この記事は誤って消去してしまった記事の再掲です。
画像は2012年7月15日訪問時のものです。
祇園祭のお囃子が聞こえてくると京都は梅雨が明けて夏本番を迎える。
夏の夜を彩る祇園祭・宵山の見どころは、鉾町と旧家が代々伝わる宝物を展示する屏風祭である。
これは宵山を彩るために祭りを支える町衆が家宝を公開したのが始まり。
物がなかった戦時中は、その年に買った家電や、新しく来たお嫁さんまで並んだという。
たった3日間だけ、京都の町に現れる期間限定のミュージアム。
山鉾見物と併せて足を伸ばしてみては?
「横山商店」さんは、西洞院綾小路南西角、四条通から南へ少し下がったところにあります。
本業は呉服屋さん。
振袖から訪問着、帯や小物などを幅広く扱っていらっしゃいます。
森寛斎「四季農耕の図」。
寛斎は円山派・森派の流れを汲む幕末の画家にして、志士としても活動したという異色の経歴の持ち主。
『花樹対鹿文錦(かじゅたいろくもんにしき)』。
100年ほど前にシルクロード探検調査を行った東洋学者・大谷光瑞(おおたにこうずい/1876-1948)が、トルファン(敦煌)の古墓(7世紀)からミイラを発掘した際に発見した、ミイラの顔を覆っていた錦のボロ布。
これを日本に持ち帰り、京都を代表する西陣織の職人・龍村平蔵(1876-1962)が復元したものです。
(龍村平蔵は現在も、西陣織において文化財などの復元などで活躍する西陣織の有名な会社です)
源平合戦を描いた生地。
絵画としてはきれいだがこんなもん買う人はいないので商売にはなりまへんと言われていた。
帯は〆てしまうと全体の柄はどうしても見えなくなってしまいますが、このように広げて見ると、全体のパターンの美しさがよりよくわかります。
杉本家住宅では、綾小路通に面した「表の間(店の間)」が山鉾のひとつ・伯牙山の会所として懸装品や装飾、御神体などを飾り、公開する「お飾り所」となっています。
同じ建物でお会所飾りと屏風祭が同時に見られるというものは他にありません。
屏風祭と併せて、こちらも是非チェック!(お会所は無料公開となっています)
屏風祭り、昔の山鉾巡行。
屏風祭が最も盛んだったのは明治の頃だが、今なお十数軒の旧家が、屏風や鎧などを飾りつけた座敷を開放している。
千年の歴史をもつ京都の旧家だけあって、“お宝”の質が高いことはいうまでもない。
明治の画家、上村松園〔うえむらしょうえん〕が屏風祭に通い、スケッチに励んだという逸話があるほどだ。
京うちわも涼しげ
17日の山鉾巡行が「動く美術館」なら、屏風祭は山鉾町が美術館になる。
屏風祭を見ながら、山鉾町を散歩するのもこの時期だけの楽しみ方です。
屏風祭が開催されるのは、山鉾町に並ぶ旧家や老舗。
特に室町通や新町通の周辺で多く見ることができます。
表の格子戸が外されている家もあり、「うなぎの寝床」とも呼ばれる京町家の奥に長い構造を実感することができます。
近年は数が減ってしまいましたが、伝統を守り、人をもてなす心は今も大切に受け継がれ、現在まで続けられています。
三宅鳳白(ほうはく)「壬生狂言図」。
中京区新町通六角下ル六角町、一帯は京呉服、反物などの典型的な問屋街で、祇園祭の山鉾北観音山(曳山)の鉾街にあり、ちょうど今から100年前の1909(明治42)年に建造されたという、標準的な京町屋(京商家の表屋造)があります。
かつては白生地問屋を商っておられた吉田邸(現在も生活されている)ですが、現在「無名舎」という名で家屋内部を一般に公開され、実際の京町屋を現物で紹介されておられます。
なんとも落ち着く中庭・・・ よしずが涼しげです。
14日~17日の間、各家が受け継いで来た屏風、美術、工芸品、絵画などなど..秘蔵品が公開されます。
そのほとんどが年一回のこの日だけの展示公開ですのでお見逃し無く..
大日家(新町三条下ル東側)
鶴の屏風と琴
風呂敷もいろいろな提案がされています。
先祖代々受け継がれた品々と「ハレ」の日らしい豪華なしつらえからは、祇園祭を支えてきた京都の町衆の暮らしぶり、そして長く受け継がれてきた文化を垣間見ることができます。
孟宗山グッズの手拭い。
涼しげなデザイン。
「誉田屋源兵衛呉服店」さんでは創業274年を記念して274匹の鯉を描いた5枚の反物が登り風に屋根よりも高い位置から豪華に飾られ通りが華やいでいました。
横に小さく”2匹の金の鯉を見つけたら幸せになるかも?”と書かれています。