住吉大社 市えびす


日本中におよそ2,300社ほどあると言われる住吉神社の中でも、十日戎が行われるのは関西だけです。

しかも住吉大社のえべっさんは、大阪でも最古で、長い歴史と伝統を誇ります。

市戎大国社例祭は大阪の住吉区の住吉大社で毎年1月9日と1月10日に行われるお祭りであり、大阪最古のえびす祭りであるとされています。

市戎社・大国社にはそれぞれ事大主命(ことしろぬしのみこと)と大国主命(おおくにぬしのみこと)が祀られており、商売繁盛のご利益があるとされています。

そのため、このお祭りでは「福の餅撒き」により商売繁盛や無病息災を祈ったり、願い事の書かれた祈祷木をお焚きあげするなどの行事が行われています。

住吉大社の市戎大国社例祭は、2022年1月9日と10日の2日程で開催されます。

両日とも10時からご祈祷がスタートし、18時で終了する予定です。

例年であれば福の餅撒きや、タイや伊勢海老も並ぶ魚市で賑わう市戎大国社例祭。

楽しみにしている方も多いので、少し残念ではあります。

大阪の住吉大社は凶が多くて有名です。

とある正月番組でも住吉さんに勤める巫女さんが言っておられました。

この「大凶」が出た時って、最幸に運気が上がる時なんです。

これ以上下がりようが無いわけですから。

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日の出 住吉大社


池田屋、熊野街道と住吉街道の四つ辻角にあって、創業は永禄年間、450年以上の歴史を持つ名店。
明治・大正・昭和天皇にも献上していたという、手造りの「住乃江味噌」が名物。

住吉街道の「経路は住吉大社境内西北角地点の紀州街道を起点に、大社境内を地を横断する。

その道筋は大社第一本宮と旧神宮寺境内との境界道路を通る。

東門北側で境内を抜けたあとはそのまま東進、長居公園通りに合流して終わる。」との説明があります。

大社の木々も日毎に秋色に染まってきます。

御田に降り注ぐ朝日。

御田は刈り取りが済んでひっそりとしています。

11月23日は新嘗祭(にいなめさい、にいなめのまつり、しんじょうさい)です。

太鼓橋、朝露を含んでしっとり。

第一本宮からの日の出。

大社では樹木を拝んでいる人をよく見かけます。

巨木信仰・・・・天を衝く高木、途方もない大きさの巨木、人の寿命をはるかに凌駕する古木に神性を見出したことに始まったとある。

今、七五三参りが全国の神社で盛んにおこなわれているが、天和元年11月15日(1681年12月24日)に館林城主である徳川徳松(江戸幕府第5代将軍である徳川綱吉の長男)の健康を祈って始まったとされる説が有力でだ。

現在では全国で盛んに行われているが、江戸期は関東圏における地方風俗であった。

やがてこの儀式は京都、大阪でも行われるようになり、だんだんと全国に広まっていった。


汐掛道、落ち葉に陽光が降り注ぐ、いつ見ても趣がありいい街道だ。

海岸に上陸した海神が通った道で、出見の浜〜住吉高灯籠〜住吉公園〜住友燈籠〜表参道鳥居〜反り橋〜住吉大社本宮と一直線に連なっています。

汐掛道
住吉大社の旧表参道の汐掛道は、海岸に上陸した海神が通った道で、出見の浜〜住吉高灯 … 続きを読む →

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雨の日


4年間使い続けた愛用のカメラを誤って落とし、小破してしまったことが新規カメラの購入の取っ掛かりになった。

これを機に気になっていたミラーレスの購入を思い立つ。

目に留まったのがニコンのZ6、Z6Ⅱが発売され価格が急落、品質面での新機種開発ではなくプロカメラマンも含めて買いの動きが出てきたようだ。

ヨドバシカメラの店頭にはZ6は無く、納期2か月の張り紙。

カードにXQDカード、CFexpressカード採用していることが目にとまる。
ちなみに読み書きスピードは、

SDカード(UHS-I) 90MB/秒
SDカード(UHS-II) 260MB/秒
XQDカード 400MB/秒
CFexpressカード 1500MB/秒
と、抜群のスピードを誇る。

