もうすぐ春


まだ花の少ない時期、モクレンが目立ちます。

もう明日から春分です。

2022/03/21:初候 雀始巣(すずめ はじめて すくう)
2022/03/26:次候 桜始開(さくら はじめて ひらく)
2022/03/31:末候 雷乃発声(らい すなわち こえを はっす)

ここ数日でユキヤナギが一気に咲きました。

しかし、季節外れの寒さに襲われています。

三連休最終日から連休明けにかけては広範囲で雨、その後も西日本や東日本を中心にすっきりとは天気が回復せず、気温も低い傾向となる・・・と予想されている。

護国神社の早咲きの桜はそろそろ終わりを迎えます。

ソメイヨシノも蕾が含み、今にもはじけそうな様子です。

スノーフレークが爽やかに咲いています。

昼前、暖かくなってから散歩です。

心字池ではカモが気持ちよさそうに泳ぐ。

一足早いお花見 住之江公園のカンヒザクラ(寒緋桜)
今日はD800に105mmマクロの組み合わせで一足早いお花見です。 新聞にも掲載 … 続きを読む →

先日お伝えした緋寒桜もまだきれいに咲いています。

当初は新聞にも掲載され、多くの人が訪れていましたが、今は静かです。

ゆっくりと鑑賞できます。

家の近くで「思いのまま」を見つけました。

1本の木に紅白の花を咲き分ける品種です。
実際には多いと「紅色」「淡桃色」「白色」「斑入り」「絞り」の5色に咲き分けるようです。

この「思いのまま」という品種名の由来ですが、品種改良の際に思うような色の花が出てこず、改良を手掛けた園芸家にとっては「思いのまま」にならず、梅にとっては「思いのまま」に花を咲かせることから命名されたようです。

世の中思いのままにならないことの多いことよ。

春分の日と夕日
今までにお彼岸にはよく夕日を追っかけて走り回りました。

二上山に沈む夕日
高見の郷の桜の後は道の駅で買い物をしたりと楽しいドライブです。 「道の駅宇陀路 … 続きを読む →

橋上への落陽ならず
春分の日、秋分の日は明石海峡大橋上に陽が沈むという。 少し早めだが天候を見計らっ … 続きを読む →

四天王寺に有難い夕陽を拝む
もうすぐお彼岸です、ここ四天王寺ではお彼岸に西の海に沈む夕陽を拝して、西方極楽浄 … 続きを読む →

真西に沈む夕日が浄土への白道
仏教では涅槃の世界を「西方浄土」と呼ばれる通り、阿弥陀仏の極楽浄土は「西」にあるとされています。そのため、真西に太陽が沈む春分の日(秋分の日)は夕日が極楽浄土への道しるべになると考えられていました。
この太陽が示す極楽浄土への道を「白道(びゃくどう)」といい、この白道を信じて進めば必ず極楽浄土に行けると言う信仰が生まれたんですね。

日想観は石鳥居の中心に沈む夕日を拝んで極楽浄土を観想する伝統行事で春分の日と秋分の日に執り行われる。

暑さ寒さも彼岸までといいますけど、彼岸の時期は一番過ごしやすい時期ですよね。
ただ、この時季の平均気温は秋より春が低めですので、体調管理は十分ご注意してお過ごしくださいね。

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北野天満宮 花の庭


残されていた庭石を利用して「花の庭」が復興されたというので北野を訪れた。

今日はあいにく「三寒四温」の寒の日でとても寒い。

「三寒四温」は、本来は冬の気候。
おまけに外国に多い現象。

しかし、今は日本の気候に合わせて2月から3月上旬、冬から春への季節の移り変わりの時期に使われるようになっているようだ。

梅苑「花の庭」 – 明治時代までこの地には、北野社神宮寺成就院(成就坊)があり、そこには俳諧の祖と仰がれる松永貞徳が作庭した庭園「花の庭」があった(一説には祇園にあったともされる)。「

