七夕の夕べ四天王寺2024年

大阪府

聖徳太子建立七大寺の一つ

聖徳太子建立七大寺の一つ
四天王寺は、大阪市天王寺区四天王寺にある和宗の総本山の寺院。

聖徳太子建立七大寺の一つとされている。
山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音である。
2014年に行われた七夕の夕べ七夕のゆうべin四天王寺2014
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地蔵山

明治40年代に近郷及び境内諸方より集めた有縁無縁の地蔵尊を、中之門を入った南側の小丘に合祀したのが始まり。
約150体の実に多種多様なお地蔵さんがいらっしゃいました。

毎月24日午前十時半より「地蔵尊供」の法要が行われています。

亀の池

亀の池には異常にたくさん亀がいます。
仏教には捕まえた魚・鳥・獣を野に放す「放生会(ホウジョウエ)」というイベントがあり、そのときに池に亀が放されてきました。
それが亀がたくさんいる原因です。

株式会社金剛組

株式会社金剛組(こんごうぐみ、英語: Kongo Gumi Co.,Ltd.)は、大阪府大阪市天王寺区に本社を置く、日本の建設会社。

聖徳太子が招聘した宮大工が、飛鳥時代の578年(敏達天皇7年)に創業した世界最古の企業である

創業から1955年の法人化を挟んで2005年まで金剛一族が経営してきたが、同年11月より髙松建設(現・髙松コンストラクショングループ、大阪市淀川区)の子会社(現在は孫会社)へ移行している。

五重塔

四天王寺は、南北一直線上に中門・五重塔・金堂・講堂が並んだ、いわゆる「四天王寺式」の伽藍をそなえており、創建当初から五重塔は威容を誇っていた。

最初の受難は836年の落雷によるもので、塔廟は損壊したが後に再建された。

ところが、この五重塔は960年の火災で焼失。
その後再建された三代目は、4度も地震や兵火による災禍で損傷したが、奇跡的に全壊は免れた。
しかし、石山合戦の最中に全焼してしまう。
のちに豊臣秀吉が再建を確約し、豊臣秀頼の代になって再建が完了した。
しかし、これも大坂冬の陣までの短い命であった。

江戸時代の太平の世にあっても、落雷によってまたも焼失、昭和に入っても室戸台風と大阪空襲で壊滅的な打撃を被る。
今われわれが見る五重塔は、1959年に建てられた八代目である。

阿弥陀堂

法然上人は文治元年(1185)51歳の時に、慈円僧正の招きでここに参詣し往時を慕われお念仏を唱えて日想観を修せられた。

又、高野の明遍僧都が夢に四天王寺の西門のあたりで、病人に粥を施している聖のあるのをみて、それが法然上人であることを知ってめざめ、その後、専修念仏の門に入られたと伝えられている。

記録によると元和三年(1617)に鳥羽法皇が立てた御誓願のもと「短声堂」「引声堂」として再建されたことが記されており、これが昭和20年の戦災で焼失するまで西門にあった。

平安時代以降、念仏三昧院、念仏堂と呼称された堂宇が短声、引声と名を変えて再建されたのである。
現在、念仏堂は無く、阿弥陀堂を札所に定めている。

法然上人像。

「極楽門

「七夕のゆうべin四天王寺」の会場である四天王寺は、お寺なのに鳥居があります。
この石鳥居は神仏習合の名残りです。
またこの石鳥居付近は、1615年(慶長20年)の「大阪夏の陣」で、大坂城を死守する豊臣方と徳川方の最後の決戦の地ともなりました。

伽藍入口の「極楽門」は以前は西大門と呼ばれていました。
よく見ると門の四ケ所の柱にコマ状の小さな車輪「転法輪」がついているのが分かります。
これは御釈迦様の教えが転じて伝わるのを輪にたとえたものです。参詣者はこの門をくぐるときに車輪を回して通ります。

ここ四天王寺ではお彼岸に西の海に沈む夕陽を拝して、西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)を観想する「日想観(じっそうかん)」という修行が行われることで有名ですが今は太陽は遥かな彼方。
彼岸に西の海に沈む夕陽
四天王寺に有難い夕陽を拝む

弘法大師像の向こうを行く参拝者。。

弘法大師修行像。

聖霊院

聖霊院(しょうりょういん)は、聖徳太子を祀る堂で、太子堂とも呼ばれる。

1954年(昭和29年)建立の前殿には太子十六歳像・太子二歳像・四天王が祀られ、1979年(昭和54年)建立の奥殿には秘仏の太子四十九歳像(1月22日公開)が祀られている。

毎年2月22日の「太子二歳まいり」は、子たちの「聡明智慧」を祈祷する行事で、多くの家族連れの参拝者で賑わう

東重門から見える奥殿

笹トンネル

極楽門をくぐると大人気の「笹トンネル」が待っています。
全長約27m、約400本の笹の天井を3万球のLEDで飾り、天の川をイメージしたものです。

五重塔はライトアップされて周囲には荘厳な空気が漂います。
現在の五重塔は8代目で、高さは39.2mの鉄筋コンクリート製です。

笹トンネルのこのあたり、願い事を書いた短冊を結わえます。
○短冊への願い事の記入(短冊1枚300円)
能登半島地震復興祈念500円

吹き流しや笹飾りは最終日、21:30~22:00、一斉に回収、仁王門前で四天王寺僧侶の読経の下に皆様の願いが天に届きますようにとお焚き上げされます。

■ 場所:仁王門前(南大門と中門の間付近)

南i鐘堂

南i鐘堂は、正式には鯨鐘楼(げいしょうろう)という。
鐘は北の黄鐘調に対し、盤渉調(ばんしきちょう)。

吉田兼好は『徒然草』で「六時堂前の鐘の音は黄鐘調と一致する・・・黄鐘調は祇園精舎の無常院の音・・・」と伝えている。

仁王門

四天王寺の「中門」は南大門から入るとその先にある門で、左右に仁王像を祀っていることから「仁王門」とも呼ばれています。

この門も戦後の再建ですが、向かって右が「那羅延金剛力士像」左が「密迹金剛力士像」どちらも大仏師 松久朋琳の作で、迫力ある仁王像は見応えがありました。

アクセス

「四天王寺」へのアクセスは?
公共交通機関で行く場合は、Osaka Metro谷町線の四天王寺前夕陽ケ丘駅、4番出口から南へ徒歩5分。四天王寺前夕陽ケ丘駅の改札口にある、矢印で道筋が描かれた案内地図をぜひ参考にしてみてください。

そのほかの行き方は、
・JR大阪環状線天王寺駅から北へ徒歩12分。
・Osaka Metro御堂筋線天王寺駅から北へ徒歩12分。
・近鉄南大阪線阿部野橋駅から北へ徒歩14分。

車の場合は、
・環状線方面からの場合は、阪神高速道路14 号松原線夕陽ケ丘出口から車で約6 分。
・松原方面からの場合は、阪神高速道路14 号松原線文の里出口から車で約10 分。

駐車場は、四天王寺の南大門に隣接した有料のコインパーキングを使用します。