四国

咸陽島に沈むだるま夕陽は見えなかった

だるま夕陽を撮ろうと高知へ来て二日目、やっと夕日と出会えることとなったが・・・・・ 宿毛湾の冬の風物詩である「だるま夕日」は、11月中旬から2月中旬にかけての期間中わずか20回程度しか観ることができません。 し かも綺麗な「だるま」になるの...
四国

地質の博物館 竜串海岸

第3紀層砂岩を波と風がえぐってできた大竹小竹、蛙の千匹連など地質の博物館といわれる珍しい岩礁風景がある。 名の由来は不明であり、竜を串刺したような景観から名付けられた説やアイヌ語に因む説、臥竜山の竜臥(たつふし)が転訛した説、など諸説が立て...
四国

絞め殺しの木 松尾のアコウ

アコウは、絞め殺しの木の仲間として知られる。 全体として幹のように見えるものは、実は気根の集合体である。 先端が地に着くと、そこで毛細血管のように分岐して地面を掴む。 一部が板根のようにもなっている。 国天然記念物「松尾のアコウ」に会うため...
四国

四国最南端の足摺岬

北緯32度43分24秒、東経133度1分12秒。 付近にはこれより低緯度にも小島が散在し、四国本島としても、長碆(ながはえ)地区等の存在から、実際にはわずかに四国最南端ではないが、一般には四国最南端の地(岬)として認識されている。 足摺岬灯...
四国

再び 勝間沈下橋

早朝撮影が中止になり、再び勝間沈下橋。 四万十川の朝霧を狙ったのだが。 自然相手の撮影は中々思うようにいかず、川霧は見られなかった。 青空が広がりつつあり、今日いよいよ念願のだるま夕陽が撮れるかな。 平成11年に高知県が行なった全国調査では...
四国

中村 早朝散策

最初から予定の狂ってしまった「だるま夕陽」撮影の旅、今日の泊りは新ロイヤルホテル四万十翌朝は道の駅ビオスおおがた周辺の早朝撮影の予定だか、この天候では変更せざるを得ないだろう。 翌朝、中村の街を早朝散策、なんとか雨も上がっている。 中村城跡...
四国

雨中 勝間沈下橋

念願のだるま夕日の撮影に出かけた。 2回のだるま夕日と1回のだるま朝日を撮影する予定だったが、あいにく初日から雨。 急遽予定変更で暮れゆく沈下橋の撮影へ変更だ。 土佐湾に注ぐまで幾多の支流を集めることから、総称しその名があるという、四万十川...
兵庫県

平清盛の別荘・雪見御所跡

わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。 清盛が描いた夢の跡をたどってみた。 今回は平清盛の別荘・雪見御所跡の碑、湊川上温泉。 一帯は雪見御所町という美しい名前が付けられている。 仁安3年(1168年)に出家した清盛は遁世生活に入り、...
兵庫県

和田神社 清盛が大輪田泊修築事業の無事を祈る

わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。 清盛が描いた夢の跡をたどってみた。 今回は平清盛が兵庫津(神戸港)・大輪田の泊の築港に着手し経ヶ島を造るときに、工事の安全と将来の繁栄を祈願した兵庫七弁天の一つ和田神社。 元は蛭子の森と呼ばれ...
兵庫県

来迎寺(築島寺) 松王丸の悲劇を今に伝える

わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。 清盛が描いた夢の跡をたどってみた。 今回は清盛の侍童松王丸の悲劇を今に伝える 来迎寺(築島寺)。 寺の名称は「来迎寺(らいこうじ)」と濁らずに読む。 築島寺とはかつての名称で、現在は来迎寺(ら...
歴史を訪ねる旅

若一神社 清盛の別荘地跡

平清盛が都の南西に建てた別荘の跡地にあるのが、熊野三山の神・若一王子をまつった若一神社(にゃくいちじんじゃ)。 建立を機に清盛が勢力を増したことから開運出世の神様として信仰を集めている。 平安末期平清盛がここに別邸を建て「西八条殿」と称し、...
兵庫県

荒田八幡神社 安徳天皇行在所跡

わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。 清盛が描いた夢の跡をたどってみた。 今回は安徳天皇行在所があったという 荒田八幡神社。 荒田八幡神社が建っている場所は、平清盛公の邸宅があったとされる平野の南西にあり、武士勢力の勃興期である平...