花の庭」は、妙満寺塔頭・成就院の「雪の庭」(現在は本坊の庭)、清水寺塔頭・成就院の「月の庭」とで、成就院「雪月花の三名園」と呼ばれていたが、明治時代に成就院が廃されると「花の庭」も壊された。

しかし今年、2022年(令和4年)に残されていた庭石を利用して「花の庭」が復興された。

苑内を一望できる特設舞台が設置されている、しかし、花はまばらで迫力に欠ける。

その点、道明寺天満宮では参拝者が目の高さで梅を観賞できるよう、梅の剪定を何度か行なっています。
道明寺天満宮梅が見頃
天満宮には、なぜどこにでも「使いの牛」があるかご存じですか。 大宰府天満宮 大宰 … 続きを読む →

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日暮れ時 住吉大社


今回もD800に50mmf1.8の組み合わせ。

この時期住吉っさんは4時半に閉門です。

上の写真の右側の古木、かなりの老木で貫禄です。

結城のしだれ梅

太鼓橋脇の紅梅

住吉公園心字池畔の梅

澪標の巻は、光源氏が住吉神社に参詣する場面を描いている。

その際に、源氏のかつての愛人明石の上が、船に乗って沖合に現れる。

源氏はそれを見て、鉢合わせになることを恐れ、引き返す。

この絵では、牛車に乗っている源氏の前に、明石の上を乗せた船を描いている。

巻のなかの最も劇的な部分をイメージ化している。

無形文化財の住吉踊りがかっぽれのルーツといわれています。

住吉大社では毎年6月14日「住吉の御田」として知られる御田植祭りがあり、無形文化財の「住吉踊り」が奉納されます。

江戸の願人坊主(がんにんぼうず)たちがこの踊りのバリエーションを始めたといわれます。

住吉踊りには「御連中」という一座があり、それは広重の浮世絵江戸百景の中にも描かれています。

汐掛道 此の参道は昔住吉大社の神事の馬場として使われていた場所で社前から松原が続き出見の濱に出る名勝の地であった 浜で清められた神輿が通るために汐掛道と称した  古くから白砂青松の歌枕の地として多くの文人墨客が往来した

住の江の 岸に寄る波 よるさへや  夢の通い路 人目よくらむ         古今和歌集 藤原敏行
我見ても 久しくなりぬ 住吉の 岸の姫松 いく代へぬらむ             古今和歌集 詠み人知れず
住之江の 松のねたくや よる浪の よるとはなげく 夢をだに見て             藤原定家
まつかげや 岸による浪 よるばかり しばしぞ涼む 住吉の濱                藤原定家

住吉大社 松苗神事2013
境内に松の苗を植樹し、俳句を披露する神事。 平安時代から住吉大社に伝承されている … 続きを読む →

岸の姫松
住吉の 岸の姫松 人ならば 幾世かへしと 問わましものを (読み人知らず) 古今 … 続きを読む →

住吉の 岸の姫松 人ならば

幾世かへしと 問わましものを

(読み人知らず)

光と影~レンブラント光線
昨日の日暮れ薄明光線が見られた。 「薄明光線」のほか、別名が多数ある。 気象現象 … 続きを読む →

光芒とも呼ぶ。

天使の梯子(てんしのはしご、angel’s ladder)
天使の階段(angel’s stairs, angel’s stairway)
ゴッドレイ(God Ray)
ヤコブの梯子(Jacob’s ladder)
レンブラント光線