Zレンズの優秀性が目を引く、これは買いだなと直感。

早速ヨドバシのサイトにアクセス、即購入手続き。

しかし、後がいけません。

XQDカードはニコン純正の64GBのものなのですが、パソコンに取り込むためのカードリーダーはニコンからは販売されておりません。

カメラから直接画像を取り込む仕様のようだが、店頭に展示してあるのはソニー製のカードリーダー価格は¥14,300、これは買えないな、アマゾンのサイトで¥ 2,399のSDカード、XQDカード読み取りのものを購入。

Z6のUSB端子のフタを毎回開けたりUSBケーブルの取り回しと煩わしい、カードリーダは必須です。

と、いう次第で雨の日の試写と相なった次第。

流石にフルサイズ、ボケもなかなかいい。

写りもほぼ満足できるものだ。

しかし、誤算はまだ続く。

撮った画像をパソコンに取り込もうとすると、Lightroom6で読めないのだ。

どうもAdobeの小賢しい戦略のようだ。

Lightroom6は“最後の買切り版”でして、現在の最新Lighroomでは月額利用料を払う「Adobe Creative Cloud」シリーズとなってアップデートを繰り返しているのですが…

AdobeがCreative Cloudへの移行を促しているのか、買切り版であるLightroom6のアップデートが止まってしまい、今後販売される最新カメラにはRAWファイルが対応しなくなっております。

ちなみにCapture N-XD、luminar4、Silkypix等では問題なく読み込める。

しかし、Lightroom6の現像ソフトとしての優秀性は捨てられない。

しかたなくAdobeの用意したDNGコンバーターを使わざるを得ない。

RAW、DNGの両方を用意せざるを得ない。

DNG(Digital Negative)とはAdobeによって開発された画像ファイル形式のこと。

カメラによって形式が異なるRAWファイルをDNGに変換することで、メーカー純正ソフト無しでAdobe製品のLightroomやPhotoshopで開くことができる・・・・としているのだが・・。

これから始まる高速化への道のりはメーカーの思惑も絡み多難のようだ。
しかし、ユーザーを置き去りにした戦略などありようがないのだが・・・・

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早朝 住吉大社


橋については慶長年間(16世紀末~17世紀初頭)に最初に造営されたと伝えられている。
造営者については、豊臣秀頼が造営したという説と、淀殿が造営したという説がある。

架橋当時は住吉大社付近に海岸線があり、本殿と対岸の入り江を結ぶ目的で架橋された橋だとされている。
現在は池の上に橋が架かっている形になっているが、この池は当時の入り江の名残だとされている。

中秋の名月の日には特殊神事観月祭が行われる。

名月が上がる中、反橋上では全国より募った献詠作品の中から入選歌を神職が古式の作法にのっとって披講(ひこう)、続いて住吉踊・舞楽が反橋上で奉納されます。

上町台地基部西端において大阪湾の方角に西面して鎮座する。

海の神である筒男三神と神功皇后を祭神とし、古くは古墳時代から外交上の要港の住吉津・難波津と関係して、航海の神・港の神として祀られた神社である。

伝統的な神事を多く残すことでも知られ、特に御田植神事は全国でも代表的なものとして国の重要無形民俗文化財に指定、夏越大祓神事は大阪府選択無形民俗文化財に選択されている。

社名は、『延喜式』神名帳には「住吉坐神社」と見えるほか、古代の史料上には「住吉神社」「住吉社」などと見える。

また『住吉大社神代記』には「住吉大社」「住吉大明神大社」などとも記されている。

中世には主に「住吉大神宮」と見える。
明治維新後には社号を「住吉神社」と定めていたが、戦後の昭和21年(1946年)に『住吉大社神代記』の記述にならって社号を「住吉大社」に改め現在に至っている。

現在は「スミヨシ」だが、元々は「スミノエ(スミエ)」だった。

例えば奈良時代以前に成立した『万葉集』には「住吉」のほか「住江」「墨江」「清江」「須美乃江」という表記も見えるが、平安時代に成立した『和名抄』にはすでに「須三與之」と記されている[。

