母の日は雨でした


雨は止むだろうと踏んで出かけたが予測は外れた。

「TWICE 5TH WORLD TOUR ‘READY TO BE’」

初のスタジアム公演をヤンマースタジアム長居にて開催することが決定!

多くの若い人たちが詰めかけて長蛇の列をなしていました。

空はどんよりと鉛色。

バラ園は今を盛りとバラが咲き誇る。


綺麗な花びらに雨粒がきれい。

マチルダ
何度かツアーに参加したことのある写真家、彼は無性にマチルダが好き。

マチルダは咲き始めがきれいで、だんだんと白くなっていきます。

レヨンドゥソレイユ

四季咲き性

クレマチスもきれいです。

何とか雨をしのいでいたが、だんだんと強い降りになってきたので残念ながら撮影中断。
何ともしまらない撮影になってしまった、スプ濡れになり撤退です。

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春爛漫 長居植物園


春は、寒い冬から気温が上がり始め、朝晩はまだ肌寒さがあるけれど、日中が次第に暖かくなる時期。

秋と並んで一年の中では最も気候の良い穏やかな季節とも言われる。

そして「二十四節気」の6番目の節気 「穀雨」。

「春の柔らかな雨に農作物が潤う」という意味で、2023年は4月20日(木)~5月5日(金)です。

画像はアヤメ(菖蒲、文目、綾目、学名:Iris sanguinea)、アヤメ科アヤメ属の多年草である。
病気を治す薬としても使われる。

日本にオオムギが伝来したのは縄文時代のことである。

『類聚三代格』には、弘仁11年(820年)の太政官符として「麦は(米の)絶えたるを継ぎ、乏しきを救うこと穀の尤も良きものなり」との記述がある。

サクランボ

たっぷりと水分と栄養がため込まれ、元気に育つよう、天からの贈り物でもある恵みの雨が、しっとりと降り注いでいる。

サルビア・グレッキー

文字通り赤い花をつけるサルビアの意。

シャクヤク

牡丹は、中国では「花の王」とされる高貴な花。

日本でも美しい女性を例える表現として「立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という慣用句があります。

バラ プレイボーイ

バラ 焔の波

焔のごとく紅いバラ。

バラ つるエデン・ローズ

バラ つるマリア・カラス

トゲナシハリエンジュ

シャクナゲ 紫焔

シャクナゲ 紅焔

シャクナゲ 貴婦人

松は春になると、ひゅんと伸びた新芽の先に雌花、新芽の下部に雄花をつけます。

そして雌花の大きくなったのものが、マツの球果(松かさ、松ぼっくり)になります。

小池に架かる橋、その向こうはアジサイ園、もうすぐ多くの人を惹きつけます。

最も気に入っている景色の一つです。

豊後梅

アンズとの雑種に由来するとみられ、葉・花・果実が大きい。

睡蓮は種類や品種によって開花時期が異なりますが、5~10月までの長い間花を楽しむことができますます。

フランスの画家モネの絵画から、一度は花を見かけたことがあると思います。

コウホネ(河骨、学名: Nuphar japonica)はスイレン科コウホネ属に属する水草の1種。

アサザ(浅沙、阿佐佐、Nymphoides peltata (S.G.Gmel.) Kuntze)はミツガシワ科アサザ属の多年草。

ユーラシア大陸の温帯地域に分布し、日本では本州や九州、稲美町などに生育する。

ハナミズキは離れた位置から見てもきれいです。

ハナミズキ(花水木、学名: Cornus florida)は、ミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木。

