"名城"

大阪府

キリシタン大名高山右近の高槻城

室町時代は入江氏の居城であったが織田信長に滅ぼされ、その後和田惟政、次いで高山右近が城主となった。 天正元年(1573年)からは本格的な城塞が築かれた。 豊臣氏滅亡後は内藤信正が城主となり、以降高槻藩の藩庁として用いられた。 内藤氏の後は土...
京都府

ガラシャゆかりの勝竜寺城

勝竜寺城は細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城として有名。 天正6年(1578年)8月、藤孝の嫡男忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が勝竜寺城で盛大な結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされている。 南側から見た堀と塀、向こうに見えるのは北東...
滋賀県

琵琶湖にたたずむ湖城 長浜城

1573年(天正元年)に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し長浜に改名した。 小谷城で使われていた資材や、あらかじめ、竹生島に密かに隠...
関東

北条五代の栄華を秘める 小田原城

名城の名をほしいままにしていた小田原城も天正十八年(1590)には天下統一を目前にした豊臣秀吉21万の軍勢に包囲され、約4ヶ月の籠城虚しく落城、100年に亘る北条五代の関東支配は終焉を迎えた。 銅門は、江戸時代の小田原城二の丸の表門で、明治...
東海

小田原の西の防衛を担う最重要拠点 山中城

日本100名城の一つ。 北条氏によって築城され、小田原城の支城として位置づけられる。 箱根十城のひとつ。 永禄年間(1558年 – 1570年)に北条氏康により築城。 北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、城は東海道を取り...
東海

家康公大御所時代の居城 駿府城

今川氏全盛期9代義元の時代に、徳川家康(幼名 松平竹千代)は人質として19歳までの12年間、駿府で生活しています。 後に戦国大名、そして天下人へと成長していく過程で臨済寺の住職太原雪斎などから種々の教えを受けており、家康の人間形成の上で非常...
九州

悲劇はここから 朝鮮出兵の前線基地 名護屋城

名護屋城は波戸岬の丘陵(標高約90メートルほど)を中心に170,000平方メートルにわたり築かれた平山城の陣城。 ルイス・フロイスが「あらゆる人手を欠いた荒れ地」と評した名護屋には、全国より大名衆が集結し、「野も山も空いたところがない」と水...
九州

弥生時代の大規模環濠集落跡 吉野ヶ里遺跡

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵に、およそ50ヘクタールにわたって遺構が残る、弥生時代の大規模な環濠集落跡。 報道がなされた当初は邪馬台国に関係する遺跡ではないかとも見方もあり、一部で九州王朝説も取り上げられた。 今回の...
和歌山県

錦秋の 和歌山城 西の丸庭園(紅葉渓庭園)

和歌山城西之丸庭園は、江戸時代初期に西の丸御殿とともに造られた日本庭園で、紅葉渓庭園とも呼ばれる藩主の隠居所であった。 城の北西麓という地形を活かし、鳶魚閣や二段の滝が設けられている。 勝海舟寓居跡 JR紀勢本線と南海電鉄和歌山市駅から、前...
東海

赤目四十八滝 紅葉散策

「赤目四十八滝 紅葉散策」という題にしたものの、紅葉はほぼ終わりかけていました。 1週間か10日遅かったかな、しかし、その頃は九州や広島あたりをうろうろしていたので仕方ないかな。 友達と二人で出かけたが夢中になり、6時間も居座ってしまった。...
地域

紅葉の三段峡ハイキング

本命の三段峡に来ましたが、1週間ほど前に雹が降り、雪が15センチも積るような荒れた天候となりその時にすべて紅葉が落ちてしまったとの情報に愕然とした。 だが、三段峡の見所は五つ(黒淵、猿飛、二段滝、三段滝、三ツ滝)の景観からなる「五大壮観」、...
奈良県

紅葉に彩られた 吉野山・世界遺産ハイキング

表題はいかにも紅葉真っ盛りの吉野山を連想させますが、実際は数日前に吹き荒れた大雨によって殆どの紅葉は葉を落としてしまったようだ。 おまけに天気予報は雨100%。 小雨をついてのウォーキングだった。 本日も 手に持たずにさせる折りたたみ傘 肩...