京都府

一休さんが晩年を過ごした一休寺を訪ねる

一休寺はあくまで通称で、正式には酬恩庵(しゅうおんあん)といいます。創建は鎌倉時代で、その後荒廃していたお寺を一休宗純が復興した。酬恩庵という名は、宗祖である南浦紹明の「恩に酬いる(報いる)」というところから来ている。「住吉大社で森女と邂逅...
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梅雨の晴れ間に宇治の散策

つかの間の梅雨の晴れ間に宇治を散策。京阪宇治駅、ツバメの巣を見つけました、都会では見かけることも少なくなった季節の風物詩。塔の島を巡り宇治上神社を目指す。参道脇にはアジサイもきれいに咲く。側溝の蓋もモミジのデザインで宇治らしい。修理も終わり...
九州

帰りも霧の中の航海です

対馬からの帰りです、今回は行きも帰りも霧の航海。ただ今4時30分、小豆島近海を航海中、デッキからの風景は霧の中。霧を何とか表現したいと思うのだが・・・・日の出の撮影はあきらめプロムナードデッキでパソコンに夢中になっているうちに、なんと陽が上...
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福岡市立博物館

今回の旅の終わりは福岡市博物館。従来からあった福岡市立歴史資料館(現在の福岡市文学館)が手狭になったことから、アジア太平洋博覧会(よかトピア)の開催に合わせて、シーサイドももち地区に建設された博物館。福岡市総合図書館に隣接し、福岡タワーや福...
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石垣の街厳原の早朝散策

昼食までの時間厳原の街を数度にわたって散策した。とにかく石垣の多い街だ。『古事記』の建国神話には、最初に生まれた島々(「大八洲」)の1つとして「津島」と記されている。『日本書紀』の国産み神話のなかには「対馬洲」「対馬島」の表記で登場する。『...
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日本三大墓地 宗家菩提寺 万松院

万松院は対馬藩2代藩主・宗 義成(よしなり)が、父・義智の冥福を祈って1615年建立し、菩提寺として特別の崇敬を受けてきた。桃山様式の山門、百雁木、徳川歴代将軍の位牌、朝鮮国王から送られた三具足等を見ることができます。宗家墓地への入り口、こ...
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宗氏の居城 金石城

金石城は、文禄・慶長の役の際に築かれた清水山城の麓に位置する平城で、宗氏の居城だった。金石屋形を、朝鮮通信使を迎えるために、近世城郭に改築したといわれ、石垣や堀切が廻らされたが、天守は築かれず1669年(寛文9年)に宗義真によって造られた大...
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海幸山幸伝承 和多都美神社

神代の昔、海神である豊玉彦尊が当地に宮殿を造り、この和多都美神社が鎮まる地を「夫姫(おとひめ)」と名付けたという。彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)の夫婦神が祀られている。三柱鳥居 磯良恵比寿 ご神体は目...
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対馬西岸と東岸を結ぶ運河 万関瀬戸(まんぜきせと)

1900年に旧大日本帝国海軍によって、浅茅湾内の竹敷港にあった竹敷要港部から対馬東海上までの所要時間を短縮するための航路として開削された。当時は幅約25メートル、深さ約3メートルであった。対馬島の上島と下島の境であり、ここより北部を上島、南...
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飛鳥時代に築かれた朝鮮式山城 金田城を訪ねる

金田城(かねだじょう、かねたのき)、663年の白村江の戦いに敗れた倭国は唐・新羅に対する防衛のため、西日本各地に防衛施設を築いた。その一環として、667年に対朝鮮半島防衛の最前線として対馬国に築かれた古代山城(朝鮮式山城)。後ろに鎌足の姿が...
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ジェットフォイルで対馬 厳原へ

いよいよ対馬へ船出する、福岡港発10時30分、厳原まで壱岐- 芦辺港経由2時間15分の航海だ。これがジェットフォイル、米国ボーイング社によって開発された水中翼船。現在は川崎重工(神戸工場)に全面的に移管されており、川崎ジェットフォイル929...
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霧の中瀬戸内を西へ

今回は対馬への旅、天気予報は芳しくない、雨を気にしながらの旅立ちだ。南港出航時には日の入りは見られず、ただ今の時間は4時40分、新門司へ向かう名門大洋フェリー「フェリーふくおかⅡ」、伊予灘、岩国沖にさしかかっている。東の空に赤みが増し、希望...