植物学における標準和名アメリカヤマボウシの別名。

北米原産で、日本へは1912年にワシントンD.C.に贈ったサクラの返礼として贈られた木として知られている。

庭木や街路樹によく使われる。

カツラは葉の香りに由来し、落葉した葉は甘い香りを発することから、香りが出ることを意味する「香出(かづ)る」が名前の由来といわれている。

別名ではトワダカツラともよばれる。

お気に入りの木の一つ。

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ネモフィラが見頃 長居植物園


先日の雨すごかったですね、でもほぼ昼までの予想だったので雨が止むのを待って出かけました。

一面のねもふぃら、よく見ると花びらが雨の雫できらきら輝いています。

長居公園では今盛りの藤とのコラボが楽しめます。

アップで撮ると紫の花びらがきれいです。

ネモフィラはムラサキ科ネモフィラ属(Nemophila)に分類される植物の総称。

または、和名をルリカラクサ(瑠璃唐草、学名:Nemophila menziesii)と呼ぶ。

ネモフィラ属は、カナダ西部からアメリカ合衆国西部、メキシコにかけてとアメリカ合衆国東南部に11種が分布している。

大阪まいしまシーサイドパーク|大阪府、山中湖花の都公園|山梨県、国営ひたち海浜公園|茨城県など今やあちらでもこちらでもネモフィラブームの感があります。

青いネモフィラの花言葉は「あなたを許す」「清々しい心」。
青色からすがすがしさを感じることが由来とされています。
なお「あなたを許す」は、ギリシャ神話の悲恋からとされています。

白いネモフィラの花言葉は「成功」。
白はまっさらでポジティブなイメージがあります。
白がもつ前向きなイメージにちなんでつけられたのかも知れません。

黒・ネモフィラの花言葉は「愛国心」「荘厳」。
いずれも由来について詳しい記載はありませんが、何物にも染まらない黒からは荘厳さや自国を思う気持ちを感じたのかも知れません。

紫のネモフィラについても記載がないので、黒と同じ花言葉として認知されています。

藤とのコラボもいいね。

同じ紫系の花同士、並べて取ると似合います。

最後に藤のアップ、フジは先端部分がまだ咲ききらない頃が見頃、先端まで咲ききってしまうと目元の豪華に見える部分が散ってしまいます。

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浅香山緑道 つつじが見頃


浅香山緑道では、例年4月下旬頃から、約2500株のつつじが見ごろを迎え、延長約600mに渡り、自由に散策しながら鑑賞できます。

2012年(平成24年)からは、浄水場敷地内の一部に常時散策可能な「浅香山緑道」が整備されたことにより、これまでの開花時期だけの期間限定開放から、常時つつじを楽しめる環境へと変わった(緑道部分)。

浅香山浄水場を訪れるのは本当に久しぶり、どうも様子がおかしいので柵をまたいで前方の階段を上がってみる。

なんと、かってあの立派なツツジの木があった場所が更地になっているではないか。

緑道が整備されていることは大和川を散策するときにいつも見ているので知っていた。

うちに帰りネット検索、何と、浅香山浄水場は閉鎖されているのだ。

検索結果

1910年(明治43年)4月通水。
近代水道としては全国18番目である。

当初は大和川から原水を取水していたが、大和川の水質の悪化に伴って1978年(昭和53年)11月に取水は中止されている。

また、かつての浄水施設も撤去が進み、事実上「浄水場」ではなく「配水場」である。

現在は、淀川から取水した大阪広域水道企業団村野浄水場から送水された浄水や堺市内の他の配水場からの送水をいったん浅香山浄水場で受水したのち、堺区内に配水している。

また、この緑道の完成により、「緑道のつつじ」とこの時期に開放される「浄水場のつつじ」を合わせて、「浅香山つつじまつり」へと名前が改められた(旧「浅香山浄水場つつじの通り抜け」)。

