九州

九州

破壊の跡も痛々しい 南関城

南関城の大きな見どころの一つは、「破壊」である。破壊されたほかの城跡には見られない、特徴的な破壊の痕跡とは、石垣を壊してその石材を一つ一つ運んで、空堀の底一面に敷き詰めて、土で覆い隠していることである。鷹ノ原城は南関町役場の北方にある標高1...
九州

豊前街道 南関御茶屋跡

南関は、古代には官道が通り、大水駅が置かれ、国境警備のための関が設けられたとされる地であり、古来、交通の要衝として発展した。関所はその後も機能し、現在の地名に通じる「みなみのせき」が定着したといわれている。道路は、近世においても豊前街道とし...
九州

九州の要 築後国一の宮 高良大社

高良山(こうらさん)は福岡県久留米市の山。高牟礼山(たかむれやま)、不濡山(ぬれせぬやま)、青山山、梶山(かじやま)、琴弾山(ことひきやま)などとも呼ばれる。古来から宗教的な山として崇められ高良大社が築かれ、また軍事的な要衝でもあったため神...
九州

加藤家、細川家の名城 八代城

秀吉が滞在した八代城は、古麓から麦島、そして松江へと、時代の趨勢とともに移り変わり、今なお、各地に歴史の光陰を残しています。本丸北辺の廊下橋、右の石垣は大天守台。古麓城(ふるふもとじょう)は、八代市古麓町の東側の山岳にあった南北朝時代から戦...
九州

清正による国境警備の城 佐敷城

佐敷城(さしきじょう)は、肥後国の南部、現在の熊本県葦北郡芦北町にあった日本の城。加藤清正によって築城された近世の佐敷城は佐敷花岡城とも呼ばれる。佐敷城の城下は薩摩街道と人吉街道(相良往還)が通る交通の要地であり、戦国時代中期までは相良氏、...
九州

今日の泊りは宮崎

やっと九州20名城に帰ってきました、後半の記事を進めます。今日の泊りはホテルマリックスこの時期の早朝散策は日の出が遅くうまく日の出のポイントを探すことが困難です。宮崎ストリート国際音楽祭のモニュメント。ポリボックスもデザインが洒落ています。...
九州

大規模な土塁や堀切が圧巻 都於郡城

都於郡城(とのこおりじょう)、築城は1337年(建武4年)伊東祐持による。別名・浮船城1335年(建武二年)、足利尊氏より都於郡三百町を賜って日向に下向した伊東本宗家の祐持による築城といわれ、一国人領主にすぎなかったころよりの本拠でもある。...
九州

日本最南端の天守台を持つ 佐土原城

佐土原城(さどわらじょう)は、14世紀半ばごろに伊東氏の一族田島休助によって田島城(たじまじょう)として建てられた。江戸時代は佐土原藩島津氏の居城となった。現在は埋められてしまっているが、鶴松館の前面部には水堀が掘られていた。この堀によって...
九州

特別史跡 西都原古墳群

西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)は、標高70メートル程度の洪積層の丘陵上に形成されている日本最大級の古墳群。3世紀前半~3世紀半ばから7世紀前半にかけてのものと推定されている。現在、高塚墳311基が現存し、その内訳は前方後円墳31基、方...
九州

三階櫓がそびえた名城 延岡城

延岡城は江戸時代に高橋元種によって築かれた平山城。築城当初は縣城と呼ばれたが、後に延岡城へ改称されている。もともと、縣は古代以降土持氏の支配する所であり、この城も高橋元種の築城以前に存在した土持氏の城館を改修増築した可能性も考えられている。...
九州

二王座歴史の道散策

この地区は、古く祇園社(現在の八坂神社)が鎮座し、その門として仁王門があったことから、二王座を呼ばれるようになったと言われています。長い間区画整理が行われていないという町並みは、起伏に富んで坂が多く、慣れないと迷子になりそうなほどです。かつ...
九州

海に囲まれた天然の要害 臼杵城

丹生島は北、南、東を海に囲まれ、西は干潮時に現れる干潟の陸地でつながるのみという天然の要害をなしていた。ちなみに丹生島の「丹生」とは「金属鉱石の産出する島」という意味である。義鎮(宗麟)は、この島一つを城郭化して干潟を干拓して城下を形成した...