和泉国一之宮 大鳥大社


「大鳥大明神」や「大鳥大神宮」などとも称された。

現在の正式な社名は「大鳥神社」であるが、一般には「大鳥大社」の社名の方が広く使用されている。

境内は1万5千坪あり鬱蒼とした森の中には、出雲大社の大社造の次に古いと言われる大鳥造の社殿があり、拝殿前には珍しい八角形の柱の鳥居があり、本殿東側には樹齢800年は超える根上がりの楠が構えています。

延喜式神名帳記載の名神大社であり、とくに防災雨祈の祈願社として知られた。
本殿は大鳥造といい、「切妻造・妻入社殿」という出雲大社造に次ぐ古形式を保っている。

織田信長は天正3年(1575年)に所領1300石を安堵している。

中世の兵火により神鳳寺とともに焼失するが、片桐且元を奉行とした豊臣秀頼の一連の社寺造営で慶長7年(1602年)に再建される。
が、大坂の陣で十三重塔を残して再び灰燼に帰した。

その後、寛文2年(1662年)に幕命により堺町奉行石河利政が大鳥神社及び神鳳寺を再建した。

元禄14年(1701年)には幕命により柳沢保明が修営した。

延宝-元禄年間になると、快円恵空が神鳳寺に入って勢力を拡大し、柳沢氏の保護を受けたこともあって、神鳳寺は全盛期を迎える。

神鳳寺は「真言律宗南方一派」の本山となり、畿内を中心に76寺もの末寺を擁した。

神鳳寺の繁栄を影に大鳥神社は衰退していったが、幕末より国学の発展に連動して神社復権を求める声が高まった。

社家である大鳥氏は断絶し、その後は和泉総社の神職が祭祀を引き継いだ。

堺出身の与謝野晶子が詠んだ歌碑(田辺聖子氏筆)があります。

駿河屋と言う菓子屋に生まれた晶子は、本名を鳳(ほう)志ようと言い、生まれた町の神として大鳥大社をいつまでも崇敬していました。

和泉なる
わがうぶすなの
大鳥の
宮居のすぎの
青きひとむら

日本武尊を祭神とするため武家の崇敬厚く、平治元年(1159年)には熊野参詣に向かう途上の平清盛・平重盛らが立ち寄り、清盛は以下の句を詠んだ。

かひこぞよかへりはてなば飛びかけり はぐくみたてよ大鳥の神

大略:蚕がかえって蛾になって飛びたてるように、我々も今から京に戻り武功を立てるのでどうか平氏一族を見守り育ててください大鳥の神よ、明治初年当社の大宮司であった富岡鉄斎の筆になるものです。

クスノキは一般に大きくなる木で相当の大きさでないと府県の天然記念物に指定されません。

しかし大鳥大社の御神木だけあって立派なものです。

樹勢もあり、支えなどもなく自立しています。

樹根が隆起していることから「根上がり」→「値があがる、価値が上がる、運気が上がる」とされ、古くより商売繁盛財運向上の大楠と伝えられ「根上がりさん」の呼称で親しまれています。

樹根部分の穴に「楠神霊」を祀ています。

日本武尊は西征して熊襲を平定し、東征して東国を平定したが、伊吹山で病に倒れ、伊勢国能褒野で薨去する。

遺体はその地に葬られたが、その陵墓から魂が白鳥となって飛んでいき、大和国琴引原で留まり、また飛び立って河内国古市に降りたが、最後に大鳥の地に舞い降りたので、社を建てて祀った。

これが大鳥神社の始まりだとされる。

神域は千種森(ちぐさのもり)と呼ばれ、白鳥が舞い降りた際、一夜にして樹木が生い茂ったと言われる。

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