本居宣長の『古事記伝』以来の通説では、元々の「スミノエ」に「住江」「墨江」「清江」「住吉」等の表記があてられた中で「住吉」が一般化し、それが音に転じて平安時代頃から「スミヨシ」の呼称が一般化したと解されている(類例に日吉大社<ヒエ→ヒヨシ)。
実際に住吉大社南側の細江川(細井川)旧河口部には入り江があったとみられ、古代にその地に整備された住吉津(墨江津)は難波津とともに外交上の要港として機能し、住吉大社の成立や発展に深く関わったと考えられている。

「日本書紀」や「古事記」の神代の巻での言い伝え。

伊邪那岐命 (いざなぎのみこと) は、火神の出産で亡くなられた妻・伊邪那美命 (いざなみのみこと) を追い求め、黄泉の国(死者の世界)に行きますが、妻を連れて戻ってくるという望みを達することができず、ケガレを受けてしまいます。

そのケガレを清めるために海に入って禊祓いしたとき、住吉大神である底筒男命 (そこつつのおのみこと) 、中筒男命 (なかつつのおのみこと) 、表筒男命 (うわつつのおのみこと) が生まれた。
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夜明けの街 住吉大社


社務所に夜明けの太陽が降り注ぐ。

神々しいばかりの陽が射しています。

ただ今5時半、開門は6時、まだ少し時間がある。

この時間帯の斜光は非常に強い。

前方は神館、この時間帯も熱心な信者さんの参拝が続く。

開門です、第二本宮の屋根越しに夜明けの陽が注ぐ。

梅雨の谷間の爽やかな夜明けです。

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日の出 住吉大社


光が心地よい朝の住吉大社。

梅雨も一休み、青空が広がっています。

第三本宮と第四本宮の間にさす光が好きです。

今6時20分、空に気持ちよさそうな雲が浮かんでいます。

奥に進んでみます。

光が射し込み厳かな雰囲気が広がります。

御文庫(おぶんこ)施主は大坂を中心にして、京や江戸の書籍商たちだった。

奉納された書物は膨大な数に上ると言われています。

侍者社(おもとしゃ)

初代神主田裳見宿禰を顕彰して、住吉大神の最も御傍にて祀ることから、侍者(おもと)と称したのではないかとされています。

近年では「神と人」を結ぶ、仲執り持ちの役目を担ったことから、縁結びの神として篤く信仰されています。


楠君社に来ました、光が強烈です。

初辰まいりの中心的な神社で「はったつさん」と親しまれ、古くより商いを営む方から篤い信仰を受けています。

五所御前、多くのインバウンドであふれていましたが今はひっそりとしています。

この『五所御前』は約1800年前に住吉大神鎮座の際、最初にお祀りされた場所と伝えられる神聖な場所です。

体力・智力・財力・福力・寿力が授かるといわれており、御守にして持つと心願成就という。

参拝者が水をジャバジャバかけていきました、水に濡れるといい感じです。


丹後局は傍らの大石を抱いて男児を出産しました、後の島津氏初代・島津三郎忠久公である。

正面から見たところ、薩摩藩士の燈籠が並び島津家代々の信仰と藩士の忠義を遺す石燈籠です。

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消えた花街の記憶をたどって


細井川に架かる何の変哲もない橋だが・・・・

季刊誌「大阪春秋」平成23年春号 すみよし ~住吉大社1800年の「住吉大社に花を添えた住吉新地 消えた花街の記憶をたどって」という記事によるといわくがありそうだ。

江川橋

新町の粋人・江川兵次郎さんにに尋ねますと、「いやー、実はこの橋は私のおじいちゃんが架けた橋なんです。

新町で瓢箪家という雀鮓をやってたんですが、実は住吉新地にコレがおりまして・・・・」にこっと笑って、左の小指をつっと差し出して、「好きな芸妓にはよ会いたい云うて架けましたんや」。

聞けば、かみさんの目を盗んで店を抜けだし南海電車で住吉公園まで、細井川に橋が無く、公園を通って高燈籠のほうから国道16号線(現在の国道26号線)の大正橋を回って行くのが「もうたまらん!」と、自分で金を出して木橋をかけたのが「江川橋」。

