ほぼ4年ぶりけいはんな記念公園


今日もいい天気になりそうだ。
4年ぶりにけいはんな記念公園に行くことにしている。

「芝生広場」抜け「谷あい」の小径を気持ちよく歩いています。

水景園の入り口までバス停から徒歩10分ほどかかり、東京ドーム5個分の敷地面積となる「けいはんな記念公園」の広大さに驚かされる。

まだ営業は始まっていないが、門の前でアゲハ蝶の撮影をしていたお兄さんにまだ仕入れないかなあと聞くと、いいですよどうぞと入れてくれました。

長いアプローチを進みます。

入り口にある「嵐」と題するモニュメント、風雨の中、街角で見かけた道行く女性の姿をモチーフにし、心動かされたその情景を彫刻的フォルムで表現している。

宇治川久司の作品。

巨大な観月橋、いまこここからはいらず、巨石群に降りる。

約500個からなる延長150mの壮大な空間です。

高さ6~7m、重さ20~40(最大70)tの巨石。

ほぼ垂直に切り立った崖と岩場で構成され、立ち入り難い雰囲気を思わせる景観。

石切り場としてのデザイン性も含まれており厳しさのなかにも人の気配を感じさせる趣向となっています。

さりげなく咲くアジサイを眺めながらすすむ。

何千本という数を誇るアジサイ園がよくあるが少しも美しいと思わない。

巨石の中の小径をゆっくり花を愛でながら進む。

巨石一つあたりの重量は約20~40tで、最も重いものは70tに達します。

この辺りは紅葉谷、秋ともなると美しく配置された紅葉と点在する小滝が織りなす庭の造形美を楽しみながら散策できます。

赤に染まった紅葉と水の音が幽玄の美を演出します。

けいはんな記念公園の訪問記録

途中で観月楼(かんげつろう)に寄ります、水景園の中心にある交流施設です。

休憩所、展望所、研修室のほかギャラリー月の庭、相楽木綿伝承館などがあります。

表に出ればそこは水景棚(すいけいだな)、棚田状の水盤が、永谷池と下の池を水の景色として繋ぎます。

飛び石を利用して渡ることもできます。

公園のイメージシンボルが「月」であり、水景園は月の新名所となることをめざし、「観月橋」や月を意識させるオブジェの設置されている。

像はガリレオの子孫たち、フェデリコ・ボナルティ(イタリア)の作品。

望遠鏡で月の観測を行い、月面図を作成したガリレオの科学への探究心は、その子孫である現代人に引き継がれ、月に着陸した。

現代人の科学への探究心が21世紀を切り開く。

現代人の様々な表情をした彫像(抽象化)8体を設置。

永谷池(ながたにいけ)めぐる芽吹きの森を散策します、まず「あずまや」に寄り、振り返ると観月楼が見えています。

永谷池を取り囲む里山林の「芽ぶきの森」の周遊コースは約1.5㎞。

森を背景に広がる水面、美しい自然風景を楽しめます。

冬には水鳥飛来の地となります。

カメがのんびりと甲羅干し。

前方に半夏生の湿地が見えます。

半夏生の頃(毎年7月2日頃)に花を咲かせることから半夏生(ハンゲショウ)とよばれています。

また、葉の一部分を残して白く変化する様子から「半化粧」とする説もあります。
見頃は6月下旬から7月上旬。

こもれびの道進みます、コナラを中心とした落葉広葉樹の森。

足元には野生のツツジが群生します。

春の花や新緑・紅葉と森の美しさを楽しむことができます。

永谷池沿いの小道は木陰を歩きながら水辺の景色や水鳥を眺めることができます。

一周しました、水面上約10mに架かる歩廊橋「観月橋」は水景園の主景となっています。

長さ123mの歩廊橋「観月橋」の奥には、高さ7m級の巨石群が500個立ち並びます。



ここでは岡山県犬島産の御影石を使用しています。

瀬戸内海に浮かぶ犬島(岡山県)から運ばれた花崗岩(さび御影)は、鉄分が溶出した錆(さび)色が特徴です。

巨石一つあたりの重量は約20~40tで、最も重いものは70tに達します。


再び観月楼。

入り口から水景園を眺めています。

一番奥が半夏生の湿地、反時計回りに一周しました。

近くにはユニークに施設もあります、ゆっくりと訪れてみてはいかが。
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穴場!あじさいの隠れ名所 楊谷寺