きれいな夕焼けです。

住吉の松を象徴するがごとく公園には松が多い。


位置を変えながらいろいろな構図で撮って見た。

中々絵になると思いませんか。

昨日は二十四節気「雨水」の最終日。

この「雨水」の頃から春にかけて降る雨は、「養花雨 (ようかう)」や「催花雨 (さいかう)」と呼ばれ、梅や桜など春の花の開花をうながすと言われています。

日中はストーブもいらなくなり、ちょっと動けば腕まくりをするほどに暖かくなってきた今日この頃。

この頃から草木も芽を出し始め、昔から雨水は農作業の準備を始める目安とされました。

次の二十四節気は、『啓蟄(けいちつ)』です。

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大阪城散策


天満に所用で出かけたおり大阪城を散策、時計回りに一周した。

今回もD800に50mmf1.8の組み合わせ。

OMM(大阪マーチャンダイズマート)のところにある飛び駆けるマーキュリー像。

像の前にある説明板によれば、これは16世紀イタリアの彫刻家ジャンボローニャ作の「飛び駆けるマーキュリー」(イタリア国立美術館)をもとに昭和47年10月につくられたもので彫像鋳造はフィレンツェのブルノ ベアルジ。

午後の日差しがビルを照らす。

平成元年(1989)ドーンセンター建設に伴い深さ2mの地点で発見された石垣を、地上に移築。

高さは約3.3m、野面積み石垣。
秀吉の晩年、慶長3年(1598)に大坂城防衛のため造られたもので、大坂冬の陣後に家康によって取り壊され埋めらたもの。

総延長約150mの石垣で大手門学院小学校まで伸びていた。
現在、石垣は路上に面しており見学自由。

大阪城 乾櫓

大阪城西の丸(二の丸)の西北に位置し、櫓の西側と北側が西外堀に面している。

昭和20年(1945)8月、第二次大戦時の空襲では爆弾が乾櫓北側の水掘に落ち、石落としが吹き飛ぶなどの被害を受けた。

昭和31年(1956)から始まった解体修理で、乾櫓は本来の姿にと大々的に修理され、現在、見られる姿となった。

西外堀から望む天守閣

京橋口

京街道に架けられた『京橋』に由来する。

京街道に向かう玄関口であるため、とびきりの巨石が多く使われている。

その中でもひときわ目を引くのが城内第2位の巨石として知られる肥後石だが、昭和40年代までは城内第1位とされていた

正面に見えているのが京橋門枡形 京橋口二番石。

横 11.5メートル 縦 3.8メートル 推定重量 81トン 讃岐小豆島 担当大名は 岡山 池田藩。

三の丸地区の「筋金門跡」

大阪城に残る戦災の傷跡
あまりにも平和ボケしてしまった現代人は、つい半世紀ほど前の戦災のことなど忘れてし … 続きを読む →

大阪城の謎を探る
大阪城の謎を探ると題するツアーに参加した。 大阪冬の陣夏の陣で家康の本陣となった … 続きを読む →


「大阪砲兵工廠正門跡(守衛所・煉瓦壁・石門)」

「守衛所」は現存しているが、当時の屋根は失われており、煉瓦の一部も崩れているなど、痛みが激しい。

現在の「守衛所」は柵で囲われ立ち入り禁止になっている。

「大阪砲兵工廠化学分析場(化学試験場)跡」

三の丸地区の「筋金門跡」(「大阪砲兵工廠正門跡」)付近に「大阪砲兵工廠化学分析場(化学試験場)跡」が遺されている。

この建物は、工廠の「化学分析場(化学実験場)」であった。

建築家の置塩章(砲兵工廠建築部)が設計、大阪橋下組の施工によって大正8年(1919年)に竣工した。

戦後、昭和39年(1964年)~平成10年(1988年)、自衛隊大阪地方連絡部が建物を使用していたが、現在は使用されていない。

建物はネオ・ルネサンス様式で、煉瓦造、地上2階・地下1階である。

北外堀から天守閣を望む。

京橋口を望む。

北外堀の東端、青屋門を望む。

青屋門右の石垣に説明文があります。

青屋口は大阪城二ノ丸の北側に位置する出入口で、青屋門はその桝形の内側に建っています。

創建は徳川幕府の大坂城再築工事が開始された1620年(元和6年)と考えられ、明治維新の大火により被災し、その後、陸軍によって改築されましたが、1945年(昭和20年)の空襲で再び焼失しました。

