ゴールデンウィークの長居植物園


3年ぶりに縛りのない自由な休日です。
所用を済ませ午後から長居植物園へ散歩に。

すごい人出です、午後だというのに入園ゲートには長蛇の列。

皆さん待ってましたとばかりに繰り出しています、園内、木陰は空きスペースがないくらい人がいっぱいです。

何時もは時計回りに回るのだが今日は反対から回ります。

ネモフィラが見頃ですがものすごい人だかりです。

人込みを避けバラ園に、太陽は真上でピーカンです。

これでは写真にならない、影を探して若いバラを選ぶ。

木陰を求めて里山の林へ、陽を透かしたショット、若い緑がきれいです。

若葉がきれいです。

緑の中を渓流に向かう。

気持ちの良い5月の爽やかな風に吹かれながらせ・・・・・

小池の畔から渓流に架かる橋を望む、多くの人が通り過ぎます。

お気に入りの場所へ、小池に移り込む景色が好きです。

小池に移り込む景色はいつもいろいろな顔をしています。
深いグリーンがきれいです。

小枝でも落ちたのか水面にわだちが・・・・・・

トゲナシハリエンジュの花が咲いています。
高い木なので気づかず通り過ぎる人もいます。

途中でおやつをいただきながら散策を楽しみました。

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唐招提寺で鑑真ゆかりの花 瓊花 が見頃


『続日本紀』等によれば、唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたもの。

寺名は当初は「唐律招提」と称した。

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四方から僧たちの集まり住する所を意味した。

鑑真研究者の安藤更生によれば、唐では官寺でない寺を「招提」と称したという。

「唐律招提」とは、「唐の律を学ぶ道場」の意であり、後に官額を賜ってから「唐招提寺」と称するようになった。

鑑真は仏教者に戒律を授ける「導師」「伝戒の師」として日本に招請された。

当時(8世紀前半)の日本ではこうした正式の授戒の制度は整備されておらず、授戒資格のある僧も不足していた。そのため、官の承認を経ず、私的に出家得度する私度僧が増え、課役免除のために私度僧となる者もいて、社会秩序の乱れにつながっていた。

鑑真の生涯や唐招提寺は井上靖の小説『天平の甍』(1957年)で広く知られるようになった。

688~763年

唐の揚州に生まれ、14歳で出家し、洛陽・長安で修行を積み、713年に故郷の大雲寺に戻り、江南第一の大師と称されました。

天宝元年(742)、第9次遣唐使船で唐を訪れていた留学僧・栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)から、朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、渡日を決意。

その後の12年間に5回の渡航を試みて失敗、次第に視力を失うこととなりましたが、天平勝宝5年(753)、6回目にして遂に日本の地を踏まれました。

以後、76歳までの10年間のうち5年を東大寺で、残りの5年を唐招提寺で過ごされ、天皇を始めとする多くの人々に授戒をされました。

唐招提寺「御影堂供華園」は、世界遺産「唐招提寺」の境内北側、江戸時代に建てられたかつての興福寺塔頭「一乗院」の宸殿を移築した「御影堂」の西側に広がる庭園。

「供華園」は、鑑真和上の故郷である中国揚州から昭和38年(1963年)に送られた「瓊花(けいか)」と呼ばれる花が咲き誇る空間となっており、毎年大型連休ごろの見頃になると、白く可憐な花をご覧いただけるようになっています。

ちなみに瓊花はスイカズラ科の花であり、ガクアジサイはアジサイ科もしくはユキノシタ科なので根本的に違う植物らしいが、スイカズラ科の花にはガクアジサイのような花を咲かせるものもあるのだそうだ。

瓊花は中国の江蘇省、揚州市が原産。

隋から唐の時代、「瓊花(チウンホア)」は「玉蘂」とも呼ばれ、その芳香のある黄白色の花が愛でられたといいます。

ただ不稔であったために、「聚八仙」という台木に接ぎ木して増やしていたそうですが、やがて元軍の進入とともに絶え、その後は残った台木の「聚八仙」が「瓊花」と呼ばれるようになったといいます。

