九州

魏志倭人伝(伊都国・奴国)を訪ねる旅 伊都国

多くの学説が乱立する中にあって、魏の使者が伊都国までは確実に来ているという点は統一的な見解と言っても良い。このことは、伊都国までの道程や自然環境の正確な描写からくるもので、『倭人伝』の記述にある[其餘旁国]の名称が先の北部九州六ヶ国の名称を...
九州

宗像三女神を祀る  宗像大社

今日から魏志倭人伝(伊都国・奴国)を訪ねる旅。まず宗像大社を訪問、『宗像大社』は沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の三社の総称であるが、現在では「辺津宮」のみを指す場合も多い。筑前大島には沖津宮遥拝所(瀛津宮)もある。祈願...
北陸

勧進帳創作の舞台となった如意の渡し

かつては六渡寺渡、籠の渡などと呼ばれていた。『義経記』には、奥州に落ちのびる源義経が如意の渡しに乗船しようとしたとき、渡守の平権守に義経であることを見破られるが、弁慶の扇で義経を打ちすえるという機転で無事に乗船できたという話がある。この話を...
北陸

越中高岡に 大友家持を訪ねる 雨晴海岸

雨晴海岸は、大伴家持が訪れるたびに絶賛した場所です。波が洗う奇岩と白砂青松が続く美しい景勝地であり、とりわけ冬の晴れの日に見られる立山連峰の雄大な眺めは絶景です。この日は今にも降り出そうかという天候で立山連峰の眺望はあきらめていたが幽かに見...
北陸

越中高岡に 大友家持を訪ねる 勝興寺

勝興寺境内は天平の昔、越中国庁の所在地でした。大伴家持は、746年(天平18年)に越中守に任じられ5年間、越中国(現在の富山県・石川県能登地方を指す)に在任し、この越中国庁で政事を行った。鼓堂 - 享保18年(1733年)建立。総門をくぐっ...
北陸

越中高岡に 大友家持を訪ねる 高岡市万葉歴史館

万葉歴史館は、万葉集の代表的歌人であり編者ともされる大伴家持にちなんで作られた博物館。かつて大伴家持が政務をとった国庁跡にほど近い、眺望のきく場所に万葉歴史館があります。「万葉集」の代表的歌人であり編者ともされる大伴家持は、今から約1200...
奈良県

春日大社万葉植物園のフジ 今盛り

春日大社の社紋は「下り藤」。 藤は境内随所に古くから自生し、藤原氏ゆかりの藤ということもあり、次第に定紋化された。 御巫(みかんこ)の簪又、若宮おん祭の「日の使」の冠にも藤の造花が見られます。 とりわけ御本社の「砂ずりの藤」は、名木として知...
北陸

越中高岡に 大友家持を訪ねる 越中国一宮 気多神社

気多神社(けたじんじゃ)は、式内社(名神大社または小社)、越中国一宮。旧社格は県社。階段上の境内には、「かたかごの丘」という苔と木々に覆われた場所があり、越中国総社跡の伝承地となっている。*「かたかご」とはカタクリのこと、ユリ科カタクリ属に...
北陸

越中高岡に 大友家持を訪ねる 高岡市の最高峰 二上山

二上山(ふたがみやま、ふたがみさん)は、富山県の高岡市と氷見市に跨がる標高274mの山。高岡市の最高峰。バスの車窓からの二上山。「二上山」の名は、現在の二上山(東峰)と西隣の城山(西峰)を2柱の神に見立て、「二神山」と呼んだのが語源であると...
奈良県

再び屏風岩

2週間前の訪問時はまだ冬景色の屏風岩だったがどうしても気になり再挑戦、九州へ旅立つ当日早朝。前回の訪問記素晴らしいパノラマ眺望 曽爾村・屏風岩屏風岩(高さ868m)は兜岳の西側にあり、奇鋒がその名の示すように南面にあたかも … 続きを読む ...
北陸

富山の朝

今日の泊りは富山地鉄ホテル、いい天気になりそうだ。街がキラキラ輝いている、日の出前に出かけようと考えていたが寝坊してしまった。 ゆっくりシャワーを浴びる、朝の光が気持ちいい。もうすでに通勤ラッシュが始まっている、新旧路面電車が対面。今では路...
北陸

高岡 土蔵造りのまち

北陸新幹線が開業して身近になったと言われる北陸地方。終点金沢駅の1つ前の停車駅、高岡市には、全国的にも珍しい土蔵造りの家々が連なる町並みが残っています。木舟町の重要文化財「菅野家住宅」や、小馬出町の高岡市指定文化財「高岡市土蔵造りのまち資料...