その為、この青屋門は1969年(昭和44年)に大阪市が残材を用いて再建した門になります。

現状は上部に櫓を乗せる独立した櫓門ですが、江戸時代は櫓部分がさらに北西の石垣沿いに長く伸びていました。

桝形とは敵の侵入を防ぐ四角い区画のことで、青屋口の桝形は二ノ丸の他の各口とは異なり、外側に突き出す出桝形でした。

「青屋」の名前は、戦国時代この地にあった大坂(石山)本願寺の寺内町「青屋町」に由来すると考えられています。

梅林は、大阪府立北野高校の卒業生(六稜同窓会)が開校100周年事業として、22品種、880本を大阪市に寄付した事で、昭和49年3月に開園となった。

今では100品種を超える梅が見られる。

厳しい寒さの中、百花に魁て花を開き、清楚に香る梅の花。

そのゆかしい趣は、日本人の感性を優しく包むきわめて日本的な風情であるが、梅の原産地は中国であり、奈良時代以前に、遣隋使や遣唐使によって日本にもたらされたと言われています。

梅園にはほぼ毎年訪れる。

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梅林は「市正曲輪」という場所にあります。

豊臣時代に秀頼の後見人であった片桐市正(いちのかみ)且元の屋敷のあった場所。

江戸時代には城内警備に当たる大番職を助勢する加番職のための三つの屋敷(加番小屋)が南から順に立ち並んでいた場所でした。

しかし戊申戦争の折りに全て焼失しており残っていません。

内堀から天守台を望む、もう陽も西に傾いている。

徳川期大坂城の桜門の創建は枡形虎口の普請が完成した寛永元年頃といわれているが確証は無いらしい。

明治元年戊辰の役の火災で、虎口内の石垣に焼けた痕跡が残ることから多聞櫓は全焼、この時、桜門は半焼したのではないかと推測されている。

桜門の名称は、豊臣期大坂城二の丸に桜の馬場があり、その門付近の桜並木にちなみ、そう呼ばれたのが始まりだとか。

現桜門の西側に桜門土橋を横矢掛できる曲輪があるが、豊臣期はちょうどそのあたりに桜門があった。


西に傾いた陽が強い影を作る。



千貫櫓、多聞櫓の間から天守閣。

千貫櫓
大手門を北から防御する重要な役割を果たした二層の隅櫓(すみやぐら)。

名称は石山本願寺を攻めた信長軍がこの付近にあった櫓を攻めあぐね、「千貫文を出しても奪いたい」といわれたことに由来するという。

多聞櫓は他の櫓や門などの重要文化財のようにそのまま現存したわけではありません。
1783年に落雷で全焼し、再築されているのが特徴です。

多聞櫓という名前の由来が、戦国武将・松永長秀の多聞城の形式を使った櫓だからというも紹介されています。

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万博公園 梅園


万博公園内の自然文化園の梅林には、5500平方メートルの敷地に約120品種・約600本、日本庭園の梅林には、約40品種・約80本の梅があります。

この2ヶ所の梅林で合計約141品種・約680本の梅の花が楽しめる。

梅の原産地は中国の長江中流、湖北省の山岳部。

「白加賀」は江戸時代から「加賀白梅」の名で栽培された品種と推定される。

主に関東地方に多く栽培される品種で特に群馬県の栽培が多い。
来歴がまったく不明の優良種である。

映山白(エイザンハク)漢字では「叡山白」とも・・・・

豊後系・豊後性の白い八重咲きの大輪(花径30から40ミリ)。

中国原産で、日本へは古代に渡来した。

大盃(オオサカズキ)は、緋梅系・紅梅性の早咲き品種。

花は桃色の中大輪で一重咲きです。

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大阪城梅園 望遠マクロで撮る


久しぶりにいい陽気、森之宮から玉造口を目指す。

手振れしまくるは、AFは亀のようにのろいはでお蔵入りになっていたタムロンSP AF180mm F/3.5 Di LD [IF] MACROを引っ張り出した。

2003年1月1日に発売され、2016年には既に生産終了している。

タムロンのマクロレンズの歴史はかなり長く、1979年の「90mm F2.5 Model52B」から「SP 90mm F2.8 Di VC USD Model F017」まで続いている。

