超広角で高層ビル群をダイナミックに


最近、「超広角レンズ」が熱い。

矢継ぎ早に魅力的なレンズが発表されています。

誘われるように普段疎遠にしている広角レンズを取り出した。

シグマ 8-16mm F4.5-5.6 DC HSM

最短撮影距離は24cm。最大撮影倍率は1:7.8倍。
レンズフィルター装着は不可。
本体サイズは75×105.7mm(最大径×全長)、重量は555g。

2010/4/29から順次発売

発売当初、世界初、8mmをカバーするデジタル専用超広角ズームレンズ。

2021年6月に発売されたM.ZUIKO DIGITAL ED 8-25mm F4.0 PROまで独断場だったと記憶している。

しかし、2019年生産終了。
記録を見ると2016年8月に購入している。

購入のきっかけは建物の撮影時に必要な距離が撮れず画角に納まりきらないことが多々あり、また、室内撮影で画角を確保するのが主目的であった。

当時から風景マクロの存在は知ってはいたが積極的に撮ろうとしなかった。

最近清家清子さんの作品で見て俄に興味を引き起こされた。

また、写真仲間の長老から定例会で、建物がゆがんでいることを指摘され当時初心者だった私はそれはダメなものだと思い込んでしまっていた。

一般的に35mm以下が広角レンズとなりますが、特に21mm以下は超広角レンズとなり、かなり広い範囲を撮影することができます。

被写界深度が深いので、画面の点前から奥の方まで綺麗にピントを合わせて撮影することができる。

そのため、奥行きのある被写体でも全体をくっきりと写すことができます。

画角が広いことも特徴。

画角が広いと広範囲の風景を撮影することができます。

また、遠近感を強調するという特徴があります。

超広角レンズレンズにはパースを強める効果があり、中央に向かって被写体が伸びていくような写真を撮ることができます。

写真に奥行き感が出せます。

超高層ビルが密集する梅田ならではの撮り方です。

この撮り方ができる場所はかなり限られており、日本国内で同じような写真が撮れるのは新宿(東京)・汐留(東京)・名駅(愛知)などです。

最近の超広角の開発主眼は16mmあたり。

ソニーもこの焦点距離に何本も製品を投入して攻勢をかけている。

作品作りの楽しみが一つ増えた。

大きく歪むという欠点を克服しながら付き合っていきたいと思っている。


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SONY αプラザ


ハービスエント 4F ソニーストア 大阪内で写真家の清家 道子さんの 作品展があり見に行く。

ハービスエントは大阪・西梅田に位置する、大阪最大級の高級ブランドビル。
四季劇場やビルボード大阪も。

ハービスENT(ハービスエント、英字表記:HERBIS ENT)は、大阪府大阪市北区梅田2丁目にあるファッションビル。

阪神電気鉄道が運営。

正式名称は梅田阪神第2ビルディング。

αプラザ(大阪)はハービスエント 4Fにある。

清家 道子 作品展
「光の記憶」

2022年9月24日(土)~2022年10月13日(木)

カラーコーディネーターを経て風景写真家となり、九州を中心に撮影活動している。

作品を通して彼女には色彩を学んでいるが、実際のレタッチになるとやり過ぎで失敗ばかりしている。

今回、大阪で写真展をやるというので見に行く。

お昼は地下のレストラン。

ハービス大阪の左側を裏道へ向かう遊歩道に猫ちゃんがいます。
正式名称「壁抜け猫」、作者は松永真さん。

地下には20店ばかりのレストランがあり、梅北のように込み合うことが無いのでいつも好んで使っている。

食後は地下街を西に散策。

梅田ダイビルは低層部の吹きぬけ構造が特徴で、2001年に第12回大阪施設緑化賞(みどりの景観賞)特別賞を隣接する安田生命大阪ビル(現 明治安田生命大阪梅田ビル)とともに受賞、同年の松井源吾賞、2003年の第23回大阪都市景観建築賞(大阪まちなみ賞)奨励賞を単独で受賞した。

ちょうど昼時で、多くのサラリーマンが食事や休憩を楽しんでいます。


ビルの谷間で紅葉した木を見つけた、もう秋なんです。

地上は並木がきれいです。

毎日新聞社ビル。


地下街の西端、もうすぐ先は福島になります。

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梅北散策


梅田での用事を済ませしばし撮り歩き。

今や北は工事真っ最中。

うめきた2期地区開発事業 建設工事の最新状況 22.09【2024年夏ごろ先行街開き】とのメッセージがありました。

いずれにしても2025年が一つの目標だろう。







今日もお昼は時の広場の「バール・デルソーレ」で

イタリアの本物カフェ、ソフトイタリアーノ、カルツォーネや本格ナポリピッツァが楽しめるイタリアの本質的なバールです。
(バールとは、イタリアの職人気質が、陽気に、いっぱい詰まったイタリアのカフェ)

