真光院(しんこういん)は寺伝によれば、推古天皇2年(594年)聖徳太子の草創で、用明天皇追孝の念仏法会を修した折に、天竺祇園精舎の西北角に当たる無常院に模して、四天王寺の無常院菩提所と定めた。
本尊を引導仏と称した。
当院に聖徳太子が六万体の石地蔵尊を刻んで納めたといい、六万体町という地名にその名を残している。
まず目に入ったのが,木枠で仕切られた6人のお地蔵様。
人の世を6つの世界に分けて,その各々の世界に地蔵様がいらっしゃるという理念に基づいた考えで,六地蔵とも呼ばれています。
別名「六万体地蔵尊安置の寺」として有名だが、この「眞光院」とその周辺には六万体の地蔵が埋まっており、工事などで地面を掘った際、土中から発見されるという。
付近の地名「六万体町」はここからきている。
勝鬘院(しょうまんいん)、山号は荒陵山。
本尊は愛染明王で、愛染堂とも呼ばれる。
四天王寺別院、西国愛染十七霊場・第一番札所、聖徳太子霊跡・第二十九番札所。
ここで天神祭、住吉祭に並ぶ大阪三大夏祭りの一つ「愛染まつり」が行われます。
記事はこちらから→「愛染まつり」は日本一早い夏祭り
慈父地蔵の前には記念写真用の太子の顔出し像が。
この日月梅の碑は、豊臣秀吉が多宝塔を再建された時に、ここ愛染堂の境内に1枝に赤色と白色の花が同時に咲く日月梅(源平の梅)を献植され、赤を太陽、白を月にたとえて戦勝祈願をされたと伝えられています。
惜しくも第二次世界大戦の戦火によって秀吉ゆかりの日月梅は枯れ果ててしまいましたので、その場所に石碑を安置しております。
魚藍観音、そのお姿は髪を中国風に結って、布を頭からふんわり掛けた美しい乙女のように見えます。
また手には魚や貝を入れた手提げのカゴを持ち、裸体に薄い衣をまとって波や魚の上に立っているのが特徴です。
ご利益は、魚介類の供養と海上交通の安全、除毒、無病息災で、特に釣り愛好家・魚屋さん・漁師さん・飲食店・調理師さんから篤く信仰されています。
日々、お魚を美味しくいただいている私たちも、海の恵みに報恩感謝する気持ちをもって、魚籃観音さまにお参りすれば、人間のために犠牲となった魚介類の霊もきっと成仏できることでしょう。
金堂の後ろにそびえ建つ多宝塔は、推古天皇元年(593)聖徳太子によって創建されました。
その後、織田信長の大阪石山寺攻めの際に焼失しましたが、慶長2年(1597)豊臣秀吉により再建されました。
大阪市最古の木造建造物として国の重要文化財に指定されています。
多宝塔の内部には、秀吉が戦勝祈願のために造像させたといわれる大日大勝金剛尊像と、極彩色で描かれた十二天の壁画と柱絵が奉安されています。
毎年6月30日(愛染まつり初日)には、総本山四天王寺の管長猊下と高徳僧侶たちによって夏越しの祓えの大法要が多宝塔を囲んで盛大に行われます。
愛染坂(あいぜんざか)、その名のとおり、坂の下り口ある愛染堂勝鬘院から名付けられた。
大江神社(おおえじんじゃ)は四天王寺の鎮守である四天王寺七宮のひとつ。
祭神は豊受大神、素盞嗚尊、欽明天皇、大己貴命、少彦名命。
大江神社には「夕陽岡」の碑があり、このあたりからの夕焼けは今も美しい。
大江神社の境内の句碑。
これは1817年(文化14年)大坂の俳人三津人によって建てられた。
この句碑の書は森川竹窓と山中松年の画になる。
芭蕉が「奥の細道」の旅の途中、北陸で詠んだ『あかあかと 日はつれなくとも 秋の風』の句が建てられている。
当神社には狛虎というものがある。
狛虎の由来は不詳であるが、300年以上前の作と考えられている。
その昔、狛虎の奥に毘沙門天を祀る堂があり、虎は毘沙門天を護るとされている。
狛虎は元々は阿吽で1対をなしていたが、吽形の方が明治初期に某寺に持ち出されてしまったと言われている。
現在の吽形は2003年に再建されたものである。