言われて同じ道を歩いてみたのですが、たった3分の違い。

兵次郎さんによると、「たかが」と「されど」の違い、それは「粋」と「無粋」の分かれ目でした。

萬目地蔵さん

国道26号線、住吉公園を南に行くとすぐ陸橋があり、その東詰めに立派な石碑とまだ新しい祠があります。

「浜口萬目地蔵尊の碑」です。

「真志目(まじめ)なら願いも叶ふ 地蔵尊」と大書され、「大阪新町雀鮓本家 江川瓢雀」、その左に、「同加代」、と有ります。

もうお分かりのように、全てが「粋」で通されているのには訳があります。

そうこの碑も実は、粋人の祖父・江川兵蔵四が建てたもので、実は江川橋の袂に有ったものを移築、平成12年、地蔵盆供養としてお化粧直ししたものなんです。

その意味とは、

一 萬目地蔵とは、本来住吉浦の波間から出現したありがたい地蔵菩薩なんですが、真面目なら願いも叶うと小さな「志」の字を加えています。

二 瓢雀とは、瓢箪家の雀鮓の略で、兵蔵氏の号ですが、その左の加代とは? かみさんの名はツチのはずですが・・・・

半世紀にわたり、府内全域の歴史や文化、産業を特集してきた季刊誌「大阪春秋」が4月の182号をもって休刊するという。

貴重な雑誌でしたが残念。

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夕日の街


住吉大社は海に向かって開いている、大鳥居の向こうを南海電車が走っており、その向こうは海だ。。

振り返ると大社の門は閉じている。

朝晩が早いのだ、4~9月 6:00~17:00 10~3月 6:30~17:00 です。

参道を夕日が照らす。

夕日に染まった反橋。

もう少しバック、南海電車や阪堺電鉄の駅から住吉大社に向かうと、まず目に入るのが、大きな西大鳥居、これを一の鳥居といい、神域の入り口、向こうに反橋が見える。。

そしてここが汐掛道、住吉大社の旧表参道の汐掛道は、海岸に上陸した海神が通った道で、出見の浜〜住吉高灯籠〜住吉公園〜住友燈籠〜表参道鳥居〜反り橋〜住吉大社本宮と一直線に連なっています。

汐掛道 | きままな旅人
付近一帯は住吉公園、元は住吉大社の境内で、大社の馬場があった。

公園の中央を東西に走る「潮掛け道」は、住吉大社の表参道だった。

付近一帯は住吉公園、住吉公園は、現在は市民公園で、花壇や池、遊戯施設、コートなどが並ぶ。

住吉公園 気ままな旅人

国道26号に面した所に立つ高灯篭は、住吉大社の灯篭で、鎌倉時代創建の日本最古の灯台とされる。現在の高灯篭は1974年に場所を移して復元されたものであり、元は200メートルほど西方にあった。2005年(平成17年)に内部を改装し、史料館となっている。一般開放は毎月第1・第3日曜の10時~16時。