わが国では、鑑真和上の縁で揚州市・大明寺から贈られたものが奈良県の唐招提寺や飛鳥寺などに植栽されています。

「ムーシュウチュウ(木綉球)」の近縁種で、高さは4メートルほどになり、葉は卵形から楕円形の革質で、縁には細かい鋸歯があります。

4月から5月ごろ、白色の両性花とまわりに8個の真っ白な装飾花を咲かせます。

別名で「ハッセンカ(八仙花)」とも呼ばれます。

醍醐井戸の近くまでやってきました。

仏の教法の、優れて尊い味わいのことを醍醐の法味(だいごのほうみ)と言います。

深遠な仏の教えを濃厚なチーズに例えた言葉ですが、醍醐の法味はそのまま「醍醐味」という言葉にもつながっていきます。

雰囲気のある塀に沿って、歩いていきます。

鑑真の廟所のコケ、折からの水を含んで鮮やかです。

フォーカスシフトを手持ちで試みる。

背景としてSilkypicsでのレタッチがあります、狙い通り「手持ち撮影時の位置ずれを補正する」という機能が使えた。

これは新しい発見だ。

金堂と南東の、松のところに、石の隅鬼が。

金堂の東南隅で隅木を支える「隅鬼」。

年輪年代調査などから金堂創建時の作とみられています。

同形・同時代のものが北西隅、東北隅にも使われていて、修理後元の位置に戻されています。

これらを見ることができるのは、金堂の解体時のみ。

これまで非公開だった薬草園の一般公開を始めたというのでそちらへ向かう。

菖蒲の時期には少し早いようです。

鑑真ゆかりの薬草園、よみがえる 奈良・唐招提寺が一般公開

薬草園ではアブラナ科のホソバタイセイが黄色い花を咲かせ、高さ約3メートルの瓊花が見ごろを迎える。

瓊花は「八仙花」とも呼ばれ、ガクアジサイのように花のまわりに白い装飾花を咲かせている。

奈良市の唐招提寺は22日、これまで非公開だった薬草園の一般公開を始めた。

金堂修理に伴い閉鎖した薬草園の復元作業が、約6割の範囲で終了したため。寺を創建した鑑真和上ゆかりの23種の薬木各1本と、39種約2600株の薬草を栽培。

鑑真の故郷・中国揚州市の名花「瓊花(けいか)」がちょうど、見ごろを迎えている。

瓊花は5月5日まで特別開園中の御影堂供華(くげ)園でも楽しめる。

境内では松の根が露出してはい回るさまが見事。

古木も多く、何やら動物に似たものもあり。

これなどはマンモスに見立ててみた。

境内散策の愉しみは至る所にある、雨の日の一日を楽しんだ。

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霧のガーデンミュージアム比叡


今日はあいにくの雨です。
木々の緑が雨に洗われて生き生きとしています。

森の緑もきれいです。
一人で来たときはこの辺りも楽しみながらロープウェイの駅まで行くのだが、今日は団体行動です、あまりゆっくりしておれません。

まだ桜が残っているのではと期待していたがさすがにもう見当たりません。

いつもは晴れの日が多いのですが、初めての雨の日に当たりました。
ケーブルの車窓もはじめてみる雨の風景です。

叡山ケーブル・ロープウェイは、施設メンテナンスのため、冬季は運休、比叡山延暦寺へは、坂本ケーブル、比叡山ドライブウェイまたは奥比叡ドライブウェイをご利用となります。

かわらけ投げ広場からの遠景、雲海がきれいです。

今日は霧をどう表現するかなと興味つづ。

雲のグラデーションを表現したかったのですが、なかなか難しい。
モノクロの表現のほうが向いているかな。

雲の切れ間から東塔の景色が見えます。
この辺りまで来ると桜も見れます。

散り際の桜・・・・

雨に濡れたアセビに桜の花びらが・・・

藤の丘から霞む展望塔。

ガーデンは冬季休暇から昨日オープンしたばかりです。

花がどうかなと心配していたのだか、なかなかきれいだ。

何時もは花と絵画が目に付くのだが今回は霧に気を取られている。

気になってた睡蓮の庭へ。

モネたちが愛したモチーフです。

少しづつずらしながら・・・

彼らが思い描いた日本風の庭園・・・

何度も行きつ戻りつしながら霧にかすむ庭を楽しんでいます。

過去の訪問記

一足遅い初夏 ガーデンミュージアム比叡
標高840mの比叡山頂の庭園美術館。 1.7haの園内に1,500種10万株の花 … 続きを読む →

ガーデンミュージアム比叡 蓮池
1883年、モネは後に二人目の妻となるアリス・オシュデと子どもたち(自分の子ども … 続きを読む →

天空の画廊 ガーデンミュージアム比叡
標高840mの比叡山頂の庭園美術館。 1.7haの園内に1,500種10万株の花 … 続きを読む →

こもれびの庭
自然を愛する繊細な日本人が誇るべき「木漏れ日」という言葉。 英語には該当する言葉 … 続きを読む →

天空の花園
庭園は琵琶湖を見渡す位置にありまさに天空の花園。 ホタルブクロという名前の由来に … 続きを読む →


こもれびの庭も鮮やかな花々が・・

帰りも霧を楽しみます。

ちょっと霧が深すぎるかな。

ケーブルのすれ違い場所。

高知に世界で唯一、本家より「モネの庭」の名称を許可されたマルモッタン、青春18切符乗り継いで三泊三日で訪れた時の訪問記。

モネの庭マルモッタン 水の庭
念願のモネの庭に来ました。 青春18切符で列車を乗り継いで。 モネは生涯の祈り返 … 続きを読む →

モネの庭マルモッタン 光の庭
世界で唯一、本家より「モネの庭」の名称を許可された施設です。 この庭は本家フラン … 続きを読む →

モネの庭マルモッタン 花の庭
展望デッキから見下ろすと、左手に見えるのがバラアーチ。 その足元にはオレンジ色の … 続きを読む →

モネの庭マルモッタン ギャラリー・カフェ
エントランスブリッジ。 駐車場から続くエントランスブリッジでは、バラのアーチがお … 続きを読む →

モネの庭マルモッタンの庭で見かけた花々
モネの庭は花好きにはたまらないスペースです。 真夏にもかかわらず多くの花を見るこ … 続きを読む →

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春爛漫 長居植物園


もう既にフジにお目にかかれた。
最盛期としてはゴールデンウィークの頃だろうが・・・・

春はいつかと待ちわびていたのもついこの間のことではなかったか。

ほぼ桜も終わりツツジやフジを追いかける時期になった。

長居植物園ではハナミズキが盛んに咲いている、緑の中に白やピンクの花が鮮やかだ。

空は青くすみわたり、コロナのことなど忘れてしまったかのように、めいめい春を楽しんでいる。

大池の西側はハナミズキが特に多くこの時期は華やかだ。

和名ハナミズキの由来は、アメリカ原産のミズキの仲間で、花が日本のミズキよりも美しく目立つことから名付けられている。
また、アメリカヤマボウシの名は、アメリカ原産で日本の近縁種のヤマボウシに似ていることから。