浄水場の樹齢70年を越えるつつじ約500本と、新しく植えられたつつじ約2000本が約600メートルにわたって楽しめる。

との説明を見つけた。

このこと知らない人がほとんどではないかなァ・・・・
通りかかりの人に聞いてみた、みな、「えっ」と絶句している、あそこの階段上がって向うを見てごらん・・・

売却の話も進んでいるようだ。

ま、それはそれで仕方のないこと、それより昔のあり立派なツツジが見たい。

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雨の日


司馬遼太郎記念館、今日は雨、桜を散らす雨です。

ネームプレートも雨に濡れて趣が違っています。

門の石積みも雨に濡れてしっとりとしています。

庭の草木もしずくがきれいです。



葉っぱの水玉を楽しむように眺めます。

バラの花芽も水に濡れて寒そう。


今日のランチは八戸ノ里駅の改札内にある「カレーの停車駅」。

「店名は、気軽に利用していただける『停車駅』になることを目指して名付けた。

味に関しては『終着駅』を目指し探究し続けたい」と。

ペースト状にしたマンゴーとココナツミルクの甘み、レッドカレーペーストや数種類のスパイスによる辛さが特徴の欧風カレー。

メニューは、プレーンカレー(650円)、ジャンボコロッケカレー、チーズカレー(以上、780円)、ゴロゴロ野菜カレー、ハンバーグカレー(以上880円)、エビフライカレー(930円)、カツカレー(980円)。

今日はカツカレーにした。

食後にはコーヒーのサービスも。

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名残の桜 住吉川


定番の散歩道、住之江大橋の上から東を見ています。
咲き誇っていた桜も葉桜を迎えようとしている。

桜の下では多くの人が花見を楽しんでいます。

今日も朝から雨でしたが雨の止み間に散歩しています。

満開が過ぎた桜に降る雨、桜には少し厳しい雨になっています。

姫松橋からUターンして帰ります。
住吉川の川面には散りザクラの花びらが浮いています。

この後も桜を楽しむ多くの人を見ましたが、ほんとに名残の桜です。

終末には葉桜になってしまうのかな。

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八戸の里公園の桜


「八戸の里公園」は、名前の通り「八重桜」の名スポットです。
入り口付近は桜のトンネル。

「八重桜」は、ソメイヨシノが終わる頃に見頃をむかえる。


とにかく花の種類が多い。


枝垂れ桜もありました。


桜に交じってハナミズキも見頃を迎えています。


花種が多いのはいいのだが名札がほとんどついてなくて花の名前がわからないのが欠点。

ただこの花だけは「松月」という名札がついていた。




少し気の早いフジが見頃を迎えていました。

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玉川堤の桜


日本六玉川の一つとして知られる「井手の玉川」は、「平成の名水百選」にも選ばれた桜の名所。

堤防両岸約1.5kmにわたり約500本の桜が植えられており、多くの花見客が訪れる。

日本六玉川

川の名。全国に6か所あり、総称して六玉川むたまがわという。

宮城県塩釜市・多賀城市を流れる、野田の玉川。
東京都を流れる、調布たつくりの玉川(多摩川)。
滋賀県草津市を流れる、野路の玉川。
京都府綴喜つづき郡を流れる、井手の玉川。
大阪府高槻市を流れる、三島(千鳥)の玉川。
和歌山県高野山奥院付近を流れる、高野こうやの玉川。

また、桜のあとは、ヤマブキが咲くことでも有名。

観光客が河原に降りて花見をしたり、弁当を食べたり楽しんでいる。

玉川の上にトンネルが被ったよう多々多々だ。

藤原俊成(ふじわらのとしなり)は、「駒 とめて なほ水かはむ山吹の 花の露そふゐでの玉川」と詠んでいる。

玉川堤では、桜の季節「さくらまつり」が行われ、ライトアップもされます。

子供たちは川に浸かってはしゃいでいました。

4月下旬から5月上旬にかけて井手町の玉川両岸の約1500mに、ヤマブキが咲き乱れる。

奈良時代に橘諸兄がこの地にヤマブキを植えたのが始まりと言われ、歌枕として数多くの和歌に詠まれている。


玉川の上流、椿坂の近くに昔、水車があったという場所があります。

小野小町塚

平安時代の歌人で、絶世の美女 小野小町が亡くなった場所については諸説あるようですが、井手町もその一つのようです。

近くにある小野小町の墓では、

「色も香もなつかしきかな 蛙(かはづ)なく 井手のわたりの山吹の花」〔新後拾遺145〕

と記されており。
当時から井手の山吹の花は有名だったことが分かります。


欽明天皇元年(540年)、玉津岡の南に下照比賣命が降臨、そこでお祭りをした「玉岡の社」が玉津岡神社の起源。

その創祀は天平3年(731年)9月であり、創祀者は橘諸兄公とされる。
境内には橘諸兄とその一族の一人楠木正成公を合祭した橘神社がある。

地蔵禅院の桜

曹洞宗の地蔵禅院(じぞうぜんいん)の歴史は古く、白鳳年間(1200年前)井出左大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)公によって草創されたと伝えられる。

