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早朝散策 オランダ坂

今日は出発が早いため慌てて外へ飛び出した、まだ5時です。外は暗い。 オランダ坂とは、大浦海岸通電停側から石橋電停側の誠孝院(じょうこういん)前の坂までの切り通し、活水坂、英国聖公会会堂跡前の坂一帯の総称。 江戸時代から明治時代にかけては、東...
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長崎新地中華街

長崎県長崎市新地町に形成された中華街、横浜中華街、神戸南京町とともに日本三大中華街と称される。 長崎市は狭隘な谷間に線状に市街地が形成され、面的広がりを持たない。 これは、公共交通機関を運営するにあたり集客の面で有利な条件である。 また、均...
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よみがえる出島

出島(でじま)は、1634年江戸幕府の鎖国政策の一環として長崎に築造された人工島。 扇型になっており面積は3969坪(約1.5ヘクタール)。 1641年から1859年まで対オランダ貿易が行われた。 出島全体は大正11年(1922)10月12...
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キリシタン大名大村氏の居城 玖島城

藤原純友を祖とする大村氏は鎌倉時代よりこの地の地頭として、大村地方を領有してきた。 新蔵波止、1686年、幕府が官米3千石を筑前から運んで預けたとき、二棟の新蔵を建て、この波止を築いた。 以後、藩船などの発着に利用した。(現地案内看板より)...
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放虎原殉教地 悲劇は何故再び

放虎原は江戸時代大村藩の刑罰場であった所で、1624年、1630年と1658年に日本に潜伏していた宣教師らと大勢のキリシタンが処刑された。 なぜこのような悲劇が再び起きたのか、時代背景とともに見てみよう。 この殉教レリーフは、田中秀和氏の作...
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日本三大松原「虹の松原」

唐津での昼食は日本三大松原「虹の松原」にある唐津シーサイドホテルでいただきました。 唐津シーサイドホテルの予約こちらからどうぞ きれいな庭を眺めながらの食事は至福のひと時です。 窓の外にはプールが、海パンに着替えて泳ぎたい。 南国ムードいっ...
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肥前の海城 唐津城

今日から肥前、肥後、5ヶ城歴訪の旅の始まりだ。 島原の乱関連地ばかりを訪れることになる、最終に総括がいるかなと意気込むが・・・・・ 毎回、九州シリーズは夕日、朝日をお届けするのだが今回は残念だがありません。 天気予報は曇りまたは雨の予報ばか...
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大友、龍造寺拮抗の城 久留米城

室町時代後期の永正年間(1504年 - 1521年)にこの地の土豪が篠原城と称した砦程度のものを築いたのが始まりと言われる。 天文年間(1532年 - 1555年)には御井郡司の某が修築したとの記録がある。 この時代は豊後国の大友宗麟(筑後...
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筑紫君磐井の墓と考えられている岩戸山古墳

岩戸山古墳(いわとやまこふん)は、福岡県八女市にある前方後円墳。 九州地方北部では最大の古墳で、6世紀前半(古墳時代後期)に造られたと推定される。 ここは古墳の前方部、鬱蒼とした森の状態であまりの大きさと相まって墳丘全体を実感出来る観察場所...
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筑前の小京都 秋月城址

鎌倉時代に 原田種雄が秋月の庄に入り 「秋月」を名乗ったが、 江戸時代になって黒田長興が秋月5万石の領主となり秋月城を築いた。 小さな橋の上から野鳥川の清流。 かっての藩士の登城道である「杉の馬場」通りには、藩校「稽古館」や、秋月郷土館が建...
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細川忠興が築城の小倉城

小倉城は13世紀中ごろ、紫川河口西岸にあった丘に築かれたといわれ、近世の江戸時代前後に毛利勝信が現在見られるような縄張で総石垣造の城郭を築き、細川忠興が南蛮造の天守などを建てた。 一路西へ新門司港目指すフェリー、今、周防灘を航行中、とっくに...
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帰りも霧の中の航海です

対馬からの帰りです、今回は行きも帰りも霧の航海。 ただ今4時30分、小豆島近海を航海中、デッキからの風景は霧の中。 霧を何とか表現したいと思うのだが・・・・ 日の出の撮影はあきらめプロムナードデッキでパソコンに夢中になっているうちに、なんと...