"名城"

大阪府

富田林寺内町散策2015

寺内町は1560年(永禄3年)に開発された一向宗(浄土真宗)の宗教自治都市。今でも戦国時代の町割(都市計画)を留め、江戸時代以降の町家(まちや)約40軒が時代劇セットさながらに昔の姿そのままで残されています。まず本町公園を訪れる、ここには石...
大阪府

重要文化財 千貫櫓・多聞櫓・金蔵の特別公開 「大阪城」

特別公開の最終日、前日のハイキングで疲れた足を引きづりながらやってきた。今日は快晴、南外堀の石垣の造形、緑が綺麗です。そして、城の防御システムの1つ、「横矢掛け」が見てとれます。屈折した城壁から敵を射撃・攻撃することを「横矢をかける」といい...
九州

大宰府管轄下の兵站基地 鞠智城(くくちじょう)

鞠智城(くくちじょう)は、日本の城(古代山城)の一つ。熊本県のサイトでは、「きくち」と振り仮名が振られている。大宰府管轄下にあった6城の1つで、大野城・基肄城の兵站基地として有事に備えた城と考えられている。城の面積は内城55ha、外縁地区6...
九州

海上の城 富岡城

富岡城は天草下島の北西、砂州で繋がった陸繋島の富岡半島の南東部の丘陵上にある梯郭式の平山城である。長い腕を海に突き出して、掌をかためて拳固を作ったような地形である。拳固に当たる鳥山は、111mの標高を持ち、しかも島そのものから今一つ小さな砂...
九州

悲劇の城 原城

島原半島の南部に位置し、明応5年(1496年)、日野江城の支城として有馬貴純によって築かれた。有明海に張り出した丘陵にあり、本の丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成されていた。今日の天気予報は雨、しかし、まだ大丈夫のようだ。それより蒸...
九州

キリシタン大名大村氏の居城 玖島城

藤原純友を祖とする大村氏は鎌倉時代よりこの地の地頭として、大村地方を領有してきた。新蔵波止、1686年、幕府が官米3千石を筑前から運んで預けたとき、二棟の新蔵を建て、この波止を築いた。以後、藩船などの発着に利用した。(現地案内看板より)新蔵...
九州

肥前の海城 唐津城

今日から肥前、肥後、5ヶ城歴訪の旅の始まりだ。島原の乱関連地ばかりを訪れることになる、最終に総括がいるかなと意気込むが・・・・・毎回、九州シリーズは夕日、朝日をお届けするのだが今回は残念だがありません。天気予報は曇りまたは雨の予報ばかりで空...
九州

大友、龍造寺拮抗の城 久留米城

室町時代後期の永正年間(1504年 - 1521年)にこの地の土豪が篠原城と称した砦程度のものを築いたのが始まりと言われる。天文年間(1532年 - 1555年)には御井郡司の某が修築したとの記録がある。この時代は豊後国の大友宗麟(筑後守護...
九州

筑前の小京都 秋月城址

鎌倉時代に 原田種雄が秋月の庄に入り 「秋月」を名乗ったが、 江戸時代になって黒田長興が秋月5万石の領主となり秋月城を築いた。小さな橋の上から野鳥川の清流。かっての藩士の登城道である「杉の馬場」通りには、藩校「稽古館」や、秋月郷土館が建って...
九州

細川忠興が築城の小倉城

小倉城は13世紀中ごろ、紫川河口西岸にあった丘に築かれたといわれ、近世の江戸時代前後に毛利勝信が現在見られるような縄張で総石垣造の城郭を築き、細川忠興が南蛮造の天守などを建てた。一路西へ新門司港目指すフェリー、今、周防灘を航行中、とっくに日...
九州

宗氏の居城 金石城

金石城は、文禄・慶長の役の際に築かれた清水山城の麓に位置する平城で、宗氏の居城だった。金石屋形を、朝鮮通信使を迎えるために、近世城郭に改築したといわれ、石垣や堀切が廻らされたが、天守は築かれず1669年(寛文9年)に宗義真によって造られた大...
九州

飛鳥時代に築かれた朝鮮式山城 金田城を訪ねる

金田城(かねだじょう、かねたのき)、663年の白村江の戦いに敗れた倭国は唐・新羅に対する防衛のため、西日本各地に防衛施設を築いた。その一環として、667年に対朝鮮半島防衛の最前線として対馬国に築かれた古代山城(朝鮮式山城)。後ろに鎌足の姿が...