参道を奥に進むと石段があり、これを上ると『立願山』の額のかかった「山門」が建っている。

長岡京駅では一番のシャトルバスに乗ったのですが既に50~60人の行列ができている。

今日はアジサイウィークと縁日が重なりご覧のような状況。

山門前の阿形の雷神像。

阪急電鉄京都本線西山天王山駅からタクシーで10分。

阪急電鉄京都本線長岡天神駅からタクシーで15分、又はバスで奥海印寺下車後徒歩40分。

西日本旅客鉄道東海道本線(JR京都線)長岡京駅西口からタクシーで15分またはバスで奥海印寺下車後徒歩40分。

というのが本来の姿。

毎月17日の縁日のみ楊谷寺門前まで送迎シャトルバスの便あり。

西山天王山駅東口およびJR長岡京駅西口の2カ所から発着している。

今日は上書院寺宝特別公開がある。
本堂からずっと通しで見られる。

柳谷観音(楊谷寺)は、西山浄土宗総本山光明寺の末寺で、清水寺を開けた延鎮僧都を開祖とします。
伽藍は山の斜面に造られており、奥ノ院と本堂は美しい庭園のある長い回廊で結ばれて います。

しかし、アジサイウィークの志納料と合わせると1500円はちと高いかな。

随所に花手水が用意してある。

楊谷寺、善峯寺、光明寺の3つの寺院は「西山三山」と呼ばれる。

本堂と書院は渡り廊下でつながっており、目の前には江戸時代に作庭された名勝庭園(浄土苑)が広がる。

あじさいの名所としても知られる当山では、毎年6月初旬~7月上旬にかけて、境内に京都最大規模の約5,000株のあじさいが咲き誇ります。

天皇家公家や特別なお客様のみをお通ししてきた上書院からは、戦前に古都百庭として選ばれた名勝庭園(浄土苑)が眺められ、その素晴らしい眺めは多くのVIPに愛されてきました。


【あじさい回廊】

建物内にあり、書院から奥之院まで続く回廊。

名勝庭園やあじさいに彩られた回廊を楽しめる。

愛染堂の前には石版を背負わされている天邪鬼がいて、「あいりきさん」と呼ばれている。

東大寺の香炉を支えている鬼は「邪鬼」と呼ばれている。

寺で見かける邪鬼は、四天王から懲らしめられている小悪魔たちのように見えるが、本当は四天王たちの部下であり、お釈迦様の説法や仏法を邪魔するためにやってくる悪魔たちを追い払うために四天王から「やっつけてこい」と指示を待つ夜叉神(善神)であり、つまり護法神ということになる。

遠景に比叡山も望める。





【あじさいのみち】

本堂から奥の院へと続く参道では、多種多様なあじさいを愛でながら境内を散策できる。

京都にはあじさいの名所とされる寺院はいくつかありますが、その中でもこの「柳谷観音・楊谷寺」は交通の便がよくありません。

京都縦貫自動車道の全線開通により車でのアクセスが向上したものの、一部山道の狭路を走る必要があります。

そのため、大型バスがツアーで大挙押し寄せるようなお寺ではないのでじっくりとあじさい見物を楽しむことができます。

愛らしい仕掛けもあります。




淀殿弁天堂。

美顔美人と芸技達者にご利益がある。

お堂の傍には、淀城に住んでいた淀殿が、毎日顔を洗っていた伝聞が残る湧き水が今も残っている。

淀殿が、当山の観音を信仰し寄進した事を知った信者が、故事に因み寄進した「淀殿人形」が、お前立として置かれている。

この人形は、有職御人形師十二世伊東久重氏によるもの。


境内では弘法大師(空海)が眼病に効く御霊水とした独鈷水(おこうずい)を いただくことができ、毎月17日のご縁日には各地からの参拝者で賑わいます。

独鈷水は、江戸時代に眼の悪かった霊元天皇がそれで眼病を治癒したのをきっかけとして、以後歴代の天皇へ献上されるようになり、明治時代となって皇居が東京に移るまで献上は続けられた。

伝承によれば、弘仁2年(811年)、楊谷寺を参詣した空海は、堂の傍らの湧き水で、眼のつぶれた小猿を抱いてその眼を懸命に洗っている親猿を見かけると、小猿のために17日間の祈祷を行った。