ちょうどお昼時ですがご覧の通り、いつもがらんとしています。
くつろげる場所です。

営業時間 8:00~23:00(L.O.22:30)
定休 年中無休

【ディナー】3,000円 ~ 3,999円
【ランチ】~ 999円

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ヒガンバナ群生地 桂浜園地


OB会の撮影会で桂浜園地訪問。

秋の彼岸頃に咲くことからその名がついたというヒガンバナ(別名:マンジュシャゲ)は、高島市内でも湖岸や田のあぜ道などで見ることが出来ます。

中でも、広範囲にわたり群生している場所が今津町の桂浜園地。

様々な色の花が楽しめると聞いていたので楽しみにしていたが、白花が一カ所あったのみでがっかり。

湖岸ならではのポイントが、琵琶湖から昇った朝日が遮られることなく彼岸花を照らす神秘的な風景!

日の出前から多くの人がカメラを片手に待ち構える撮影ポイントにもなっています。

と、いううたい文句だが大阪からではホテルでもとらない限り無理。

今日は近江今津からタクシーに分乗。

色々と事前に想定したことはほとんど果たさず、定番の撮り方に終始。

背景に色々と選択、楽しめた。





湖岸での玉ボケとヒガンバナのコラボを期待していたが、湖岸にヒガンバナは無く残念。

波間の玉ボケを利用した多重露光に挑戦。

想定した域に達せず。

帰りは徒歩で駅までと決定。

ルートでの撮影を楽しみながら歩く。

松に寄生したススキを発見。



湖岸では多くの人がキャンプを楽しんでいます。

コロナが終息し、やっと日常を取り戻せた喜びが伝わってきます。

沖では若者が水上バイクに興じています。

石田川に群舞するサギ。

こちらの喫茶で今日の反省と来月の予定を打ち合わせ。

近江今津と言えば思い出深い土地です。
ここを起点に日本海方面の旅を楽しみました。

沢山ある中から一部を紹介。

竹生島
竹生島は葛籠尾崎(つづらおざき)の南約2kmに位置し、琵琶湖では沖島に次いで大き … 続きを読む →


とらふぐ養殖北限の地で食す若狭フグ
『若狭ふぐ』とは、日本で最北の養殖生産地、若狭湾での養殖されたトラフグのことで、 … 続きを読む →

名水百選 瓜割の滝
天徳寺縁起によれば、今からおよそ1300年前の養老年間、加賀・白山を開いた泰澄大 … 続きを読む →

鯖街道の宿場町 熊川宿
若狭ではいつの頃からか小浜を中心に「京は遠ても十八里」と言われており、与謝蕪村( … 続きを読む →

春先取り 火と水が織りなす荘厳の世界 お水送り
天平勝宝 4年(752)インドの渡来僧・実忠が二月堂の建立の時、修二会を催して全 … 続きを読む →

朽木に信長遁走の跡を訪ねる
興聖寺はもともと現在の位置とは安曇川を挟んで反対側の上柏村指月谷にあったが、江戸 … 続きを読む →

秘密にしておきたい紅葉の名所 旧秀隣寺庭園
道元が越前下向のおり当地の地形の様子が宇治興聖寺のそれに似ているのに驚き、建立す … 続きを読む →

春を告げるザゼンソウ
今津町は座禅草群生地としては日本の南限とされています。 饗庭野(あいばの)の伏流 … 続きを読む →

冠雪したメタセコイヤ並木
このところの寒波で冠雪したマキノのメタセコイヤ並木。 マキノピックランドを縦貫す … 続きを読む →

アクセス
●JR近江今津駅より予約乗合タクシー「あいあいタウン線」に乗車
ー「北仰東(きとげひがし)」下車後、徒歩約10分
●JR近江今津駅より徒歩約42分

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中近世の自治都市平野郷を訪ねる


全興寺を中心とする「平野中央通商店街」周辺は、太平洋戦争時に空襲を逃れたこともあり、古い町並みの面影が現在も残っている。

全興寺を後にして平野郷散策へ出る。

戦国時代平野郷は、自衛のため周囲に堀をめぐらし、環濠集落を形つくっていた。

そして、出入口にはそれぞれ門と門番屋敷や地蔵堂を設け警備に当った。
