中島惣社 中島郷48か村の神宮

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孝徳天皇白雉2年(651)長柄豊崎宮に遷都のころ、五穀豊饒を祈って創建したと伝える。
中島郷48か村の神宮であることから惣社という。

明治末年には、19,000坪余(6.3ha)の境内をもっており、崇禅寺馬場と共に一大森林をなしていた。

『摂津名所図会』に「稲荷祠 北中嶋惣社也。
此辺六ヶ村産土神とす。
天満宮社家寺井紳主兼帯所」とあり、もと稲荷神社と称す。

孝徳天皇の豊崎宮のころ、五穀豊穣を祈願され神領を賜う。

慶長末年の大阪の陣で片桐且元の茨木街道沿いの兵火で社殿は消失し、わずかに絵図と建武2年(1335年)の木額だけが残った。
豊臣秀頼の崇敬厚く、「中嶋総社」の四字を記した絹地一通を寄進している

ブロンズの神馬の像もりりしく

芭蕉の詠んだ句を刻んだ「落葉塚」と呼ばれる句碑が建てられている。
この句は1687年(貞享4年)芭蕉と木因が伊勢の多度権現に参拝した時に詠んだ句とされる(笈日記)。
宮人よ わが名をちらせ 落葉川

境内摂社の「大将軍社」は奥の院とも称し、2社・7神を祀る。
社殿は1987年(昭和62年)に改築、再建された。

こちらの梅も見事に開花。

境内末社は若宮社といい、7社・10神を祀る。
社殿は1987年(昭和62年)の再建。

境内末社は若宮社といい、7社・10神を祀る。
社殿は1987年(昭和62年)の再建。

一の鳥居
もとの社域がいかに広大であったかがうかがわれる。
崇禅寺から中島惣社の一帯は崇禅寺馬場と呼ばれ、明治時代には19000坪余りの境内を持つ立派な神社だった。

昭和20年の空襲で焼失、幾度かの改築を経て、現在は美しい社殿に整備されている。
社域より弥生式の土器多数が昭和14年に発掘されている。

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中島惣社へのアクセス、行き方歩き方

住所:大阪市東淀川区東中島4-9-41
電話:06-6322-9929
阪急京都線・崇禅寺駅下車。北へ500m。

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