すると満願の日に小猿の眼が見事に開いた。
それ以来、空海はその湧き水を眼病に効く独鈷水として広めたという。

また 毎月17日のみ、御本尊の十一面千手眼観音を拝観することができます。




ハート形のアジサイもありました。

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京都早咲きさくら探索


川端通、春風にヤナギが緩やかに揺れています。

途中で見かけたかわいい猫たち。

冷泉家は現存する唯一の公家の住居だが同志社大学の一角に埋もれた形だ。

五摂家筆頭とされる近衛家の邸宅跡。
かつての庭園にあった池は今も「近衛池」として残り、邸内にあった糸桜は今も名所として知られます。

池に水がなくちょっと寂しい。

ここにあった屋敷は織豊時代の頃に当時の近衛家当主であった近衛前久が建てた物です。

といっても当時戦乱であちこちを流浪していた近衛家にそんな金があったわけが無く、 前久はある「由緒ある金蔓」におねだりするわけです。

この「由緒ある金蔓」というのが島津氏なんです。

一般に糸桜と言われますが、枝垂れ性の江戸彼岸(エドヒガン)で、いわゆる枝垂桜と同じものです。

やや遅れて咲く八重の枝垂桜は八重紅枝垂桜という園芸品種です。

半日の雨より長し糸桜  松尾芭蕉

福島県三春町の三春滝桜(みはるたきざくら)は糸桜の巨木として古くから知られています。
日本三大桜「三春滝桜」は見事でした
樹齢推定1000年超のベニシダレザクラ(紅枝垂桜)の巨木。 国の天然記念物。三春 … 続きを読む →


京都御苑 出水のしだれ桜

「出水の小川」の向かいに銘木「出水のしだれ桜」がたっています。
この回りには桜が少ないため、1本桜で目立ちます。

京都御苑の中には、雪柳が美しいスポットはいくつかありますが、なかでも、宗像神社の東側の雪柳は、なかなか見事なものがあります。

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長徳寺のおかめ桜散り始めてます

コロナ自粛が解除されたので早速京都の早咲きザクラへ。
おりから「ニューヨークが生んだ伝説の写真家永遠のソール・ライター」展が美術館「えき」KYOTO(京都駅ビル内ジェイアール京都伊勢丹7階隣接)で開催されており兼ねて出かけた。

すでに桜は散り始めています。

ピッタシのおかめはなかなか見れない。

遅かりし長徳寺のおかめ桜
3/16所用で京都を訪れ長徳寺に寄ってみる。 すでに見頃を終わっていた。 昨年は … 続きを読む →

見頃を迎えた長徳寺のオカメ桜
3/10に訪問したのですが、3/13京都を訪れた際、気になり長徳寺に寄って見る。 … 続きを読む →

長徳寺おかめ桜咲き始め
3月10日、知る人ぞ知る京都の早咲きスポットである長徳寺のオカメ桜の開花を確認。 … 続きを読む →

今年の出町柳 おかめ桜
法然院の椿を見に出かけたついでに出町柳の長徳寺のおかめ桜を覗いてみる。 今日は4 … 続きを読む →


さすがに地元だけあってMKタクシーはドンピシャの画像をのせている。
長徳寺のオカメ桜 見頃 2021年3月7日 撮影:MKタクシー。

足下を見ると、地面がピンクに染まっています。

この時期ならではの楽しみ方です。

桜は咲いているときだけでなく、散るときまで美しいのが魅力のひとつです。

やや小ぶりな花を咲かせるオカメ桜は、散ったときの姿もまた魅力的です。

その後ソールライタ展を見に美術館「えき」へ、ここでクラブのメンバーとばったり、しばし写真談議に花が咲いた。
ソールライタ展の会期は3.28 日まで、まだの方はお急ぎを。