豪華な八重桜・関山(カンザン)。

ソメイヨシノに次いで馴染み深い桜ではないでしょうか?普賢象と同じく、古くから知られたサトザクラの代表的な品種で、ソメイヨシノについでよく植栽されています。

ソメイヨシノが一通り終わった後、4月中旬から長いところでは5月上旬くらいまで咲いているところもあります。

佐野藤右衛門氏の「桜」によると明治初年、江戸巣鴨の植木屋によって荒川堤に植えられた名桜の中の一品種だという。

欧米人好みのこの桜は欧米各地に植えられ、多くの人に愛されている.名を「セキヤマ」「カンザン」と呼ぶ。

緑との対比でも派手やかだ。

青空にも似合います。

かわいいカツラともお似合いです。

アジサイ園のあたりはモミジも多く秋には楽しませてくれます。

ラクショウも若葉が鮮やかです。

メタセコイヤの若葉も陽に輝いています。

シャクナゲ園ではシャクナゲが花盛り。

ハナズオウも咲いています、若芽をクローズアップして見ました。


いつも気になっていたのですが、初めて長居植物園でリンゴの花を見つけました。

シナノスイートの花です。

「ネモフィラフェア」が開催されています。

澄みわたる青空とみずみずしい新緑をバックに、約2万5000株のネモフィラが一面に咲き揃う絶景は必見です。

時期的にはもう少し咲きそろった頃がいいでしよう。


サルビアの赤が見事です。

場所を移動したボタンも咲き始めています。
まさに春爛漫です。

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早朝 住吉川の桜


ただ今5時41分、日の出まではまだ時間がある。
東の空は焼けているが辺りはまだ薄暗い。

7~8分咲といったところか。
毎日散歩する道もこの時期ばかりは華やかだ。

この辺りは真澄という地区ですぐ近くに大阪市立真住中学校がある。

学校周辺を指す地名として、『摂津風土記』に「真住吉国(ますみのえ)」とあることから、校名が採用されている。

すぐ近くには大阪市立清江小学校がある。

どちらも古い由緒ある地名だ。

「住吉」の読みは、現在は「スミヨシ」だが、元々は「スミノエ(スミエ)」だった。

例えば奈良時代以前に成立した『万葉集』には「住吉」のほか「住江」「墨江」「清江」「須美乃江」という表記も見えるが、平安時代に成立した『和名抄』にはすでに「須三與之」と記されている。

本居宣長の『古事記伝』以来の通説では、元々の「スミノエ」に「住江」「墨江」「清江」「住吉」等の表記があてられた中で「住吉」が一般化し、それが音に転じて平安時代頃から「スミヨシ」の呼称が一般化したと解されている(類例に日吉大社<ヒエ→ヒヨシ>)。

ただし過渡期の平安時代には両者の使い分けも見られ、歌枕としての扱いでは、「スミノエ」は江を指し「スミヨシ」は社・浦・里・浜を指すと歌学書にはある。

元々の読みである「スミノエ」の語義について、『摂津国風土記』逸文では、筑紫からお連れした住吉神がこの地に住むと言ったため、神功皇后が「真住吉住吉国(まさに住み吉き住吉国)」と讃称したことに由来とする地名起源説話を載せている。

一方で歴史考証学上では、「清らかな入り江(=澄み江)」を原義とする説が有力視されている。

実際に住吉大社南側の細江川(細井川)旧河口部には入り江があったと見られ、古代にその地に整備された住吉津(墨江津)は難波津とともに外交上の要港として機能し、住吉大社の成立や発展に深く関わったと考えられている。

住吉川(すみよしがわ)と姫松橋(ひめまつばし) 

住吉川はかつて住吉大社の西の入江で、住吉浦、出見の浜とも云われていま した。

木津川や新大和川が運ぶ土砂が堆積してくるのに伴い、江戸時代の中 頃に住吉浦でも新田開発が行われ浜の両岸が埋め立てられて狭くなり、住吉川と呼ばれる水路となりました。 

今の住吉川は細江川と十三間(堀)川を水源としており、洪水、高潮などを防 ぐ為、新なにわ筋の水門や十三間(堀)川の亀甲の樋門(かめのこうのひもん)を設けています。

住吉川の両岸には、桜並木があり、川辺ではサギ、カモ、セキレイ等の鳥の姿 も見ることができます。

「花と緑の休息ゾーン」、「立木と水の散策ゾーン」が設けられ、市民の憩いの場になっています。 

住吉川に架かる橋の一つ「姫松橋」は昭和60(1985)年に架け替えられたものです。

北詰西側に顕彰碑があり、次のような古今集の歌が記されています。

“我見ても ひさしく成りぬ 住の江の 岸の姫松 いくよへむらむ”