三脚座は取り外し可能。

三脚リングには3つのポジションにマークがあり、素早く垂直・水平に設定することが可能。

FEC機能を備えており、フィルターを操作できるリングを備えている。

リングを操作することでC-PLやNDフィルターを操作可能だ。
これによりフードを装着した状態でもフィルターを操作することが出来る。

SP AF180mm F/3.5 Di LD [IF] MACRO 1:1 には手振れ補正がありません。
焦点距離180mm、かつ、マクロです。

『レンズの弱点はボディで補いましょう』。
このレンズをNikonのミラーレス機 Z6に装着、z6の手振れ補正機能を使うのだ。。

絞りリングを備えているが、対応していないカメラでは「F32」に設定しないとエラーが表示される。

・F8-F11でピークのシャープネスが得られる。
・近距離・遠距離どちらでも良好な解像度となる

離れた場所のターゲットを捉える

邪魔な枝が写らず快適。

カメラの進化で厄介者が一躍脚光を浴びることになった。

これから作品作りに活躍が期待できそう。

このような画像も遠く離れた位置からとらえることが可能。

モデルの撮影をちょいと失礼。

過去の訪問記  

陽気に誘われ大阪城梅園へ
久し振りのつかの間の陽気に誘われて大阪城梅園へ出かけた。 2/14、大雪の中にも … 続きを読む →

春よ来い 早春の大阪城梅園
大阪城梅園で早咲き種の花が開花したと聞きさっそく出かけてみた。 梅園へ向かう途中 … 続きを読む →

大阪城梅園散策
大阪城二の丸東部分にある約1.7万平方mに約1270本の梅が植えられている。 梅 … 続きを読む →

間もなく一番きれいな時期を迎えます 大阪城梅園
間もなく暦の上では雨水、昔から農耕の準備を始める目安とされてきた。 大阪城梅園の … 続きを読む →

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道明寺天満宮梅が見頃


天満宮には、なぜどこにでも「使いの牛」があるかご存じですか。

大宰府天満宮
大宰府天満宮の紋は梅紋。 現在、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ … 続きを読む →

右大臣であった菅原道真は昌泰4年(901年)に左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に員外帥として左遷され、翌々延喜3年(903年)に同地で薨去した。

薨後、その遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため、これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、延喜5年8月、同寺の境内に味酒安行(うまさけのやすゆき)が廟を建立、天原山庿院安楽寺と号した。

その他菅原道真公の生年が承和12年(846年)6月25日で乙丑の年だからという説。

また薨去されたのも延喜3年(903年)2月25日の丑の日だからとの説があります。

この説から「使いの牛」は、ほとんど臥牛と呼ばれる座った姿勢をしています。

菅公をご祭神とする当天満宮には、ご神霊をお慰めするために、約1万坪の境内に紅白約80種800本の梅樹を植樹し、豊かな香りとともにまさに豪華絢爛、春の訪れを百花に先立って咲き匂います。