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亀岡散策


丹波亀山城址、明智光秀によって丹波統治の拠点として機能した城郭。

丹波亀山藩が亀岡藩に改称したのは明治2年6月19日ですが、これはその1か月前に終結した戊辰戦争が関係しています。

前年の慶応4年に勃発した戊辰戦争では、伊勢亀山藩が新政府側、丹波亀山藩は旧幕府側にそれぞれつく形になりましたが、結果としては旧幕府軍が敗れています。

このため、版籍奉還に伴う形で丹波亀山藩は明治政府から改称を迫られて、現在の亀岡になったとされています。

江戸時代初頭には近世城郭として整備された。

大正時代に新宗教「大本」が購入、神殿を築いたが大本事件で日本政府により爆破・破却された。

戦後再建され、大本の本部が置かれている。

大円寺の創建は天文22年(1554)、専譽周公上人を招いて開山したのが始まりと伝えられています。

13代室町幕府将軍足利義輝が帰依した事で寺運が隆盛し当地域の学問所として多くの学僧が集い影響力を持ちました。

古き良き雰囲気を感じられる関酒造は、明治8年創業で屋号は「井づ源」といいます。

関家は、江戸時代には今の亀岡市内に35町もの田畑を所有する富農であり、米相場の商いもされていました。

酒造りは江戸末期に副業として始め、現在の建物は江戸末期から明治にかけて建てられた物です。

昔ながらの手作りの袋しぼりで酒造りをされている。

白壁になまこ壁の伝統的な酒蔵建築が印象的な丹山酒造。

楽々荘(らくらくそう)は京都府亀岡市にある旧田中源太郎邸を使用したホテル。

1898年(明治31年)頃建築の洋館と七代目小川治兵衛作庭の日本庭園が有名。

2018年3月にがんこフードサービスが借り受けて「がんこ京都亀岡楽々荘」として改装開業した。

京都鉄道株式会社(現在の嵯峨野線)の創設者で衆議院議員・貴族院議員を務めた田中源太郎が自らの生家を改築したものである。

煉瓦造りの洋館は1898年頃に本邸として、書院造りの和館は同年頃に迎賓館として建設。洋館と和館の前に広がる650坪の枯池泉回遊式庭園は七代目小川治兵衛(植治)の作庭で、安土桃山時代の石燈籠や鉄製井筒などが亀山城から移設されている。

今日はこちらでお昼をいただいた。

庭を歩くこともできました。

広い芝生が続く向こう側や離れの前は日本庭園になっていて、欧米の庭園の影響を受けた明治時代の庭づくり特色が伺えます。

そして作庭したのは七代目小川治兵衛(屋号「植地」)の手になるものと聞いて納得。

小川治兵衛といえば平安神宮や丸山公園、無鄰菴をはじめとした南禅寺別荘街の庭を作庭した方。

近代庭園の先駆者であり明治の名作庭家で明るく開放的な庭を作っておられます。

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霧の出雲大神宮


亀岡駅に降り立ったら一面の霧の世界。

晩秋から早春にかけて亀岡盆地名物の深い霧(「霧の都 亀岡」とも言われる所以)が発生しており、この季節に京都市内から保津峡や老ノ坂峠を経て市内へ入ると景色が一変する。

霧の規模は全国的に有名で、最大、正午過ぎまで晴れないことも多い。

衛星写真では亀岡市全体が霧の影響で白く写ることもある。

真ん中のポールは両翼を風になびかせるカモメの姿をイメージした作品で、新設のスタジアムに隣接する広場のシンボルとなっている。

京都府亀岡市にあ式内社(名神大社)、丹波国一宮。
旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。

一面霧の海で神秘的でさえある。

2014年(平成26年)に造られた正面の石碑「丹波國一之宮 出雲大神宮」の揮毫は出雲大社現宮司・千家尊祐の筆。

『徒然草』 第236段「丹波に出雲と云ふ処あり」 聖海上人が参拝した際、獅子・狛犬が後ろ向きに立っていた。

これは他に例を見ないことできっと由緒のあることに違いないと思っていると、実は子供のいたずらだったという話。

教科書で教えられることも多い文である。
なお、現在の獅子・狛犬は、当時とは異なるものである。

亀岡盆地東部に立つ御蔭山(みかげやま。御陰山、御影山、千年山とも)の山麓に鎮座。

古くは御蔭山を神体山として祀る信仰があったとされ、社殿は和銅2年(709年)に創建されたと伝える。

旧称は「出雲神社」。別称として「元出雲」や「千年宮」とも。

「元出雲」の別称は、出雲大社が出雲大神宮からの分霊とする社伝に由来する。

いわゆる出雲大社は明治時代に至るまで「杵築大社」を称していたため、江戸時代末までは「出雲の神」と言えば出雲大神宮を指していたとされる。

拝殿は入母屋造、妻入で本殿と同じく檜皮葺を施した舞殿形式の建物であり、明治11(1878)年に官費により造営された。

ここでは4月18日の花鎮祭や、10月21日に斎行される例祭にて、巫女による御神楽「浦安の舞」が奉納されます。

社殿は元明天皇の和銅二(709)年に建立され、現在の本殿は鎌倉時代末期の元徳年間、あるいは貞和元(1345)年に足利尊氏が修造した事が当時の史料から知られています。