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再オープンした長居植物園


5ヶ月ぶりに再オープンした長居植物園を歩いてみた。

主な変更点をホームページの表現を借りながら紹介します。

あと2年で開園50年を迎える長居植物園は、 粘土質の土壌は根を元気に張ることが難しく、混みあった樹間はのびのび成長できず、 公園内の雨水が流れ込む大池は年々水質が悪化し… と、植物たちにとって、つらい状況となっていました。

昨年11月1日から約5ヶ月間、休園させていただき、 植物たちが笑顔になるような成育環境をつくるために、 植物園の魅力を向上させる様々な工事を行ってきました。

3月31日に、植物たちが生き生きと成育していくための、「種まき」が終わり、 新たに成長していく準備ができました。

「展望島にシンボルとなる桜を植えて、新しい植物園の成長とともに大きくしていきたい。」

芝生広場で窮屈そうに植わっていたシダレザクラの中から1本を選び、展望島に移植することにしました。

移植するシダレザクラは、適期に根まわしして移植時期を待ち、丁寧に運搬して定植、植え桝の土はやはり粘土質であったため、盛土して十分に根を張り大きくなれるようにしました。

シダレザクラの成長とともに、棚を作るなどの手入れを行いながら、植物園100周年に向け、このシダレザクラが大きく成長していくことを期待しています。

大池・小池にまいた種

~水質浄化と水辺の散歩道の設置~
長居植物園のほぼ中央には、植物園の面積の約20%を占める大池があります。

その北側には、渓流を介しラクウショウやハンカチノキなどの木々に囲まれた小池があります。

長居公園を利用されるみなさまの中にも、これらの存在をご存じでない方が少なからずおられますが、鳥たちが集まり、大阪市内にありながら、カワセミなどの珍しい野鳥も見ることができる貴重な水景となっています。

しかし、長年の蓄積により大池の水はヘドロが溜まり、水質は悪化、夏の風物詩であったハスも全滅してしまいました。

同園は、長居公園魅力事業に伴う工事により昨年11月1日から約5カ月館休園していた。

1974(昭和49)年に開園した長居植物園は、その間の環境の変化や経年による植栽の老齢化が進んでいたといい、樹木の間伐や根の成長を見越した植え替え、粘土層が多い植物園の土壌改良など、植物が生き生きと育つための「未来への種まき」に取り組んだ。

ツバキ園、ボタン園、バラ園等の専門エリアや展望島等がリニューアルし、子どもたちが自然とふれあい、自然を知る「里山ひろば」等が新たに登場します。
 
また、植物園の一部を無料で楽しんでいただける水辺の散歩道もオープンしますので、植物園の景色を楽しみながらの散歩が可能となります。

「二次林を『長居の里山』として維持管理して、生物多様性を保ちたい」

まず、二次林は人の背の高さ程度まで茂っていた笹を刈って、地面に陽が差すようにし、多様な草本類が生えるようにしました。

また、中に入りやすいように、自然風の小径を整備しました。

一方で鳥たちが安心して過ごせる場所を確保するため、笹を刈らない場所や人が入り込めない場所も残しています。

はねず

「はねず」とは李(すもも)の一種であり、桃の花のような春の色で、優しい紅の色です。
朱華色は、移ろいやすいことの枕詞に用いられるほど、その色は変わりやすく褪せやすいと言われています。

桜色といっても、代表的な山桜とソメイヨシノでは色にかなりの差があります。

思はじと言(い)ひてしものを朱華色(はねずいろ)の変(うつろ)ひやすきわが心かも
巻四(六五七)

恋などしないと言っていたのにはねず色のように変わりやすい私の心です。

この歌も先の巻四(六五六)の歌と同じく、大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)が詠んだ六首の歌のひとつ。

はねず踊り 小野小町ゆかりの 隨心院
ちょうどはねず(うすべに色)の梅が咲くころ、小野小町を偲ぶ土地の童唄と踊りが、隨 … 続きを読む →

美醜の魔界を詠んだ謎の女流歌人小野小町
隨心院が所在する小野は小野氏の一族が栄えたところである。 宮中で仁明天皇に仕え歌 … 続きを読む →


シナレンギョウの黄色と桜のコラボ

「ボタン園をシャクヤク園の近くに移設して、新しいボタン園をつくりたい」
シャクヤク園の通路を挟んで向かい、バラ園の隣に移設して、洋風の新しいボタン園として生まれ変わりました。

ボタンの根が十分に張れるように、土を盛り上げて植栽したため、ボタンに囲まれた小さな谷の間を歩いているかのように楽しめます。
また、ボタンは色ごとに配植、品種ごとの微妙な色の違いや形の違いを、より感じられるようにしました。

新しいボタン園にもともとあった、サンシュユの林やジュウガツザクラは残し、旧のボタン園から大きなニシキギを移植して、ボタンの季節以外にも楽しみのある園にしました。

スモモ

八重紅枝垂れ

「ツバキの多様さを楽しんでもらえる、入りやすく明るい杜にしたい」

ツバキも、密植されている場所があり、間隔をあけて成長しやすい状態にする必要があったため、ツバキ園の大池側の園路沿いの一部を移植して、樹木同士の間隔を広げました。

また、できるだけ同系統色の花を集めて、エリア毎に異なった風景を楽しんでもらえるようにしました。

さらに、関西では路地栽培が難しいと言われている黄色いツバキ“キンカチャ”を増やし、バラ園との境界付近には、洋種のツバキを60株程植栽しました。

自由にどこでも歩けるようになっていたツバキ園ですが、土系の舗装を施し、小径をつくりました。それによって、根の上を踏み固められることも少なくなるでしょう。

また、車椅子でも入りやすいような勾配となるように工夫しました。

ライフガーデンにまいた種

~面積をさらに大きくして見ごたえある花畑に~
ライフガーデンは、春はネモフィラやハナナ、夏はヒマワリ、秋はコスモスが楽しめる花畑で、写真映えするスポットとして人気を集めているエリアです。

