北陸

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小浜散策

今回の小浜訪問の目的は「ふぐ」、泊ったのは若狭ふぐの宿 下亟、食べきれないほどの量でフグ鍋は翌日の朝食に持越し。小浜城址、小浜城を作る際に若狭の百姓にだけ多い年貢を取り立てた。これに抗議し忠勝に処刑された庄屋である松木庄左衛門を祭る神社が福...
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敦賀散策

敦賀市は、木ノ芽峠のすぐ南側で若狭湾の最も東に位置する。更に、日本海側と太平洋側が最も接近する地域(分水嶺)が敦賀湾と琵琶湖最北岸を結ぶ線である。スタートは敦賀の玄関口、敦賀駅から。シンボルロードは、敦賀駅前から氣比神宮にかけて続くアーケー...
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大谷吉継の敦賀城跡

大谷吉継は裏切りが常の戦国の世に、盟友・石田三成との堅い友情に殉じた武将、また晩年はハンセン病を患い、白い布で頭を覆って戦った武将として知られている。現在、城跡には城塁を含め、その面影を偲ばせるものはない。敦賀城伝承地は、北は結城町の赤川、...
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江戸時代の遊郭の面影 三丁町

三丁町(さんちょうまち)は小浜市の小浜香取地区にある江戸時代に栄えた遊廓で、今も古い家並みが残っている。福井県内に残る数少ない花街であり、今も芸妓を抱えている料亭もある。千本格子の家々が軒を連ね芸妓の三味線の音が流れ、情緒豊かな通りが残って...
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若狭国一宮 若狭彦神社・若狭姫神社

上社・下社の2社からなり、上社(小浜市龍前)を「若狭彦神社」、下社(小浜市遠敷)を「若狭姫神社」という。別称として郡名から「遠敷明神」とも呼ばれる。若狭彦神社2の鳥居代わりの2本の老杉。元々は上社が祭祀の中心であったが、室町時代ごろから下社...
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お水送りの寺 若狭神宮寺

若狭神宮寺は福井県小浜市にある天台宗の寺院。山号は霊応山、本尊は薬師如来坐像。東大寺二月堂への『お水送り』が行われる寺。まずお水送りの神事の行われる鵜の瀬を訪れる。名水百選(環境庁認定)に選ばれている鵜の瀬は、毎年3月2日に奈良東大寺二月堂...
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元正天皇の勅願 羽賀寺

小浜市羽賀にある高野山真言宗の寺院。山号は本浄山。本尊は十一面観音。霊亀2年(716年)に、元正天皇の勅願によって創建されたと伝えられる。「本浄山羽賀寺縁起」によれば、霊亀2年(716年)に、元正天皇の勅願によって行基が創建したとされる。か...
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小浜市阿納地区の民宿に泊まる

今日の泊りは小浜市阿納、四季の宿 ひろた。現在、小浜市阿納地区では小浜湾のリアス式海岸の特性を活かし、若狭ふぐや鯛の養殖など、獲る漁業から育てる漁業で全国に新鮮な魚を出荷しています。夕景の中、湾内の生け簀が見えています。翌朝は天気が気になり...
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「京は遠ても十八里」鯖街道

小浜ではよく「京は遠ても十八里」と言われ、その「遠ても」という言葉には「京は近い」という思いが込められています。鯖をはじめとする多くの海産物や物資を運び、文化交流の道ともなった街道を、近年「鯖街道」と呼ぶようになった。かつては賑わっていたい...
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「白百合の君」 山川登美子

登美子の実家である当館は、彼女の父である第二十五国立銀行の頭取山川禎蔵が建てた邸宅。本名・とみ。1879年(明治12年)7月19日:福井県遠敷郡竹原村(現小浜市)に生まれる。生家は小浜市の上級藩士の旧家筋。1909年(明治42年):夫の駐七...
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鯖街道の宿場町 熊川宿

若狭ではいつの頃からか小浜を中心に「京は遠ても十八里」と言われており、与謝蕪村(1716~83)が「夏山や 通ひなれたる 若狭人」(安永5年 1776年の句)と詠んでもいるように若狭と京都はきわめて深い関係にありました。道標と熊川番所、無電...
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お初さんの眠る 小浜 常高寺

常高院(お初)は「もし、将来国替えがあっても常高寺だけはこの若狭の地に、留めおいて下さい」と遺言に残している。本名は浅井 初(あざい はつ)、一般に「初」の呼び名で知られる。また、幼名は御鐺(おなべ)、於那。浅井三姉妹の一人。常高寺(じょう...