濠の間には、大小十三の木戸口があり、摂河泉各方面へ道路が放射状に延びていました。

ここは流口地蔵

流口は平野環濠の最南端の出入口で、流口木戸門から南下する道は中高野街道です。

中高野街道は喜連・瓜破を通り、嘗て平野川の水源だった狭山池で堺から来る西高野街道と合流する信仰の道です。

蘇民将来と疫病よけ

『釈日本紀』巻7に引用されている『備後国風土記』逸文に、疫隅社(えのくましゃ)の縁起として、次の説話が記されています。

昔、北の海に住んでいた武塔神(むたのかみ)が、南の海神の娘のもとに出かける途中、二人の兄弟に宿を乞いました。

兄の蘇民将来(そみんしょうらい)はとても貧しく、弟は裕福で大きな家に住んでいました。

弟は惜しんで家を貸そうとはしませんでした。

一方、兄は粟の茎で編んだ座布団をすすめ、粟飯と粟酒などを出してもてなしました。

数年が経ち、武塔神は八人の子神を連れてその地を再び訪れました。

そこで、「私は、以前受けた恩に報いようと思う。

あなたの子孫は家にいるか」と尋ねました。

蘇民将来は「私の娘と妻とが家におります」と答えました。

すると武塔神は、「茅の輪をその娘の腰に着けさせよ」と言います。

そのとおり娘の腰に茅の輪を着けさせたところ、その夜に娘一人を除いて、その土地の人々はことごとく殺され滅ぼされてしまいました。

武塔神は、さらに「私の正体は速須佐能雄能神(はやすさのをのかみ)である。

今後、疫病が流行することがあれば、蘇民将来の子孫と言って茅の輪を着けていれば、死を免れるであろう」と言いました。

この説話は、疫病消除の「茅の輪」の由来譚となっていますが、「蘇民将来の子孫」が呪文となり、疫病除けの護符に使用されます。

また、武塔神はスサノオノミコトと名乗っていますが、後には祇園社(八坂神社)の牛頭天王と習合し、その信仰は複雑に展開していきます。

おもろ庵

昭和博物館みたいな古民家カフェ

折角だが本日は定休日。

小林新聞

新聞屋さん博物館

朝日新聞誕生の地、大阪市内で一番古い朝日新聞販売店”小林新聞舗”。 
創業は明治22年。
 
館内には、明治時代の大阪朝日新聞・大阪毎日新聞、日清戦争から現在までの号外、読者サービスでであった明治時代からの双六・画報・優待券などの付録の他に、珍しい新聞販売資料・写真など数千点の所蔵の中から約二百点が展示されている。 

建物はモダンなアーチ型の窓があるノスタルジックな大正風。

店名は「アート」だが雑然としていてアートの感じがしない。

何処の商店街も同じだがやってるのかどうかよくわからない。

樋尻口は竜田越奈良街道や八尾街道に通じる道です。

樋尻門筋の名前は東に平野川から環濠の水を引く樋があったことに由来します。

樋尻口の守護神だった樋尻口地蔵は地雷で首を吹き飛ばされたという伝説があります。

真田幸村が家康を狙い地蔵付近に地雷を仕掛けましたが、家康の身替りになった地蔵の首が全興寺まで飛びました。

平野公園は環濠の一部であつた松山池の跡地につくられました。

公園内には環濠の痕跡がわずかに往時の名残をとどめております。

公園の周囲に環濠に沿って築かれた土塁が残っています。

観光の目印のようですが、説明がなく使い方不明です。

転用石

石垣をつくるため、墓石や民家の礎石だけでなく石仏までかき集めたというのは、領主にとって名誉な話ではない。

敵から没収したものなら自慢にもなるが、ほとんどは領民から取り上げたものである。

すなわち、石材を揃えられなかった事実は資金に窮していたことの証である。

やむを得ないことであるなら、見えない部分である地面や水面の下になる箇所に使用すればよい。

ところが、転用石の多くはわざわざ正面中央部や角の部分など、人目につく部分に使用されている。

城には物理的な強さだけでなく、多くの人の力を結集したという事実にもとづく呪術的な強さが必要というのが戦国時代の考え方であり、領民から集めた石を石垣にしたのはその現れだったとも考えられている。

