難波神社と人形浄瑠璃

植村文楽軒が1811年(文化8年)に難波神社境内に人形浄瑠璃の小屋を開いた。
明治の初め、文楽軒が九条の新開地に移った跡に「彦六座」が開かれ、御霊神社の境内に帰った「文楽座」とはり合った。
参照御霊神社と文楽座跡

難波神社の鳥居。
神社には4方に鳥居が建っているが、これは御堂筋に面した鳥居。

反正天皇が大阪府松原市に柴籬宮(しばがきのみや)を開かれたとき、父帝の仁徳天皇をご祭神として創建されたと伝えられる。
その後、天王寺区上本町に遷り、豊臣秀吉が大阪城を築城したのち天正年間(1583年)現在地に遷座。
昭和20年(1945年)第二次世界大戦大阪空襲により全焼したため、仮宮によっていたものを昭和49年7月(1974年)再建され現在に至る。

江戸時代には博労稲荷神社、上難波仁徳天皇社とも称された。

境内にある大きなくすの木。
大阪市の保存樹に指定されている(指定第1号)。
くすの木の向こう、南側にある鳥居が正門らしい。

現在の本殿は、先の大戦の空襲で全焼し、1948年(昭和23年)より仮宮によっていたものを、1974年(昭和49年)に再建された。

摂社  博労稲荷(いなり)神社
本社の西側にある。

浪速の町が栄えるに従って、船場の商家の中心となり、いなりへの信仰があつく、古い記録にも、当神社のことを「稲荷社」「稲荷宮」としてあるものもあります。

人形浄瑠璃のことを「文楽」というが、これは初代植村文楽軒が、江戸時代後期・寛政のころ(1789~1801年)に大坂は高津橋南詰西側の浜辺で、浄瑠璃の稽古場を開き、その後、文化2年頃(1805年)人形浄瑠璃の小屋を設けたことに由来し、これが後の文楽座の始まりとされる。

初代植村文楽軒は淡路島の人で、本名は正井嘉兵衛。
13歳頃から伝統ある淡路浄瑠璃の花形で、中国筋を巡業し、名声を博したといわれる。1810年(文化7年)没。

博労町稲荷境内(難波神社摂社)で興行を行ったのは、2代目文楽軒で初代文楽軒の妻テルの甥正井貞蔵が継いだ。
正式に「文楽座」を名乗ったのは、3代目文楽軒が1872年(明治5年)大阪府の要請で、松島新地に劇場を新築し、これを機に文楽座と改称したのが始まりである。

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難波神社へのアクセス、行き方歩き方

難波神社公式サイト

本社: 〒541-0059 大阪府大阪市中央区博労町4丁目1番3号
TEL : 06-6251-8000 FAX : 06-6251-5110

地下鉄心斎橋駅3番出口または、地下鉄本町駅13番出口をご利用ください。
両駅共徒歩5分。

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