相倉集落は、庄川からやや離れた段丘上に位置し、北東にゆるく傾斜する細長い台地に広がっています。
この集落にある32戸の住宅のうち、20戸が合掌造り家屋です。
最も古いものは17世紀にさかのぼると考えられます。
村を訪れた時はあちらこちらで盛んに屋根の雪下ろしが行われていた。
ズームしてみると三人の人が作業しています。
こちらではこんなに高いところへ上がっています。
屋根の斜面の雪は自然落下?したのか頂上部だけにこんもりと雪が残っている。
こちらでも雪下ろしです、降ろしている最中に屋根の斜面からドッと雪が滑り落ち危うく人も流されるところでした。
実際に生活されている家の軒下にはスズメバチと思われる巣の後が残っていました。
駆除したりせずに、共存しています。
相倉民俗館が公開されており、五箇山地方の歴史・文化等を資料映像・パネル等でわかりやすく紹介しています。
現在残る合掌造り家屋は主として江戸時代末期から明治時代末期に建てられたものである。
その入り口の多くは妻入りであり、平入りを中心とした白川郷の合掌造りとは趣きを異にし、その妻側の下屋の存在によって一見すると入母屋造のようにも見える。
また、屋根に煙抜きが存在する点も異なっている。
この上の神社境内には「皇太子殿下(現天皇陛下)歌碑」があります。
五箇山を
おとずれし日の
夕餉時
森に響かう
こきりこの唄
皇太子殿下は学習院高等科のとき友達と相倉集落に宿泊し、その後、この歌を詠んだそうです。
山間の村なので、斜面を段々畑として耕作しているが今は一面の雪野原。
現在では水田の景観が見られるが、かつての平村では4番目に大きい集落であるとともに養蚕業が最も盛んな集落であり、桑畑が多く見られた。
水田への転作は第二次世界大戦後のことである。
もう日暮れ間近だがまだ雪おろしは続いていました。
夕焼けを期待して待っていたがわずかに向こうの山が陽に照らされただけで終わる。
東の空も雲に覆われています。
右側民宿・ギャラリー勇助・左民宿庄七。
排水のマンホール蓋はトチが描かれていました。
相倉合掌造り集落へのアクセス、行き方歩き方
住所:富山県南砺市相倉
お問い合せ/五箇山観光協会(TEL.0763-66-2468
JR城端線城端駅より加越能バスで23分、相倉口停留所で下車、徒歩約10分