子午線の町 明石城

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明石の地は、山陽道が通り、北には丹波国、但馬国への道が分かれ、淡路島、四国のルートがあり、古来より交通の要衝であった。

徳川幕府が西国の外様大名の抑えの城として、姫路城についで着目した。
前回訪問時の記事平成の天下普請で復元・修理された 明石城はこちらにあります。

現在中堀の内側は兵庫県立明石公園として整備され、日本さくら名所100選に指定されている。

明石城は豊臣滅亡後の平和時代の築城で、天守台は造られたが始めから天守閣は持たなかった。

本丸の四隅には三層の艮(うしとら)・巽(たつみ)・坤(ひつじさる)・乾(いぬい)の各櫓が建てられたが、維新後に壊されて、現存するのが西南にあたる巽櫓と東南にあたる坤櫓である。

共に桃山城と船上城の遺構を移築したものと言われている。
いずれも入り母屋造りの三重櫓だが、妻部を南北に向ける坤櫓に対して巽櫓は東西を向き、一直線上に並びながらも棟の方向が全く異なっている。

真っ白な羽を広げた鶴が明石海峡を望むように作られ、国の重要文化財に指定されている。

子午線の町、明石公園内の鎧カブトがアクセントの日時計。

明治17年、アメリカのワシントンで開催された「本初子午線並計時法万国公会」で、イギリスのグリニッジ天文台を通る子午線を世界の経度と時刻の基準となる本初子午線とし、そこから経度が15度へだたるごとに1時間ずつ時差を持つ時刻を世界の各国が使用することが決まりました。

日本でも、この決議に基づき明治19年7月12日、勅令第51号で明石を通る東経135度子午線上の地方時が日本標準時として制定されました。

そして、明治21年1月1日の午前0時0分に内務省地理局観象台から全国の電信局に通報され、日本の標準時が使用され始めました。

この時から人々の暮らしのなかで明石の地方時が日本全国の標準時となりました。

とてもきれいに舗装されている登城路を本丸へ向かう。

巽櫓右後方には、微かに明石海峡大橋が見える。
巽櫓はかつては高山右近の船上城にあったものだという。

土塀前には見学しやすいように展望台が敷設されている。
明石海峡に夕日が沈みます。

少しズームアップします、ビルの隙間から海峡が見えます、とてもきれいな夕日です。

『艮櫓跡』

~案内板より~

明石城には、はじめから天守閣が無く、かわりに本丸の四隅を三層の隅櫓でかためた、その一つである東北の艮櫓は本丸の鬼門にあたる櫓として重要であったが、明治初期に学校建築用材として解体され今は見られない。

都市緑化植物園建設工事に伴い、昭和53年1月から3月にかけて調査が行なわれ、文献どおり四間(東西)×五間(南北)の櫓であることが確認された。

礎石、雨落溝の残存状況は良好であったが、保存のため埋めもどし、現在かわりの礎石がおかれている。

薬研掘り近くでネコちゃんに会いました。

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明石城へのアクセス、行き方歩き方

住所:兵庫県明石市明石公園1-27
電話:078-912-7600

JR山陽本線、明石駅、または、山陽電鉄、明石駅下車、北へ徒歩1分

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