毎年少しずつ植え付ける面積を増やしてきました。

ポピー
ポピーの花言葉は「いたわり」「思いやり」「恋の予感」「陽気で優しい」など。
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桜の寺としても名高い世界遺産「龍安寺」


今日の桜旅は北野天満宮からスタートです。

連歌所の井戸の横には、枝垂桜が咲きます。
まだそれほど大きくはありませんが、これからの成長が楽しみです。

北野桜は、北野天満宮の本殿などの東側にある社務所前で咲きます。

一重で中輪の白い花を咲かせる樹齢約120年の桜です。

開花が進むにつれて色が白からピンクに代わる特徴があり、北野天満宮の御神木として大切にされてきました。

特に名前も付けられていませんでしたが、桜の新品種に認定され、「北野桜」と命名されたのは、2016年と実は最近のことです。

ここがらタクシーで原谷苑に向かいます。(先日ブログ化)
原谷苑の後、タクシーで仁和寺に向かうも御室桜はまだ蕾。

徒歩で龍安寺へ。

龍安寺山門 – 江戸時代中期再建。

宝暦5年(1755年)洪水により破損し再建される。

寺の南側には広大な鏡容池があり、周囲は池泉回遊式庭園になっており、年間を通じて四季それぞれの花を楽しめる。

桜の季節は、桜の島が池に浮かんでいるようにも見えて、かわいらいしい風景です。


龍安寺の桜 龍安寺の桜苑の光景。

龍安寺には鏡容池の他、桜苑と呼ばれる所に桜が植えられており、訪れる観光客、参拝客の目を楽しませてくれる。

桜苑には、八重紅枝垂れ桜が多く植えられており、こちらも見ごろとなっていました。

桜が多いですが、中には「枝垂れ桃」という変わった桃も。

龍安寺は、京都市右京区龍安寺御陵下町にある臨済宗妙心寺派の寺院。

大本山妙心寺の境外塔頭。
山号は大雲山。
本尊は釈迦如来。
開基(創建者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承である。

もともと衣笠山山麓に位置する龍安寺一帯は、永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。

円融寺は徐々に衰退し、平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地を山荘とした。

この山荘を細川勝元が譲り受け、宝徳2年(1450年)敷地内に龍安寺を建立した。

初代住職として妙心寺8世(5祖)住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。

義天玄承は師の日峰宗舜を開山に勧請し、自らは創建開山となった。

創建当初の境内地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路の辺りまでが境内であったという。

『都名所図会』(安永9年(1780年)刊行)によると、当時は龍安寺の鏡容池はオシドリの名所として紹介されており、今日有名な石庭よりも、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が有名だったようである。

方丈庭園(国の史跡・特別名勝)、いわゆる「龍安寺の石庭」。

白砂の砂紋で波の重なりを表す枯山水庭園の特徴を有する。

幅25メートル、奥行10メートルほどの空間に白砂を敷き詰め、東から5個、2個、3個、2個、3個の合わせて15の大小の石を配置する。

これらの石は3種類に大別できる。

各所にある比較的大きな4石はチャートと呼ばれる龍安寺裏山から西山一帯に多い山石の地石。

塀ぎわの細長い石他2石は京都府丹波あたりの山石。
その他の9石は三波川変成帯で見られる緑色片岩である。

この石庭は、どの位置から眺めても必ずどこかの1つの石が見えないように配置されていることや、これらの石は全て戦国武将の織田信定が運んだことでも有名。

どこから鑑賞しても庭石が1個までしか見えないようになっているのは、ある石に別の石が重なるよう設計されているためで、日本庭園における「重なり志向」を表したものともいわれている。

今では枯山水の石庭で世界的に知られていますが、ここまで有名になったのは1975年にエリザベス2世が龍安寺を公式訪問した際に石庭を称賛したのがきっかけ。

当時の禅ブームの後押しもあって世界的にブレイクしました。

また石庭の正確な築造時期や作者、意図などが定かでないため、謎深き庭として様々な憶測をよんでいます。

方丈(重要文化財)