今は完全に内陸の市街地だが、かつては、住吉公園の少し西側を走る阪神高速15号堺線あたりまで海が迫っていた。

この海に面した住吉大社の社前の風景が、日本の美しい風景の典型とされる白砂青松の原景である「住吉模様」の地。

また鎌倉時代の元寇の時は、蒙古撃退のための住吉大社による住吉大神への「浜祈祷」は、住吉公園の前に広がっていた住吉の浜で行われた。

汐掛道顕彰碑、夕日に染まります。

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朝の街 住吉大社界隈


高燈篭より二百メートルほど西の民家前(住之江区浜口西1)に「住吉高灯籠跡」の碑が立っています。

早朝 住吉大社
夜明けの住吉公園。 この橋は、大正初期の大改修(大正7年~8年)に造られ、唯一当 … 続きを読む →

高燈篭は古くから住吉の名所として広く知られ・・・・

剣先船は、江戸時代の大阪の川船のひとつで、荷物運搬船として活躍した。

宝暦二年(1752年)の調べでは、三百隻ほど運航していたと伝えられている。

住之江でも大和川や十三間川の開削と同時に運航がはじめられた。

船首が刀のようにとがっていたことから剣先船と呼ばれたという。

大阪最古の公園である住吉公園に昭和8年ラジオ塔が建設されました。

エンタツ・アチャコの漫才や甲子園の中学対抗野球等が流されて、市民の憩いの場になっていたようです。 

しかし60年の風雪に耐えたラジオ塔も損傷激しく、住吉公園開設120年を記念して、平成5年10月24日ラジオ塔を新しく建て替えました。

今は一般の放送は流れていませんが、多くの人が早朝からラジオ体操に参加され愛用されています。

古来住吉は松で有名です。

住吉公園に多くの松がありますがかなりの老木も目立ちます。

阪堺電車住吉鳥居前無停留所、この先前方左へ大きくカーブします。

井原西鶴句碑

貞享元(1684)年6月には、和歌の神様が祀られている住吉神社の境内で、一昼夜ぶっとおしで2万3500句もの俳句を詠み散らかしたという記録を打ち立てています。

西鶴は死に様も元禄六(1693)年8月10日に、大坂・鑓屋町(やりやちょう)の自宅で病のためになくなったということしかわからない。

死因は結核だったと伝えられます。
享年52歳でした。

彼の最後の句「浮世の月 見過ごしにけり 末二年」は、「人生は50年といわれているのに、2年も多く生きることが出来た。その二年ぶん、浮世の空にうかぶ月を眺められた幸せよ」とでも訳しておきましょうかね。

井原西鶴といえば江戸の文豪、今風にいえば小説家の走りのような人のイメージがあります。

しかし、彼と文学の出会いは俳句でした。
ただ、井原西鶴の俳句は数が勝負の一発芸。

松尾芭蕉のように一句、一句の言葉を磨き抜いて表現するのではなく、パフォーマンスでした。

天王寺7坂めぐり ⑦真言坂
生國神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が、明治の廃仏廃仏毀釈まで神 … 続きを読む →

生玉神社といえば井原西鶴。

浮世草紙(小説、好色一代男とか)を書く前は俳諧師(俳句読み)だったらしく・・・・

住吉大社文華館

住吉大社には、国宝建造物である住吉四本殿や重要な文化財建造物の他にも重要文化財指定の住吉大社神代記、舞楽面、太刀を始め、古文書類、舞楽装束等の貴重な宝物類が点在して格納され、保存施設設備も十分ではありませんでした。

これら貴重な文化財を火災、破損、散逸等から守るため、一堂に収納保管し、また一般にも公開する等我々祖先が残した大切な遺産を永く後世に継承するため昭和52年5月住吉大社境内地に住吉文華館を建設しました。

御文庫(おぶんこ)は境内後方の神苑隅に南面して建っています。

書物を収めるために創建されたもので、施主は大坂を中心にして、京や江戸の書籍商たちだったとか。
奉納された書物は膨大な数に上ると言われています。

建物は寄棟造り本瓦葺きで、正面に扉がありその上部に唐破風の向拝を付け、2階両側面と1階片面に八角窓を開けています。

地域の文化活動を支えた同社の歴史を証する建物として国の登録有形文化財に指定された、土蔵造り2階建て。

種貸社(たねかししゃ)

元種を授ける神、初辰まいり1番参りで、「願いの種」を授かります。

ご祈祷した「お種銭(おたねせん)」を授かり、これを商売などの元手に加えて、資本充実の祈願をします。

また、子宝祈願の崇敬も厚く、殿内にはお子様を授かった方が奉納した「種貸人形(たねかしにんぎょう)」が喜びの数だけございます。

ご利益:資金調達・子宝・知恵
祭神:倉稲魂命(うがのみたまのみこと)