祭神の大国主神については、一般には出雲国の出雲大社(杵築大社)から勧請したとされている。

ただし社伝では逆に、出雲大社の方が出雲大神宮より勧請を受けたとし、「元出雲」の通称がある。

社伝では、『丹波国風土記』逸文として「元明天皇和銅年中、大国主神御一柱のみを島根の杵築の地に遷す」の記述があるとする(ただし、社伝で主張するのみでその逸文も不詳)。

この辺りは禁足地、入山禁止。

磐座内は神域、禁足地となります。

「御蔭の滝」は竜神乃神をお祀りする滝としていにしえより地域の源として崇められている。

上ノ社 祭神:素戔嗚尊、奇稲田姫命

祭神は大国主神の祖先にあたる。

社殿は文化10年(1813年)の造営とされる。
大型の一間社流造で、一間社としては珍しく前室を有する。

これより先へは社務所で受付を済ませ、タスキをもらって入山する。

古来より御蔭山は国常立尊の鎮座する地として禁足地とされた。

現在も立ち入り可能なのは、国常立尊を祀る磐座までの参道のみである。

崇神天皇社 祭神:御真木入日子印恵命(崇神天皇)、祭神は、崇神天皇により再興されたという社伝に由来する。

安土桃山時代に入って明智光秀が丹波統治のため古世地区に丹波亀山城を築き城下町を形成したことによって、亀岡は近代的な発展を遂げる。

明智滅亡後も豊臣・徳川政権下において丹波亀山城には羽柴秀勝(於次、信長四男)、豊臣秀勝(小吉、秀吉の甥)、小早川秀秋、前田玄以・岡部長盛ら信任ある人間が配置されるなど京都の西北の入り口として重要視され続けた。