元の方丈が寛政9年(1797年)の火災で失われた後、塔頭の西源院方丈を移築したもの。

慶長11年(1606年)、織田信包による建立。

本来ここには狩野派の手による襖絵があったが、それらは明治初期の廃仏毀釈の影響により寺から出て散逸してしまった。

現在の襖絵は、龍と北朝鮮の金剛山が題材で、1953年(昭和28年)から5年がかりで皐月鶴翁によって描かれたものである。

知足の蹲踞(つくばい) – 蹲踞は茶室に入る前に手や口を清めるための手水鉢のこと。

茶室「蔵六庵」の露地にあり、水戸藩主徳川光圀の寄進によるものと伝えられている。

見学コースで方丈北側にある蹲踞は精密な複製である。

蹲踞の上部にある文字は一見「五・隹・疋(但し、上の横棒がない)・矢」と読めるが、水溜めに穿った中心の正方形を漢字部首の「口」と見て「吾れ唯だ足るを知る」となる。

「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という禅の格言を謎解き風に図案化したものである。

桜が美しい鏡容池では、春は桜と雪柳、夏は睡蓮や蓮の花、秋には鮮やかな紅葉が見られます。

鏡容池には弁財天の鳥居が建つ弁天島と伏虎島(ふしとらじま)の二つの島があります。

鏡容池を左に見て石庭拝観入り口の庫裏に向かう道には背の高い紅枝垂桜から花の枝が降り注ぎます。

桜の特徴
サクラの種類によって微妙に咲く時期が異なるため、長期間にわたり楽しむことができます。

桜の種類
ソメイヨシノ、ヤマザクラ、ベニシダレザクラ、ヤエザクラ

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京の桜の隠れ里 原谷苑


原谷苑は「京の桜の隠れ里」と言われており、20種以上の桜が植えられています。

期間限定で一般公開され、3月上旬~中旬は梅、3月下旬~4月下旬は桜、11月下旬~12月上旬は紅葉を楽しむことができます。

特に枝垂れ桜の名所として有名で、春になると大勢の花見客で賑わいを見せます。

レンズベビーで・・・

桜だけではない原谷苑の花々。
原谷苑の主役は、シャワーのような八重紅枝垂桜ですが、脇役も多士済々です。

白の雪柳、黄色のヤマブキ、ピンクの吉野つつじが準主役として脇を固めます。

その他にも、サトザクラ、桃、木瓜(ボケ)、シャクナゲ、利休梅・・・と挙げていけばキリがないくらいのたくさんの花々で彩られます。

多くの花木に名札がかかっているのもうれしいところです。

原谷苑はちょっとした植物園です。

原谷苑の桜の見ごろですが、京都市内のソメイヨシノが見頃から一週間遅れて見頃を迎えます。

山あいにある原谷苑なので、京都市内では散ってしまった後でもまだ桜が楽しめるというのは重要なポイントです。

見頃の目安

1月末~ 河津桜~3月1週目から10日頃満開

3月一週目~ 京都御苑近衛邸跡、霊山観音などで山桜、枝垂桜などが開花~20日頃満開

3月半ば頃~ ソメイヨシノなど主要な桜が開花:東寺、清水寺、龍安寺(少し遅め) 
3月末から4月初旬に満開

4月1週目~御室桜開花、10日頃満開 原谷苑の見頃は御室桜の少し後4月7日頃~ 北野桜開花。

昨年と同様に進捗すれば、原谷苑では10日以降に見頃に入るものと推定されます。

ただし、ソメイヨシノはもう少し早めに見頃に入ります。

また原谷苑の入苑料はなんと時価!

花の咲き方によって300円から最大1500円までという幅があります。

肝心なのがアクセス。

桜が咲く春の一般公開中は自家用車で行くことは不可能。

まず1つめのアクセス方法は京都市バス。
立命館大学前と原谷の間を結ぶM1系統は1時間に1~2本しかありませんが、唯一の原谷へ通じる公共交通機関です。
2時間に1本程度ですが北大路バスターミナルと原谷を結ぶルートもあります。

2つめのアクセス方法はタクシー。
バスの時間が合わない場合はおとなしくタクシーの利用がベター。
例年、北野桜が咲いていますので、北野天満宮で北野桜を楽しんでから、タクシーで原谷苑に向かうといいでしょう。

3つめのアクセス方法はシャトルバス。
実は原谷苑へ向かうシャトルバスが運行されているのはあまり知られていません。
乗り場はわら天神宮の鳥居前あたりで、原谷苑の門前まで9:00~16:00の間を約10分で結んでいます。

4つめのアクセス方法はツアーに参加すること。
桜シーズンの京都は各旅行会社によるツアーが数多く販売されていますが、原谷苑がコースに入っているツアーも毎年企画されています。

原谷苑以外の桜も同時に楽しみたいのなら、お手軽にツアーに申し込むのが賢いかもしれません。

ツアー参加の場合はタクシーで原谷苑へ向かうことになります。

「原谷苑」へは、ハイキングで辿り着けるのか?