墓石や石仏には人々の先祖代々の思念や信仰の力が籠もっているため、石垣の素材としては最適という考えが成り立つ。

転用石をよく見える場所に置くのは、領主と領民が一体となったことを誇示するものであり、石を提供した領民へのサービスであったという見方もなされている。

赤留姫神社

「赤留比賣命」は日本神話に登場する神で、新羅から祖国であるとする本邦へ渡来したとされています。

本社社殿の左側(北側)には「住吉社」(写真右側)と「金刀比羅社」(写真左側)が西向きに鎮座。

住吉大社に伝わる古文書『住吉大社神代記』にも「子神」として「赤留比賣命神」が記され、古くから住吉大社と関係が深かったことが窺えます。

境内入口。西向きに鳥居が建っています。

社地は横(南北方向)に広く縦(東西方向)に狭いため、鳥居をくぐってすぐのところに社殿が建っています。

拝殿後方に建つ本殿は銅板葺・一間社流造で朱塗りが施されたもの。

やや小高いところに建っています。

拝殿前の狛犬。砂岩製で、がっしりとした体格のもの。

神社の前に猫好きのおばちゃんがいてしばらく猫談義。

生活感は感じられないですが、風情のある建物です。

『鍾馗さん』は京都や奈良の町屋によく据えられている飾り瓦です。

中国で鬼を退治したという伝説の英雄で、疫病神を祓い、魔を取り除くと信じられてきました。

昔、ある薬屋が大きな家を建てた際、屋根に大きな鬼面瓦を据えたそうです。

その鬼瓦を見た、向かいの家の娘が、その鬼に常に睨まれているような気がして夜ごとうなされ、ついには病気になって寝込んでしまったのです。

家族は病気を直すために、様々な手をつくしたけれど、一向に良くならないので娘が言う、その鬼瓦を取り外してくれないかと、薬屋に頼んだのですが、薬屋には大金を払って取り付けた鬼瓦なので外す事はできない!と言われてしまうのです。

そこで家族は鬼に勝つものは何か?と考え、中国の伝説にならい鐘馗さんの瓦を特別につくってもらい屋根に置いたそうです。

すると、娘の病はすっかり回復したといいます。
これが屋根のうえに飾るようになった由縁とされているそうです。

立派な板塀のお家。

長寶寺 王舎山長生院

坂上田村麻呂の娘で桓武天皇の妃の春子姫が、延暦二十五年(806)桓武天皇崩御により、弘法大師に帰依し剃髪し慈心大姉となられ、長寶寺を開基されました。

「王舎山」の山号は、後醍醐天皇が、皇居を吉野に移される時に、長寶寺を仮の皇居とされ、その時に賜ったものです。

境内の手水鉢には 水神に祈願するため 瓢箪(ひょうたん)を模した石に柄杓(ひしゃく)で水を掛けるようになっている。

銅鐘は建久三年(1192)の銘を有し、京都東山金光寺の鐘であったことがわかり、鎌倉時代の代表的和鐘の一つに数えられています。 

ともに国の重要文化財に指定され、市立美術館に寄託されています。

広大な寺域に多くの堂宇があったが、元弘の乱(1331年)、建武年間 (南北朝の争い)、元和(大坂夏の陣(1615年))の兵火により、灰燼に帰した。

「平野郷町誌」によれば、現在の本堂・庫裡は、当寺第三十三代・慈源大姉の時、天保年間(1830-1844年)に再建されたと言う。なお、当寺の住職は代々坂上家の女子が補されることになっている。

防火水槽 58 ■ 平野区平野本町3-1-19

平野区ではじめて見つけた防火水槽は、ご覧の通りの本格派。

さすがは戦火に巻き込まれることなく今も風情ある旧平野郷にとてもマッチした物件です。
 
この第58号、昔ながらな格子ある町家の中に、まさに“鎮座”しています。

その材質は重厚感のある石。その上には木のフタ、そして大きな重石。

“イザっ”と言う時にヤワな人では消火作業できんのやないかとは思いますが、構成美としてはじつに落ち着きがあってかっこよくまとまっています。
 
よく見ると、どうやらこの物件の正面には文字が彫り込まれています。
 風情ある平野郷にあまりにぴったりすぎて“出来すぎ”な感もありますが、ほとんどオブジェとして残っているというのもちょっとテーマパークっぽくてええかもしれませんね。ま、“戦争遺産としての防火水槽を探す”というニュアンスからすると…ややはずれているとも思いますけれども。