当梅園は「大阪みどりの百選」に選ばれています。

また、参拝者の方々に目の高さで梅を観賞していただくために、梅の剪定を何度か行なっています。

2月25日には道真公の御命日であることから、例祭(梅花祭)が行われます。

梅の花をお供えして御神霊をお慰めする行事で、道明寺天満宮の最も重要な祭典です。

埴輪を作って殉死の風習を変えた功績で、垂仁天皇32年(3年)に野見宿禰は土師臣(はじのおみ)の姓とこの地を与えられた。

そして、その子孫である土師氏は野見宿禰の遠祖である天穂日命を祀る土師神社を建立した。

仏教伝来後に土師氏の氏寺である土師寺が土師神社の南側に建立され、やがて神宮寺となった。

伝承では推古天皇2年(594年)に聖徳太子の発願により土師八島がその邸を寄進して土師寺としたという。

この土師氏からはやがて菅原氏や大江氏、秋篠氏が分流していく。

平安時代、土師寺には菅原道真のおばに当たる覚寿尼が住んでおり、道真も時々この寺を訪れている。

この寺のことを「故郷」と詠んだ詩もある。

昌泰4年(901年)、道真は大宰府に左遷される途中に当社に立ち寄って、覚寿尼との別れを惜しんだ。

道真遺愛の品と伝える硯、鏡等が神宝として伝わり、6点が国宝の指定を受けている。

うそかえ神事(1月25日)

菅原道真が左遷先の大宰府に到着した神事の際、襲来した無数の蜂を一群のうそ鳥が飛来して蜂を食い、人々を救ったという故事にちなみ、参拝者たちが授与された木彫りの「うそ鳥」の入った袋を「かえましょう、かえましょう」という掛け声とともに周囲の人と交換しあう行事である。

近年では、縁起として「一年の凶事をウソに替える」や「ウソを誠に替える」などの願いも込められている。

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早咲き種が満開です 大阪城梅園


季節外れの陽気にコロナ自粛もどこへやら蜜を避けて公園で憩う人々。

景色は冬のまま。

枯れ木の目立つ内堀。

大阪城天守閣の東方二の丸で東外堀と内堀の間に位置する曲輪は元は秀吉の家臣で秀頼の後見役であった片桐市正且元の屋敷があったことから市正曲輪と呼ばれている。

大阪の梅の開花は平年で2月10日。
大阪城公園梅林の梅「白加賀」が基準木になっています。

早咲きが見頃を迎え中咲きの品種が咲き始めています。

月影

清白色の中輪花が1月中旬から2月下旬に咲く。
枝も萼も緑色で美しい。

曙枝垂

野梅性 一重。
江戸時代につくられた品種、枝垂れ梅には40品種ほどが知られている。

ローバイは見頃を迎えています。

梅林の間から天守を望む。

毎年1月~3月頃にかけて、早咲きから遅咲きまで100品種を超える、約1270本の梅を楽しめます。

一重野梅

この「一重野梅」という品種、原種に近い素朴さがウリだそう。

「一重」という名前通り、花びらが重なっていないシンプルな花びらが特徴。

花の色は、白または淡い紅色が多いそうだ。

鹿児島紅

紅梅や 見ぬ恋つくる玉すだれ 芭蕉〔其木枯〕

紅梅の中でもとくに紅が濃いものを緋紅性といい、紅千鳥、緋梅、鹿児島紅、五節の舞、緋の句、玉光枝垂などがありますが、あでやかな色合いと芳香の花びらが古くから愛でられ、古典文学にも数多く登場します。

月の桂

青軸性 一重。
花は月影よりやや大きい。 

開花は遅く、清香がある。

当梅林は、大阪府立北野高校の卒業生(六稜同窓会)が開校100周年事業として、22品種、880本を大阪市に寄付した事で、昭和49年3月に開園となる。

今では100品種を超える梅が見られる。

小鳥も蜜を求めて盛んに飛びまわる。

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梅林は花盛り 長居植物園

春告草(はるつげぐさ)、早春、葉に先だって前年枝の葉腋に、1 – 3個の花がつく。

春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど  早春賦

長居植物園では、早咲き・中咲き・遅咲きと開花時期の異なる約30品種の梅の花が咲き継がれます。

緑萼枝垂

天平2年(730年)1月13日、大宰帥・大伴旅人の邸宅(現在の福岡県太宰府市・坂本八幡宮辺りとの説がある。)で開かれた宴会で、いわゆる筑紫歌壇の員により梅花を題材に32首の歌が詠まれた。

