ)は佐賀藩10代藩主鍋島直正と11代藩主鍋島直大を祀る。直正は藩政改革を行い、大隈重信・江藤新平らの人材を育成した。直大は戊辰戦争で官軍として戦い、明治2年には版籍奉還を申し出た。旧社格は別格官幣社。神門から見る拝殿。...
九州

古代の迎賓館 「鴻臚館」

「鴻臚館」とは、平安時代に築かれた外交のための迎賓館。平安京(京都)、難波(大阪)、そして筑紫(福岡)の3ヵ所に設けられた。その中で唯一遺跡が確認されているのが現福岡市中央区にある筑紫の「鴻臚館」なのだ。文献上には持統2年(688)、「筑紫...
九州

官兵衛・長政父子の築いた福岡城

黒田長政は、慶長5年(1600年)10月、筑前の領主となり、名島城に入城したが、治政上適地でないとみて、この地に福岡城を築いた。この地は、当時、福崎といっていたが、長政は祖先の領地備前(岡山県)の福岡にちなんで改名したといわれる。長大な多聞...
京都府

お茶の伝統行事「宇治茶まつり」

この記事は誤って消去した記事の再掲です。10月2日、初めてお茶を中国より日本に伝えた明庵栄西禅師と、宇治に茶園を開いた明恵上人、茶道の始祖千利休の三恩人への報恩感謝、かねては茶業功労者の遺績を追慕するとともに、宇治茶の隆盛を祈願するためのゆ...
大阪府

陽気に誘われ大阪城梅園へ

久し振りのつかの間の陽気に誘われて大阪城梅園へ出かけた。2/14、大雪の中にもかかわらず大阪の梅の開花が発表された。毎年、大阪管区気象台が指定する2本の「梅の標準木(白加賀)」が5~6輪花開いた時点をもって大阪の梅の開花が発表されています。...
京都府

小野小町ゆかりの寺 退耕庵

貞和2年(1346年)に東福寺第43世・性海霊見(しょうかいれいけん)によって創建された。応仁の乱により一時荒廃したが、慶長年間(1596年 – 1615年)に安国寺恵瓊によって再興された。その後、石田三成と宇喜多秀家らと親しくなり、関ヶ原...
大阪府

この世の名残夜も名残・・・ お初天神

「誰が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞え。取伝へ貴賤群集の回向の種。 未来成仏疑ひなき恋の。手本となりにけり。」 近松門左衛門作「曽根崎心中」より関連記事:この世の名残、夜も名残 北新地蜆川跡を辿れば  夕霧太夫の眠る上町台地散策  夕霧太...
京都府

春呼ぶ神事 燃灯祭(ねんとうさい) 上賀茂神社

燃灯祭は乙子(おとね)神事とも言われ、平安時代から伝えられている祭事は、昔、人々が春を待ちこがれて野原に出、若菜を摘み、春の到来を尊び宴遊した野辺遊びを神事化したものです。同行して見学することができます。午後二時に社務所を出発し、かつて神館...
奈良県

古代は阿騎野と呼ばれた宮廷の狩猟場 宇陀陣屋

宇陀松山城は宇陀郡を領分する有力国人宇陀三将(秋山氏、芳野氏、沢氏)の一人、秋山氏が居城として古城山に山城を築いたのに始まる。築城時期についてはわかっていないが、南北朝時代には構えられていたと思われる。また、城名は秋山氏が居城としていた頃は...