古風な街並みに場違いなBar。

テントの破れと壁に絡まる蔦、面白い取り合わせ。

蔦だけでもおもしろてオブジェ。

平野郷十三口  田辺道西脇口地蔵

この地蔵堂は田辺道西脇口門の傍らにあったもので、田辺方面へ通じる木戸口であった。

環濠があった頃、地蔵堂は濠を背に東向きに建っていたが、昭和初期、濠を埋め道路を西へ伸長する際、南の道へ移され北向きとなった。   説明板より

南口地蔵とも子安地蔵とも呼ばれ、南下すると堺口から延びる住吉・堺に通じる八尾街道に合流します。

西脇口には昭和55年まで南海平野線が通り平野駅がありました。

現在は線路沿いに細長い公園になっています。

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「平野郷」発祥の地といわれる全興寺


平野本町通商店街の中ほどに入り口があります。

見ているとひっきりなしに近所のおばちゃんが参拝に見える。

飛鳥時代、聖徳太子が当時野原だったこの地域に仏堂を建て、薬師如来像を安置したのが起源とされる。

寺の名前の由来は不明であるが、この一帯が杭全荘と呼ばれた事から、「杭全を興す寺」から全興寺になったという説がある。

薬師堂の建立後、周りに人が住み始め、町を形成していった。

これが後の平野郷となる(「平野」という名前は平安初期、この地の領主だった坂上田村麻呂の子の坂上広野(坂上広野麿)の「ひろの」が転化して「ひらの」になったと言われている。

本堂には樋尻口地蔵堂の地蔵首も祭られている。

大阪夏の陣で、真田信繁(幸村)が地蔵堂に地雷を仕掛け、徳川家康の爆殺を図ったが、地雷が爆発した時、家康はたまたま催して席を外していた為、辛くも難を逃れたという伝説がある(平野の地雷火)。

この地雷により、地蔵の首が約300メートル離れた同寺に飛んだとされる。
地蔵首の開帳は8月23日と24日。

中世には藤原氏の荘園となり、応仁の乱以降は戦乱に巻き込まれないようにと豪商らが環濠を築き上げ、堺と並ぶ環濠都市として栄えた。

大坂冬の陣では徳川秀忠の軍勢が河内路より平野に入り、全興寺の隣にある野堂町会所を本陣にしたと伝えられている。

全興寺では推奨されている参拝順路があります。

まず本堂へお参りし、その後にこちらの地獄堂へ行くのです。

ガラスの涅槃仏

涅槃仏とは、お釈迦さまが横たわりお亡くなりになられたときのお姿。
こちらでは総ガラスの涅槃仏が見られるとのことで、貴重な体験になります。

一願不動尊の雲海では、中央に立っておられるお不動さまの池に鯉が泳ぎ、時折白い水蒸気の雲海がたなびきます。

ほとけのくに

境内の地下には「ほとけのくに」という多数の石仏に囲まれた空間がある。

四国八十八箇所霊場から採取した砂を納めた手すりがある階段を下りた所にあり、床には密教の曼荼羅がデザインされたステンドグラスがあり、そこに座って瞑想をすることが出来る。

中では水琴窟の音が聞こえ、周囲には真言宗の開祖である弘法大師像や四国八十八箇所の札所の本尊など約160体の石仏が置かれている。

参拝者は曼荼羅の上で瞑想したり、石仏を熱心に拝んだり、おのおのの形で祈りを捧げている。

地獄堂

堂の中は薄暗く、閻魔大王や2メートル以上ある鬼の像が置かれており、閻魔大王の前にあるドラを叩くと、大王がしゃべり出し、地獄の様子がビデオで映し出される仕組みとなっている。

その恐ろしさに途中で泣いて逃げ出す子も多いが、最後は閻魔大王が「こんな所に行かぬよう、悪いことをせず、自分の命を大切に」と諭すという。

道標

右 さ山 高野山 すぐ信貴山道

「小さな駄菓子屋さん博物館」と「のぞいてごらん おばあちゃんのお部屋」では、昭和20年~40年代に駄菓子やさんに並んでいたおもちゃや、その駄菓子屋さんのおばあちゃんの部屋をみることが出来る。

旧石器時代から現代まで、人々が営んできた歴史がいっぱい詰まった町、平野の一部をこの後散策します。

かなり失われたものも数多くありますが多くの歴史のつまったこの地区を今後も改めて機会を見つけて巡りたいと思う。

アクセス

JR平野駅より歩いて13分・地下鉄平野駅より歩いて13分                             
電話番号 06-6791-2680
開門時間 朝7時ごろから夕方5時すぎまで