この宴会を「梅花の宴」と呼び、これら32首の歌は『万葉集』巻五に収録されている。

これを基に、元号『令和』が制定されている。

文扉

遠の朝廷と防人を訪ねて②
御笠団印出土地 701年の大宝令(たいほうりょう)に定められた軍団(軍隊)の印判 … 続きを読む →

大宰府展示館の中、天平2(730)年正月13日、大宰師大伴旅人の邸で梅花を題とする歌宴が開かれた。
その様子を博多人形で再現されている。

舞扇

「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」菅原道真が大宰府に左遷される時、道真の愛した庭の梅の花に別れを惜しんで詠んだ歌。

後に庭の梅木が道真を追って大宰府に飛んできた、という「飛梅伝説」がある。

緑萼枝垂

遠の朝廷と防人を訪ねて④
太宰府天満宮・北野天満宮・防府天満宮を合わせて「三天神」と呼ぶ。 三天神には諸説 … 続きを読む →

飛梅が一輪寒風にさらされています。

雪月花

北野天満宮界隈
投稿日時: 2019年3月20日
旧称は北野神社。二十二社(下八社)の一社。 福岡県太宰府市の太宰府天満宮とともに … 続きを読む →

飛梅伝説の現実的経緯としては、一説に、道真に仕えて大宰府にも同行した味酒保行が株分けの苗木を植えたものとも

鶯宿

月影

八重唐梅

御所紅

浜千鳥

八重寒梅

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春まだ遠し 長居植物園

震災からもう26年がたちました、私も義妹と両親の家を失いました。

もうすぐ1月20日、二十四節気で「大寒」。

小寒から数えて15日目にあたり、一年で最も寒い時季とされています。

春を待つ気持ちが抑えきれず、長居植物園を散策しています。

季節外れの温かさで時折小雨が降っています。

スイセンが今を盛りと咲き誇っています。

系統によって開花時期が異なり、早いものでは11月中・下旬から、ラッパズイセンなどは3月から4月に開花します。

黄花の花言葉:もう一度愛してほしい、私のもとへ帰って

デメテルの娘ペルセポネは、冥界の王ハーデスに一目ぼれされて、黄泉の国に連れ去られてしまいます。

連れ去られるペルセポネの手から落ちた水仙は、その後黄色い花を咲かせ、黄水仙となったとされています。

ペルセポネの母親で豊穣の女神デメテルは怒り悲しんだことから、「私のもとへ帰って」という花言葉がつきました。

水が抜かれた大池、寒々とした景色です。

こちらも寒そうな景色です、カワウの糞害で木々が変色しています。

振袖柳 (ふりそでやなぎ)が芽吹いています。

最初は赤い皮に包まれているが早春、白い毛に包まれた部分が出てくる。 

この様子がとても美しい。

梅の花が咲き始めています。

梅の木にジョウビタキがやってきました。

庭や公園にも飛来する冬鳥で、「ヒッ、ヒッ」と澄んだ声で鳴き、時折「カッカッ」とも鳴く。

素心蝋梅(ソシンロウバイ)が咲き始めました。

花言葉は「愛情」「慈しみ」「慈愛」「先見」「先導」「優しい心」「ゆかしさ」など。

俳句では冬の季語になっています。

サキシマフヨウの実は5つに割れて毛でつつまれた種子が散る。

水たまりに映った樹影、寒々とした景色です。

ユーカリの林、根や葉の成分が他の植物に影響を及ぼし生長を抑えるとも言われています。

アレロパシー(他感作用)と呼ばれる現象で、自分の生息領域に他の植物が侵入するのを防ぐ植物の”戦略”です。

植物園のユーカリの足元には確かに雑草が繁茂しません。

この成分の影響でしょうか。

ユーカリの木立の中に立つとかすかにいい匂いがします。

ユーカリの成分が香りを発しているのでしょう。

落ちている葉を指で揉むとより一層強い香りがします。

この香りしばらく嗅いでいると気分がスッキリ!!

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