もちろんいけないことはありません。

公式のサイトによれば、市バス北1系統源光庵バス停より約2.5kmほど、所要時間は約30~40分と書いてあります。

ただ、平坦な道ではないので、歩き慣れている方ならばまだしも、ハイキングを普段しない方は避けた方がいいかもしれません。

その他、鹿苑寺金閣より、約2.2kmほど、所要時間は約30~40分。

御室仁和寺より、約2.1kmほど、所要時間は約30~40分になります。

ちなみに筆者は前回は源光庵バス停より徒歩で、今回は北野天満宮からタクシーで・・・

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哲学の道~南禅寺


どうやら寒の戻りは終了らしい、いよいよ待望の春到来といったところか。

霊鑑寺へ行ったついでに哲学の道を南禅寺まで歩いた。

道の名は、大正時代に哲学者の西田幾多郎がこの道を散策しながら思索にふけったことに由来する。

法然院近くには西田が詠んだ歌「人は人、吾はわれ也、とにかくに吾行く道を吾は行くなり」の石碑も見られる。

哲学の道の桜は、近くに居を構えた日本画家・橋本関雪と妻・よねが、1921年(大正10年)に京都市に300本の桜の苗木を寄贈したのに始まる。

寄贈の経緯は画家として大成した関雪が、京都に対する報恩を考えた際によね夫人が桜を植えてはどうかと発案をした事による。

当初の木はほぼ樹齢が尽きたと思われるが、佐野藤右衛門らの手により植え替えられ手入れされ現在に至っている。

代替わりをした今でも桜並木の名称として「関雪桜(かんせつざくら)」と呼ばれている。

「日本の道100選」に選定されている。

若王子橋から浄土寺橋まで続く疏水沿い、全長約2kmの散策道には、約400本のソメイヨノなどが咲き誇る。

満開時の桜のトンネルは感動的だ。

人の顔を思わせる石があった。

蹴上発電所は琵琶湖から京都へ水を導く「琵琶湖疏水」を利用した水路式水力発電所です。

日本初の事業用水力発電所として、明治24年(1891年)に運転を開始し、運転開始から125年以上経った今なお、現役の発電所として電気を送り続けています。

日本初の路面電車は「京都」琵琶湖疎水記念館
京都の偉大な産業遺産である「琵琶湖疏水」は、大津市観音寺から京都市伏見区堀詰町ま … 続きを読む →

冷泉通を疏水沿いに行く桜の穴場
川端冷泉通りを疏水沿いに行く道は、桜の穴場として親しまれています。
… 続きを読む →

この夷川発電所は、明治23年(1890)に琵琶湖疏水が竣工し、翌年にその水力を利用した我が国最初の事業用水力発電所である蹴上発電所が建設された後、第二疎水計画と軌を一にして、下流の墨染発電所と同時に建設されました。

田辺朔郎は、在学中に、京都府知事・北垣国道が、遷都で疲弊した京都の活性化のために、角倉了以・角倉素庵時代からの長年の懸案だった琵琶湖疏水工事を天皇下賜金で断行することを知り、1881年(明治14年)に卒業研究として京都へ調査旅行に赴き、卒業論文「琵琶湖疏水工事の計画」を完成させる。

のちに同論文は海外雑誌にも掲載され、イギリス土木学会の最高賞であるテルフォード賞を授与された。

大鳥圭介工科大学校学長の推薦により、1883年(明治16年)に卒業と同時に京都府の御用掛に採用され、弱冠21歳で大工事である琵琶湖疏水の担当となる。

工事途中の1888年(明治21年)に議員の高木文平とともに渡米し、ダムや運河の水力利用で世界的な製紙の町となったホルヨーク (マサチューセッツ州)や世界初の水力発電を実現したアスペン鉱山を視察し、当初予定の水車動力を水力発電に変更し、蹴上発電所を創設。この変更は、のちの京都の近代産業化に大いに寄与した。

蹴上インクラインは、南禅寺の近くにあり、全長582mの世界最長の傾斜鉄道跡で、高低差約36メートルの琵琶湖疏水の急斜面で、船を運航するために敷設された傾斜鉄道の跡地です。

1891(明治24)から運航し、舟運の衰退とともに1948(昭和23)年に役割を終え、現在はその廃線跡は京都市の文化財に指定されています。

琵琶湖疏水クルーズの船が着いたところです。

義経地蔵は、鎌倉時代作という。

厚肉彫りの阿弥陀坐仏であり、舟形光背を背負う。

義経伝説と大日如来の信仰が一体化し、義経大日如来とも呼ばれた。

本来は、石造地蔵(九体仏)の一つであり立像もあったという。地

蔵は、義経伝説とは関係なく、近くの粟田口刑場で処刑された人々を弔うために安置されたともいう。

蹴上・義経伝説 

蹴上は古く「松坂」と呼ばれ、松の生い茂る急な峠だったという。

蹴上の語源としては、「馬の蹴り上げ」、「力を入れて蹴り上げる」が由来という。

また、「つま先上がりになるほどの急坂」を意味するともいう。
 
義経地蔵は、蹴上の地名に関わりがあるともいう。

平安時代後期-鎌倉時代初期の武士・源義経(1159-1189)にまつわる伝承が残る。

義経は、平家打倒を胸に秘め、鞍馬山より橘次(さつじ)末春(金売吉次、吉次信高)に従い、奥州平泉・藤原秀衡のもとに赴いた。

それに先立ち、首途(かどで)八幡宮で旅の無事を祈願している。

1177年秋、日の岡峠(現在の蹴上)に差し掛かり、京都へ入る平家の武士、美濃国の関原与市(与一)重治(せきはら-よいち-しげはる)の一行とすれ違う。

その従者の一人(馬とも)が峠で湧水を撥ね、義経の衣を汚した。

一行は謝罪もせずに通り過ぎたため義経は怒った。

9人(10人とも)の武士をその場で切り捨て、与一の耳鼻は削いで追い払ったという。

また、与一も斬られたともいう。
 
義経は、東へ向かう門出の吉兆として喜んだ。

村人は、斬られた9人の菩提を弔うために、9体の石造地蔵(九体仏)を九体町(山科区)に安置して弔ったともいう。

また、我に返った義経は村人に菩提を弔うように頼んで旅を続けたという。

九体仏の1体が安置されたのが現在地、九体町付近だったという。(『異本義経記』『山城名勝志』『雍州府志』)
 