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秋の訪れを告げる彼岸花 


気をもました台風14号もわが地域にはさしたる被害もなく終わりました。

気持ちよく晴れ上がり、早速カメラを持って近くの住之江公園に出かけました。

花期は秋の彼岸の頃(9月中旬)で、土中の花芽は温度の変化だけを感じて季節を知り、葉よりも先に地上から花茎を出して、散形花序で真っ赤な6弁の花を放射状(輪状)に数個つけて咲く。

彼岸花が咲く気温は、約20~25度とされています、まだまだ30度を超える日があり、やっと咲きかけたところでこれから最盛期を迎える。

公園には数名のカメラマンがやってきています、狙いは同じでしょう。

『万葉集』に見える「いちしの花」を彼岸花とする説も有る(「路のべの壱師の花の灼然く人皆知りぬ我が恋妻は」)。

花言葉は「悲しい思い出」とのことで、別名も「マンジュシャゲ」のほか、「ユウレイバナ」とか「シビトバナ」、「ハカバナ」、「カジバナ」など、全国各地の地方名をあわせれば1000種類ほどあるそうです。

様々な地方名を集めるだけでも、面白いかも知れませんね。

また、撮り方もは馬鹿の一つ覚えでなくもう少し変化のある撮り方をと考えている。

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朝焼け 台風近畿最接近当日


ただ今5時11分、東の空は昨日に続きいやな色です。

空気中の水蒸気量が変化すると、朝焼け・夕焼けの色は空気中の水分量によって変化が生じます。

空気中の水蒸気が多いほど波長の短い青色光が散乱し、波長の長い赤色は散乱されずに目に届くため、赤くなります。

南(右側)から黒い雲がすごいスピードで北へ流れています。

台風14号は中心気圧が935ヘクトパスカルで鹿児島県に上陸、上陸時の中心気圧の低さとしては1951年の統計開始以来、4番目に並ぶ記録。

「台風の特別警報」は数十年に1度しかないような勢力で日本に接近すると予想される際に発表されます。

沖縄県以外に発表されたのは平成25年に運用が始まってから初。

ただいま5時39分、真ん中の赤い部分が通常の空、黒い雲が視界を遮ります。

ほぼ全体を黒い雲が覆ってしまいました。

岸田首相も NYでの国連総会出席に向けての出発を延期したようです。

それくらい大きい台風ということのようですが、どぅも実感がわきません。

人間というのは現実にならないと実感できないようです。

今、ブログを書いていると高潮に備えて住之江公園を閉鎖するので至急全員退去するようにと車で触れ回っています。

ここに住んで50年以上になるが、住之江公園の閉鎖なんて聞いたことない、それだけ大変な予報なんだ。

今夜から明日の午前中にかけて、暴風域を伴いながら関西に最も接近するとのこと、夜中って言うのが嫌だね。

ま、大したことにならないよう祈る。

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台風前の朝焼け


台風前の朝焼けです。

空の色がいつもと違うことに気づいたのは5時20分。
今日の日の出は5時42分、定時での撮影を開始。

この時点で台風は日本の南海上にあります。
それにしても影響範囲の大きさに驚きます。

赤く染まるのは、大気に水蒸気が多い証拠。
台風の湿った空気が充満しています。

空の色はピンク色や薄い紫色など、いつもと違う色にビックリされている方などからたくさんの写真がウェザーニュースの元へ届いているようです。

今、このブログを書いているのは23時。

今、気象庁で台風14号の特別警報の会見が行われているようです。

大きい被害の出ないことを願っています。

この画像は9月3日の台風接近時のものです。
そのときもこのように異常な空模様でした。

そのときから台風接近時の異常な空模様に興味を持ち出しました。

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秋を見つけに


まだまだ暑い日は続きそうです、でもどこかに秋を感じるニュースはないかと長居公園にやってきた。

ハナミズキが色づき始めました、これは秋の気配ですね。

コムラサキも色づきだしました。

公園のベンチに落ち葉を見つけたりするとうれしくなります。

暑い中カンナも頑張っています。

アメリカキササゲも紅葉が進んでいます。

彼岸花もやっと咲き始めです。

ニラの花は元気です。

クリも実を付けています。

サルスベリがまだまだ頑張っています、この花を見るとどっと暑さを感じます。

しかし、自然はすこしづつ秋の様相を呈して来ています、ま、暑い暑いといってもそう永くは続くまい。

頑張ろう。

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