京都府

冬の洛北 大原の散策 寂光院

寂光院は山号を清香山と称する。寺号は玉泉寺。本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は聖徳太子と伝える。平清盛の娘・建礼門院が、平家滅亡後隠棲した所であり、『平家物語』ゆかりの寺として知られる。草生を見渡すことのできる寂光院の東の背後の高台に、建礼門...
京都府

宝泉院 京都大原・額縁庭園のお寺

大原のひっそりとした山に佇む宝泉院は隣の勝林院の塔中寺院で、かつては修行僧が住む場所であった。その歴史の中では、無住寺の時も長く、荒れた庭に堂々と五葉の松が立っていたそうだ。その様子を詩人 高浜虚子は「大原や 無住の寺の 五葉の松」と詠んで...
京都府

冬の三千院

三千院は天台宗の寺院で、山号は、魚山。本尊は薬師如来、開基は最澄です。現在の名称は「梶井三千院門跡」となっている。雪の三千院を訪れた時の記事です「雪の三千院もいいもんです」三千院が大原にあって、三千院と呼ばれるようになったのは、意外にも新し...
京都府

冬の洛北 大原の散策

大原を静かに散策したいなら冬に限ります。静かな民宿の露天風呂に身をひたし、人もまばらな三千院や寂光院の散策・・・・大原のバス停のそば、雪だるまがお出迎え、正月に降った雪で作ったものだと。周りの空気は冷たく、キーンとしているが、風がなく、なん...
四国

天に向かって勾配を描く雄渾さ 丸亀城

丸亀城は、播州赤穂から17万6千石の領主として讃岐に入り、高松城を築いた生駒親正が1597年(慶長2)から高松城の支城として丸亀城の築城にかかり、1602年(慶長7)に完成したが、その後一国一城令により廃城となった。石垣の窪んだ奥が廊下橋、...
四国

生駒親正が玉藻の浦に築いた名城 高松城

別名「玉藻城」は、万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因み、高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するとされている。高松城は、豊臣秀吉の四国制圧の後、1587年(天正15年)讃岐1国の領主となった生駒親正...
東海

東海北陸20名城 二俣城

天竜川と二俣川に挟まれた天嶮に恵まれた中世城郭として名高く、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げた。また、家康の嫡男信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られる。北にある信濃側から見れば山間部から遠州平野への入り口...
東海

信康山 清瀧寺

徳川家康が、織田信長に処断を迫られ自ら切腹を命じた嫡男松平信康のために建立した寺。信康は信長の娘徳姫と結婚したが、謀反の嫌疑をかけられ22歳の若さで政略の犠牲となった。境内奥に信康廟があります。清瀧寺山門。清瀧寺(浄土宗)は、京都の知恩院の...
東海

航空自衛隊 浜松広報館

航空自衛隊を日本国民により多く理解してもらうことを目的として、1999年4月にオープン。戦闘機、練習機、ヘリコプターや装備品等の展示をはじめ、航空自衛隊のパイロットが使用している、フライトスーツ及びヘルメット等の体験試着、動揺フライトシミュ...
東海

東海北陸20名城 浜松城

浜松城は野面積みの石垣で有名。歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれた。天守曲輪の石垣の特徴 邪(ひずみ)と屏風折(びょうぶおり)天守曲輪に残る石垣は、斜面上半部だけに石を積んだ「鉢巻石垣(はちまきいしがき)...
東海

東海北陸20名城 田原城

田原城は海に面した小さな丘に築かれており、海や水堀に囲まれた城郭の形状から別名を巴江城という。枡池の向こうに楼門が見える。天文16年(1547年)、戸田康光のとき、人質として今川氏の本拠地駿河国に送られる松平氏の嫡男竹千代(後の徳川家康。康...
東海

東海北陸20名城 吉田城

吉田城は戦国時代初期において三河支配の重要拠点のひとつとして、松平氏と今川氏の間で争奪戦が繰り広げられた城。江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たした。かつては酒井忠次や池田輝政が城主を務めたこともある。また、歌川広重による浮世絵木版画...