1727(享保12)年に植えられたと伝わるしだれ桜は、京都市の円山公園にある先代の枝垂桜と親木同士が姉妹木といわれるもの。

創建当初は華厳宗に属していた。

ご本尊の地蔵菩薩は橘諸兄公の持仏。

地蔵禅院は、菜の花とシダレザクラ(早咲き桜)の景色が素晴らし穴場の桜スポットです。


地蔵禅院のしだれ桜は、高台にあるにもかかわらず、玉川沿いのソメイヨシノよりも一足早く開花が始まり、中庭のソメイヨシノや八重桜、自生の山桜などが順に開花してゆきます。

この地蔵禅院の境内からは井手町の集落から木津川、天候がよければ遠く金剛山・葛城山・二上山などが一望でき、大変美しい眺めが楽しめます。


山門の瓦に小さなかわいい花が・・・スミレのようだが。

アジサイの花の枯れたものが風情を見せている。

塀の上のコケもアップでとらえると芸術だ。

町内の玉川堤に咲く山吹を花と葉で描いています。その間には、井手の「井」の字が描かれています。

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藤田邸跡公園 桜が見頃です


緑が鮮やかできれいです。



桜が見頃です。

最初に訪れた時に紅葉と桜がきれいだなと目を付けていました。
藤田邸跡の紅葉が見事です
紅葉が見頃です、藤田邸跡庭園。 本邸跡を中心とする中央部は1954年(昭和29年 … 続きを読む →


桜が緑に映えます。



展示室の入り口は蔵の重厚な扉です。

リニューアルオープン直後に訪れました。
リニューアルオープンの藤田美術館
2022年4月1日にリニューアルオープンした藤田美術館。 同館は、明治維新後に起 … 続きを読む →


のどが渇いたのでお茶でも。

抹茶と団子をいただきました。

1959年(昭和34年)に大阪市が迎賓館を建築して整備し、大阪市長公館をへて大阪市公館となった。

2014年(平成26年)からはレストラン・ブライダル施設「ザ・ガーデンオリエンタル大阪」として営業している。

前回訪れた時に奇麗だったので今回も訪れる。






この辺りに瓢箪池があり、ハスが見られる。

毛馬桜之宮公園 ひょうたん池
大阪でハスの花がまとまって咲く場所というと、万博公園や長居植物園などへ足を運ばないと見れないかなと思っていたのですが、まさかこんなに近くにあったとは知りませんでした。 … 続きを読む →


桜の下は花見客で超満員です。



大川に目をやると水上バイクの一団が走り抜けていきます。

観光船がひっきりなしに行きかう、乗客はほとんどノーマスク。


乗客の多くはインバウンド。


川崎橋も多くの人が行きかっていました。

京橋口から西外堀沿いに反時計周りで進む。

大手門のこの混雑、恐ろしくて近づけません、大半の人がノーマスク。

城内には入らずそのまま南外堀に沿って進む。
天守を見ながら城内の様子を想像している。


教育塔に向け桜並木のトンネルを多くの人が抜けていきます。

緑と桜のコントラストが見事。

大阪歴史博物館前から天守を望む、今日の桜ウォークはここまで、地下鉄谷町4丁目から帰宅。

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霊鑑寺のツバキ


哲学の道は多くのインバウンドに埋め尽くされている。

桜はほぼ満開に近い。

満開の桜をにらみながら霊鑑寺へむかう。

「椿の寺」として知られる霊鑑寺は、承応3年(1654)、後水尾(ごみずのお)天皇の皇女・多利宮(たりのみや)を開基として創建され、歴代皇女が住職を務めた尼門跡寺院。