朝の神々しいばかりの光が降り注ぐ。

早朝は降り注ぐ光の中を歩きます。


反橋に降り注ぐ光。

神々しいばかりの光をあひて参拝。

参拝者もまばらでひっそりとしています。

花ザクロはザクロ科ザクロ属の落葉小高木。

実ザクロの園芸品種でふつう結実せず、八重ザクロの別名の通り花を楽しむために作られたものです。

いろいろな花芸があり、枝先に紅や白の覆輪や八重咲きなどがあります。

古い風情のある屋敷、気になる存在ですが扉は閉ざされたまま。

気になりながら通り過ぎるだけ。
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朝の街 住吉大社


朝の清々しい光の中、若い神職が拭き掃除をしている。

この時間帯人のまばらな境内は静寂が支配している。

五所御前は、住吉大神が降臨した聖地。

神功皇后は、この地の杉の木に白サギが3羽とまるのを見て、住吉大神を祀ることにしたのだという。
 
5月初卯の日には、卯之葉神事が執り行われる。

玉垣内の敷かれた砂利の中から「五」・「大」・「力」と書かれた石を見つけてお守りにすると心願成就の御利益が得られるという。 

古式床しく 卯之葉神事 住吉大社
住吉っさんがこの地に鎮座したのが、神功皇后摂政11年(211)の卯年の卯月の卯日 … 続きを読む →



住吉大社の一寸法師伝説 | きままな旅人

一寸法師の話は室町時代に作られた「御伽草子(おとぎそうし)」の中にあるが、二人が願をかけた神社が大阪の住吉大社なのです。 話の最後は「住吉大社に誓いをたてれば、将来、必ず栄える」という内容の言葉で結ばれている。 住吉大社の …

現在、大海神社は住吉大社の「摂社」とされているが、もともとは「大海神社」の方が先に鎮座していたという。

というのも、住吉大社の祭主「津守氏」の氏神だからである。

『玉葉』承安4年(1174)12月6日条によれば、大海神社神殿は天仁・長承・仁平・承安とおよそ20年ごとに改築が行われたことが記されています。

本殿の神額、住吉鳥居の向こうに扉絵、扉絵は金箔張りで松と住之江を千石船が走る様子が描かれています。

海幸山幸の神話は、誰もが一度は聞いたことのある物語です。

「兄の海幸彦は海で漁をし、弟の山幸彦は山で狩猟をして暮らしていました。

ある日、兄弟は釣り針と弓矢を交換して海幸は山へ、山幸は海へ出かけましたが、弟は魚に釣り針をとられてしまい、代わりのものを作って返しましたが、兄は許してくれません。

途方にくれ山幸が海辺にたたずんでいると塩椎(しおつち)神が現れ、山幸を小船に乗せ海神(わたつみのかみ)の宮殿に行かせました。

そこで海神の娘豊玉毘売と出会い結ばれました。

幸せな3年間の生活が過ぎたころ、山幸彦はふと釣り針のことを思い出し、海神の助けを得て鯛の喉から釣り針を見つけ出し、ワニの背に乗って地上に帰りました。

そして海神に授けられた潮を操る霊力を持つ塩満(しおみつ)珠と塩乾(しおふる)珠の呪力によって兄を屈服させました。

異界に出かけてその世界の神の娘を妻とし、異界の呪物を手に入れて地上に戻り、兄を服属させるという展開は、九州南部に勢力を張り長く王権に従わなかった隼人(はやと)を海幸彦とし、それをヤマト朝廷側の山幸彦(=ホホデミノミコト)が屈服させる。

すなわちヤマト朝廷が隼人族を支配することの起源神話となっています。

『古事記』の神話はここで終わり、ホホデミノミコト(山幸彦)の孫、初代天皇の神武天皇が即位し、物語は神々の時代から人の時代へと移り、天皇家の歴史物語が始まります。

生根神社、祭神について『摂津名所図会』や『住吉名勝図会』では少彦名命とする一方、『神名帳考証』では活津彦根命とする説を挙げる。

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では摂津国住吉郡に「生根神社大月次新嘗」として、式内大社に列するとともに、朝廷の月次祭・新嘗祭では幣帛に預かる旨が記載されている。

文明14年(1482年)には境内に天満宮が祀られ、この天満宮が信仰を集めたため生根神社自体も「奥の天神」と通称されるようになっていた(「奥」は、住吉大社から見て大海神社のさらに奥に鎮座したことによる)。