狛虎には阪神タイガースのファンより、メガホン、虎の小さい置物やぬいぐるみなどが供えられていることがある。
百歳( ももとせ)の階段、階段は 101段ある。
百歳になれば もう一年 健康で長生きできるよう神様にお参りしましょうと書いてあるが 現在では 百歳( ももとせ)の階段は 時代遅れかな。
伶人(れいにん)町、「伶人」とは楽師のことで、四天王寺の楽師たちが集住していたことが地名の由来です。
『徒然草』には「当寺の楽は、よく図を調べ合はせて、ものの音のめでたく調り侍る事、外よりもすぐれたり。
故は、太子の御時の図、今に侍るを博士とす。
いはゆる六時堂の前の鐘なり。
その声、黄鐘調の最中なり」(四天王寺の音楽はハーモニーが美しく他よりも優れています。
それは太子の時代の音律の教えが今に伝わっているからで、六時堂前の鐘の音色を基準にしています)という伶人の言葉が記録され、作者・吉田兼好も「何事も、辺土は賤しく、かたくななれども、天王寺の舞楽のみ都に恥ぢず」(都から離れた辺鄙な場所にいくと見苦しいものだけど天王寺の舞楽は都に勝るとも劣らない)と絶賛しています。
眼力稲荷大明神(通称ガンリキさん)~泰聖寺のパワースポット~
古来、当山の鎮守の神様である眼力稲荷大明神は、学問に霊験あらたかなりと伝えられ、特に復活、復興、先見の明、「心眼、こころの眼」を授けてくださると云われております。
清水坂(きよみずざか)は新清水清水院に登る坂道をいう。
高台にある新清水寺境内からの眺望は格別で、さらに境内南側のがけから流れ出る玉出の滝は、大阪唯一の滝として知られている。
また、この付近一帯は昔から名泉どころとして知られ、増井・逢坂・玉手・安井・土佐(有栖)・金龍・亀井の清水は七名泉と呼ばれている。
階段の上には広大な墓地が広がる。
京都の清水寺 を模して建立されたために、新清水寺(しんきよみずでら)とも呼ばれる。
境内の西側の崖に柱を組み上げて作った舞台があり、京都の清水寺を彷彿とさせる。
舞台の南隅に「鐘つき堂」がある。
この「鐘つき堂」は写真でもわかるように普通には見かけない珍しいもので、およそ「鐘つき堂」と云う言葉が似合わない建造物である。
覆屋がなく4本の鉄柱で支えられた枠の中央に吊り下げられた釣鐘が雨ざらしの状態になっている。
株式会社金剛組(こんごうぐみ)は、578年創業で世界最古の企業である。
神社仏閣建築の設計・施工、城郭や文化財建造物の復元や修理等を主に手がけている。
旧来からの伝統的な建築を得意分野としてきたが、神社仏閣にもコンクリート建築が増加したことにより大手ゼネコンとの価格競争に巻き込まれた結果、売上の減少や資金繰りの悪化により経営危機に見舞われたため髙松建設が支援を行った。
浪花漬 四天王寺西むら、四天王寺参詣道にある天王寺蕪、田辺大根、守口大根、大阪しろな、泉州水なす、毛馬胡瓜などの「なにわ伝統野菜」の漬物屋。
それぞれの伝統野菜の特長を生かして、昆布や塩にこだわって薄味に仕上がっています。
どこか懐かしい味と評判で、全国からリピーターが訪れます。
なにわ伝統野菜の中には聖徳太子が叡福寺(南河内郡太子町)を造営するさいに、法隆寺から持ち帰った里芋が発祥という石川早生(いしかわわせ)もあります。
四天王寺 石鳥居(重要文化財、鎌倉時代後期 永仁二年 1294年、花崗岩、高さ 850Cm )
柱が太く高さに比し柱間が広い為、安定感がある。
当時のものは柱のみで、室町時代・江戸時代に補修されている。
鳥居は、神仏習合時代の名残。
こちらでは七夕のゆうべが開催されます。
記事はこちらから→七夕のゆうべin四天王寺2014
扁額には、「釈迦如来、転法輪処、当極楽土、東門中心」と書かれている。
「日想観」、不思議な言葉ですね。
にっそうかん、と読んでましたが、正しくは「じっそうかん」だそうです。
その昔弘法大師・空海が四天王寺で真西に沈む夕日を見て、西方に極楽浄土を見いだす修行を始めたことに由来。