九体仏のうちの1体は、「義経大日如来」としてこの地に安置された。

かつて、祠の傍らに「鎧掛けの松」があったという。

九条山には4体の石仏がいまも点在するという。

国道北側に3体が祀られているともいう。
 
義経が血糊の刀を洗ったとされるのが「太刀洗池」といわれる。

蹴上の南東に当たる、現在の山科区御陵血洗町(みささぎ-ちあらいちょう)付近にあったという。

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谷の御所 椿寺 霊鑑寺門跡


「椿の寺」として知られる霊鑑寺は、承応3年(1654)、後水尾(ごみずのお)天皇の皇女・多利宮(たりのみや)を開基として創建され、歴代皇女が住職を務めた尼門跡寺院。

霊鑑寺-参道入口にそびえる「表門」
霊鑑寺の入り口にある表門は、江戸時代の1687年の建立と伝わります。

別名「谷の御所」と呼ばれた格式と清楚な佇まいを今に伝えています。

本堂は江戸幕府十一代将軍・徳川家斉が寄進したもので、如意輪観音像を安置しています。

後水尾天皇が椿を好まれたことから、広い庭内には100種以上の椿が植えられており、日光(じっこう)椿(京都市指定天然記念物)をはじめ、散椿、白牡丹椿、舞鶴椿などが、色とりどりに咲き誇ります。

霊鑑寺散椿

霊鑑寺で参拝客を真っ先に迎えてくれるのは、門をくぐってすぐ左正面目に姿を表す梅の古木と散椿の古木です。

開基の浄法身宮遺愛と伝わります。
日光の巨椿があった頃は、右手に日光、左手に梅と散椿があったことになるので、花の盛りに門をくぐるとさぞや華やかな光景であったことでしょう。

散椿は樹下に紅色の花弁を散り敷いてたいそう華やかです。

後水尾天皇遺愛と伝わる日光椿

かつてここには樹齢400年と言われた日光(じっこう)という椿(京都市天然記念物)がありました。

残念ながら2015年に枯死して今はその姿は見られません。

枯死した日光椿は後水尾天皇も愛でたと伝わる古木椿です。

3メートルほど離れた場所に生えている日光椿は、元の椿と根がつながっていたたので、市の指定天然記念物はこの日光に引き継がれることになったそうです。

在りし日の日光について、「ジャパンカメリア」146号(1995年)では、「当寺第一の巨椿」とし、樹高8m、地上10cmの幹周110cm、地上40cmで二股に分かれている、とあります。

また「根は地上に出て丘を下って、そこから数本の子株が生えている」とあるので、現在天然記念物の名を引き継いだ日光椿はそのうちの一つの子株の木なのでしょう。

日光があったのは門のすぐ近くだったので、通常一般公開されていなくても外から塀越しに眺めることができたという。

それほどに大きな木だったということで、創建当時からあったと考えられ、樹齢350年と推察されていました。

濃朱紅色の花弁と唐子の花姿が印象的な日光(じっこう)は、江戸時代頃には既にあった古典品種です。

京都や関西では日光と呼ばれますが、他の地域では紅唐子(べにからこ)と呼ばれることが多く、中部地方では紅卜半(べにぼくはん)とも呼ばれます。

貞享4年(1687)、後西天皇当時の御所御殿(今の書院・居間)を寄せられた時、諸堂を現地に移建された。

それまでは南の鹿ヶ谷(ししがたに)の渓流に沿っていたので、この寺を谷御所または鹿ヶ谷比丘尼(びくに)御所という。

椿は桜のように一斉に咲いて一斉に散るということはなく、品種によって咲く時期が違うので、長く楽しめるとのこと。

春になって緑が濃くなった苔の上に鮮やかなピンクの散り椿!

春らしく、とても風流です。

庭園で見ることができる椿は、日光椿(京都市指定天然記念物)をはじめ、散椿、白牡丹椿、舞鶴椿など、100種類以上。

椿は種類によって開花時期が異なるため、訪れる時期によってちがった景色を楽しめます。

開花中はもちろん、苔の上にぽとりと花が落ちる姿や、散椿の花びらが地面に散り積もる様子など、散ったあとも美しいのが椿の醍醐味です。

尼門跡寺院

江戸時代は比丘尼御所(びくにごしょ)と呼ばれました。

皇女・女王が住持する尼寺、またはそれに準ずる摂関家の女子・養女が住持する尼寺で、江戸時代末には、皇女・女王が住持の「御宮室」8箇寺と、摂関家の女子・養女が住持の「御禅室」7箇寺がありました。

・御宮室(大聖寺、宝鏡寺、曇華院、光照院、霊鑑寺、圓照寺、林宮寺、中宮寺)
・御禅室(慈受院、三時知恩寺、法華寺、瑞龍寺、総持院、宝慈院、本光院)

明治以降、比丘尼御所号は廃され「尼門跡」と称されます。

最近はいろんなお寺で花手水をされていて、ちょっとしたブームです。

椿ばかりではありません、随所に目を引く仏像など・・・・

ふと見上げると青もみじが陽に照らされています。

男子トイレの案内、オシャレですね。

「霊鑑寺」春の特別公開
2022年3月19日(土)~4月10日(日)

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