慶長年間(1596年-1615年)頃には、現在の本殿が造営された。

江戸時代は住吉大社の摂社として推移しており、『住吉松葉大記』には摂末部に「奥天神社」として、住吉神宮寺の社僧が奉仕する旨とともに記されている。

明治維新後、明治5年(1872年)に住吉大社から分離独立のうえ、近代社格制度において郷社に列した。

また明治40-44年(1907-1911年)には近隣の塞神社2社(いずれも旧無格社)・竜王神社(旧無格社)・種貸神社(旧村社)が境内に移されている。

大阪市西成区に同名の生根神社がある。

創建時期は不詳であるが、一帯は住吉大社の神領であったことから、住吉大社摂社であった生根神社(奥の天神。現在は住吉大社から独立)から、少彦名神の分霊を勧請して玉出の産土神としたのに始まると伝えられている。

また、それ以前から蛭児命を祀っていたとの伝承もある。

当神社のある玉出の古名を勝間(こつま)村と言い、当地の名産であった小ぶりで、色の濃い、味わい深いかぼちゃを記念した塚。

江戸時代の大坂では天王寺蕪と並んで有名ななにわ野菜であった。

勝間商人によって、勝間街道を使って大坂まで行商された。中風除け、風邪除けとして冬至にはよく食べられたという。

当神社でも冬至に「こつまなんきん祭」として、蒸しかぼちゃを参拝者に振舞う「こつま南瓜蒸し」神事が行われる。

蒸しかぼちゃを食べ、中風除け・ボケ払い・無病息災を祈願する。
当日はなにわの伝統野菜から作った飴や、こつま南瓜が原料の焼酎も販売される。

石大鳥居再建の記 

石碑、元は慶応年間に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として建立した東大鳥居であったが、解体撤去され現在の地に住吉名所保存会によって再建された。

住吉大社の東の慈恩寺に、見事な桜の大樹が十数本ありました。

後醍醐天皇が住吉大社に行幸の折、慈恩寺の桜があまりにも見事であったので車を引き返らせたことから、慈恩寺の桜を『後醍醐天皇車返しの桜』と呼ぶようになりました。

この桜の花を偲んで、大阪市の『未来樹』に指定して戴き、住吉武道館前に植樹した。

浅澤社(初辰まいり巡拝社)

美容・芸能の神様

住吉の弁天さまともいわれ、芸能・美容の守護神として崇敬をあつめています。

特に女性の方からの信仰が篤く、住吉参詣の時にはここを訪れる慣わしがあります。

鎮座地は、古来「浅澤沼」があり、カキツバタの名所として万葉集にも詠まれています。

祭神
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)

浅沢神社の案内板によると、昔、ここらに清水が湧き、浅沢の池があり、そこに咲くカキツバタが有名になり、歌に詠まれていた。

昭和になり、池が涸れ、カキツバタに代えて花菖蒲が移植されたとのこと。

平成になり、近くの細江川の改修工事に合わせ、水脈を確保し、新たにカキツバタを植えたとのこと(財団法人住吉名勝保存会)。

大歳社(初辰まいり巡拝社)

収穫・集金の神様 大歳社

初辰まいりにて最後にお参りする神社で収穫の神様をお祀りする大変歴史のある古社です。

祭神
大歳神 (おおとしのかみ)

もとは五穀収穫の神として信仰されてきましたが、いつの頃からか集金のご利益にも霊験あらたかな神として広く信仰されるようになりました。

また、大歳社境内に鎮座する、おいとしぼし社の「おもかる石」は願いを占う石として知られ、行列ができるほどの賑わいを見せています。

御田植神事は、神功皇后が211年住吉大社の鎮座に際して御供田に田植えをさせられたのに始まる歴史あるもので、明治維新の際に御田が民間に払い下げられ、御田植神事も廃絶しそうになったそうです。

その際に、大阪新町廓が御田を買い上げ住吉大社に寄進、それを機に新町廓の芸妓が、田植えを行う植女を奉仕するようになったそうです。
夕霧太夫の面影をもとめて新町を歩く
四ツ橋駅~西六平和塔~新町橋~新町通(瓢箪町)~新町北公園~新町九軒桜堤跡の碑~ … 続きを読む →

そんな新町廓も現在はなくなり、今は財団法人上方文化芸能協会が引き継いでいるそうです。

住吉大社お田植え神事2013
社伝によれば、千七百六十余年の昔、神功皇后が大社を御鎮祭の後、長門国から植女を召 … 続きを読む →

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