参拝を終えたころには霧も上がりきれいな青空。

神体とする御蔭山、手前は宮池。

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丹波の国 国分寺跡


国分寺の付近は古代丹波国の中心地と云われ、丹波国府が置かれていました。

まだ、京の都が形成される前のはなし。

今は訪れる人も少なく、鄙びた風景の中に佇んでいます。

丹波国分寺跡 遠景手前に回廊跡、奥の樹叢に主要伽藍跡と現境内。

現在の本堂・鐘楼・山門は、安永3年(1774年)の建立。
いずれも亀岡市指定文化財に指定されている。

創建は不詳。出土瓦から実際の創建は奈良時代末期と見られている。
国分寺の付近は古代丹波国の中心地で、現在も丹波国一宮の出雲大神宮や千歳車塚古墳などが残る。

『延喜式』主税上では、丹波国の国分寺料として稲4万束があてられた旨が記載されている。

発掘調査からは平安時代末期頃の再建が認められるほか、平安時代後期の薬師如来坐像が本尊として伝わっているが、文献上ではその後の経緯は明らかでない。

寺伝では、戦国時代に明智光秀の兵火により焼失したため、安永3年(1774年)に護勇比丘によって現本堂が再建されたという。

ただし、国分寺には元禄14年(1701年)銘の鰐口が伝わることから、それ以前には復興されていたと考えられている。

「本堂」前には立派な「香炉」があります。

いつごろのものかは分かりませんが、この場に鎮座して、変わらぬ風景を見ながら、毎日時間の流れを感じているんでしょうね。

周囲は深い草に埋もれています。

暮れていく山肌を照らす光が幾重にも重なる山襞を映し出しきれいです。

国分寺跡遠景、深い森に静かに眠る。

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布袋さんのお寺 養仙寺


丹波七福神の第2番札所。

内外・大小・新旧さまざまな布袋さんが約600体ほどあり、「布袋寺」といわれ親しまれています。

清水焼布袋尊

和顔

家内隆昌
福寿円満
子孫長久
家内安全
学業成就

養仙寺の創建は天平13年(741)とも寛正年間(1460~1466年)とも云われる古寺です。

往時は寺運も隆盛したとされますが度重なる兵火により衰微し、戦国時代には明智光秀の侵攻により衰退しました。

境内に残された石仏、石碑、石塔等は光秀が築城した亀山城の石垣や石造物として利用され寺観も荒廃しました。

すすぎ揺れる丹波の田舎寺、のどかです。

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元愛宕 愛宕神社


京都府亀岡市千歳町国分にある神社。
旧称は「阿多古神社」。
式内社で、旧社格は村社>

愛宕灯篭

亀岡市内には愛宕灯篭がいくつかあり、石灯篭内部にある燭台は町内を回覧板のように各家に回っていく。

この燭台は手提げ式の灯篭になっており、各家は回ってきた燭台に火を灯して次の家に回す。

社伝では愛宕山の愛宕神社(京都府京都市)は当社からの勧請とし、そのため「元愛宕」や「愛宕の本宮」とも称される。

愛宕山の愛宕神社同様に「愛宕の三つ参り」として、3歳までに参詣すると一生火災に遭わないとして信仰される。

つまり亀岡の愛宕神社が最初にあって、そこから京都市に勧請されたと言われているのです。

元祖が亀岡で、京都市のは分社ということです。

亀岡の方が創建年代が500年ごろ。

対して京都市の方が大宝年間(701~704)。亀岡のほうが二百年近くも早く作られています。

しかし、京都市のほうが人口も多いので、いつの間にか京都市側のほうが有名になってしまったわけです。

社伝によると創祀は神代で、山を神籬として祀られたという。

その後、継体天皇元年(507年?)に社殿が創建されたと伝える。

当社付近には丹波国分寺が位置するが、その衰退で僧侶が当社に奉仕したこともあり、神仏習合によって仏像が立てられ「愛宕権現」と称されたという。

現在、その仏像は当社西にある養仙寺に移されている。

また社伝では、当社の分霊が京都鷹ヶ峰に祀られた後、和気清麻呂により嵯峨山に遷され、これが現在の愛宕山の愛宕神社になるとしている。

そのため「元愛宕」「愛宕の本宮」とも称されるほか、社殿には当社が全国の愛宕神社の総本山であると記載してあり、鳥居脇の社号標にも「本宮 愛宕神社」と記している。

社務所の前には「亀岡の名木 大スギ」があり、境内の中央には「亀岡の名木 イヌマキ」。

当社の森にはムササビが住んでいるらしいのだが、参拝時には見かけなかった。

牛松山へ向かう道。

明智越に至り、 明智光秀が織田信長を奇襲攻撃するために、亀岡から京都へ抜けるために利用した山道である。

山道付近は紅葉の真っ盛り。


「和らぎの道」に至る。
桜の名所として有名です。

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初秋 京都植物園


ワイルドガーデンにある『麦わら帽子と少女』のモニュメント、花に囲まれてピンクに染まっています。

タイワンホトトギス、この時期公園のあちこちで見かける。

アップして見ます、花期は9-10月。

茎先に腺毛のある散房花序をつけ、数個の花を上向きにつける。

小花柄は1-6cmになり、軟毛が生えるか無毛。

花被片は6個で、長さ2-4cm、幅4-11mmあり、ラッパ状に開き、白色から淡紫色で内面に紅紫色の斑点がある。

コスモスはこの時期あちこちで人気のようです。

ミツバハマゴウ

藤色の花が咲きますが、それほど密には咲きません。

大小四つの池に囲まれた、なからぎの森は古くから、流れ木の森ともいわれ、ここ下鴨の地に残された山城盆地の原植生をうかがい知ることのできる園内唯一の貴重な自然林です。

カモがくつろいでいます。

森の広さは約5,500平方メートルで、中ほどには、上賀茂神社の境外末社である半木神社があります。

また、池の周りにはカエデ類が多く、特に秋の紅葉は園内有数の美しさです。

半木神社の創建についての詳しい年代はわかっていないそうなんですけれどもともとは西賀茂浮田の森(うきたのもり)にあった3座の神様のうちの1座でそれが賀茂川の洪水によって流されこの地に漂着し留まった事か その流木で社殿を設けてお祀りしたんだそうです。

間もなく紅葉が始まりますが、すごい数のカメラマンが押しかけます。

この時期は鳥の撮影の人も多くいますがゆっくり落ち着いて過ごせます。

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