西門は極楽の東門にあたるといいます。
当時四天王寺の西には海が広がっていた時代ですね。
往時は鳥居のすぐ外までが海で、ここから西海に沈む夕陽を拝し、その彼方にある阿弥陀浄土を想った。
鳥居は極楽浄土に至る、東門と解釈されていた。
四天王寺 西大門(極楽門)、法輪(チャクラ)を小さくした「転法輪」が四基ついていて回せるようになっている。
天台宗を起こした最澄が弘仁7年(816)に四天王寺に居住したとき六時堂を創建したという。
現存のものは、江戸時代初期の元和9年(1623)に再建されたもので重要文化財に指定されている。
(注)六時礼讃とは浄土教の法要の一つである。
一日を六分割し、その六分割の時刻が到来ごとに読経・礼拝・念仏を行う。
江戸時代の文化5年(1808)に再建されたもので日本の三舞台のひとつに数えられ重要文化財に指定されている。
聖徳太子の命日とされる4月22日に終日雅楽がこの舞台で奉納される。
(注)三舞台とは四天王寺石舞台・住吉大社石舞台・厳島神社板舞。
関連記事:古式床しく 卯之葉神事 住吉大社
厳島神社 清盛が造営した威風堂々たる神々の社
聖霊院の西門は猫の門と呼ばれ、欄間に眠り猫の彫刻が施されていて、経堂に納められた経典を鼠から守っている。
大坂の陣で焼けた後、徳川幕府によって再建された門の猫は左甚五郎作といわれ、日光東照宮の眠り猫とは一対で、元日の朝になると互いに啼き合ったという。
またこの猫は遊び好きで夜な夜なミナミの街に出かけたため、金網を張って出て行けないようにしたところ、第二次大戦の空襲で焼け死んでしまったとのこと。
現在の猫の門は戦後の再建。
左甚五郎作・猫の門の「眠り猫」は元旦の朝に三聲鳴く」。
四天王寺の伽藍配置と排水溝(白鳳時代)について
東寺は飛鳥時代(593年)創建された最も古い特色を持つ日本仏法最初の大寺である。
しかもこの伽藍配置は世に四天王寺式と呼ばれ主要な堂塔が南北一直線に構築せられ中国朝鮮の上代寺院の様式を継承したものである。
こうした重要な伝統を持っているので戦後当寺伽藍復興に際し昭和31年より3ヶ年間文化財保護委員会と大阪府とによって伽藍遺跡の発掘調査の結果全く堂塔の位置に変化のないことが実証せられた。
またこの排水溝からもこのことが十分察知せられたが、これはおそらく金堂の雨落溝の排水目的として作られたものと考えられる。
廃瓦を両側に積み上げ、その上部に奈良時代の平瓦を覆った極めて簡単な構造のものであって、1200年もの間この姿で保存せられたということは二条にめずらしいことである。
なおこの排水溝の西側現在の参道の直下に約2メートルのほぼ創建当時の参道と考えられる道が塔、金堂に向かって作られていたものと推定される。
現地の説明板より
正式名称は、鯨鐘楼といいます。
鐘は盤渉調の名鐘で、北の引導鐘の黄鐘調の音と並び称され、黄鐘調の陽春の音に対して、 秋の幽寂の響きを伝え、聖徳太子の引入浄土の御誓願により、 鐘楼から撞き送る響きは、 はるか極楽浄土に通じるといわれています。
春秋の彼岸会、盂蘭盆会、大師会などは、特に鐘を撞して先祖供養をする人々が跡を絶ちません。
太子引導の誓願である由来によると思われます。
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四天王寺へのアクセス、行き方歩き方
住所:大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
電話:06-6771-0066
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地下鉄 御堂筋線・谷町線天王寺駅 から北へ徒歩12 分
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