現在、椿の特別公開が行われている。

霊鑑寺で参拝客を真っ先に迎えてくれるのは、門をくぐってすぐ左正面目に姿を表す梅の古木と散椿の古木。

散りツバキで埋め尽くされた地面は真っ赤です。

庭園入口に設置された椿の花手水は、ピンクや白などのカラーで統一されており、思わずシャッターを切りたくなる可愛さ。

庭園内の小さな手水鉢にも椿が浮かべられています。

その先の玄関は、竹に色とりどり様々な品種の椿の花を活けた花あしらいが飾られています。

かつてここには樹齢400年と言われた日光(じっこう)という椿(京都市天然記念物)がありました。

残念ながら2015年に枯死して今はその姿は見られません。
枯死した日光椿は後水尾天皇も愛でたと伝わる古木椿です。

実物を見ることが叶わず、大変残念に思っている椿の一つですが3メートルほど離れた場所に生えている日光椿は、元の椿と根がつながっていたたので、市の指定天然記念物はこの日光に引き継がれることになったそうです。

無作為に綺麗そうなのをドンドン撮っていきます。


今年はちょうど桜の時期と重なり、桜と椿のトンネルをくぐりながら歩きます。


別名「谷の御所」と呼ばれた格式と清楚な佇まいを今に伝えています。

本堂は江戸幕府十一代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)が寄進したもので、如意輪観音像(にょいりんかんのんぞう)を安置しています。

後水尾天皇が椿を好まれたことから、広い庭内には100種以上の椿が植えられており、日光(じっこう)椿(京都市指定天然記念物)をはじめ、散椿、白牡丹椿、舞鶴椿などが、色とりどりに咲き誇ります。

当寺は、そもそもは後陽成天皇の典侍であった持明院基子の隠居所であった。

その後、寛永20年(1643年)に基子の希望により後水尾上皇によって寺院に改修されることが決められ、翌正保元年(1644年)には上皇の娘である宗澄女王が入り、寺院化が進められた。

承応3年(1654年)5月に霊鑑寺と寺名が付けられると、女王は得度して宗澄尼と号した。
以降尼門跡として5人の皇女が入室している。

御所人形が約200点ほど伝わっており、皇室ゆかりの寺宝も多い。

特別公開の時期、書院は内部へ上がっての拝観可能だが撮影禁止なのですが画像はありません。。

その後、法然院へと向かいます。

途中、安楽寺がありますが特別公開の日がずれているため拝観できません。

安楽寺は、別名松虫鈴虫寺と呼ばれる浄土宗のお寺です。

なぜ松虫鈴虫寺と呼ばれるのか、それはある姫たちに関する悲しいお話が由来となっています。

鎌倉時代の初め、専修念佛の元祖法然房源空上人は、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、念佛三昧の別行を修し、六時礼讃を唱えられた。

1206年(建永元)12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が生じ、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となり、その後草庵は久しく荒廃することとなった。

江戸時代初期の1680年(延宝8)、知恩院第三十八世萬無和尚は、元祖法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立することを発願し、弟子の忍澂和尚によって、現在の伽藍の基礎が築かれた。

白砂壇(びゃくさだん)

山門を入ると、両側に白い盛り砂がある。
水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味している。

当山には椿が多く、特に本堂北側の中庭には、三銘椿(五色散り椿・貴椿・花笠椿)が整然と植えられている。

花期は3月下旬から4月中旬。

三銘椿、春期特別公開 法然院
正式名は、「善気山法然院萬無教寺」と号するが、院号の「法然院」で名が通っている。 … 続きを読む →


さて、両姫のその後ですが、二人は瀬戸内海の小さな島「生口島」の光明坊で念仏三昧の日々を送り、松虫姫は35歳、鈴虫姫は45歳で往生しました。

経緯は不明だが住吉にも松虫鈴虫を祀った塚がある。
松虫塚
昔、このあたりは見渡す限りの原野で、秋には虫の声が満ち、特に松虫 (今の鈴虫)の … 続きを読む →

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