木屋町通を四条から七条まで歩く

今回は木屋町を四条から南へ歩いてみる。
三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺は京都の歓楽街の一つとなっているが、南へ行くとガイドブックに載っているような木屋町通じゃない少し趣の違った姿を見せてくれる

木屋町通(きやまちどおり)は、京都市の南北の通りの一つ。
北は二条通から南は七条通まで。
先斗町の西にあり、高瀬川の東側に沿っている。

京都中心部三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺は京都の歓楽街の一つとなっており、また桜の名所ともなっている。
この時期はアジサイがきれいだ。

仏光寺児童公園
木屋町仏光寺にある。
噴水があり、河原町からさほど離れていないのに、静かで落ちつく場所 。

さて木屋町通をさらに歩きます。
もうあのガイドブックに載っているような木屋町通じゃないですよ。
キャットウォークのような高瀬川の通路。

松原通を越えて しばらく行くと 有名な料理旅館「鶴清」があります えっ 知らないって・・・・
四条通りから五条通りにかけては鴨川沿いに老舗旅館が建ち並ぶ。

高瀬川は、二条大橋の南で鴨川西岸を併走する「みそそぎ川」(鴨川の分流)から取水。二条から木屋町通沿いの西側を南下し、十条通の上流で鴨川に合流している。

五條大橋西詰には、時宗御影堂があったが、平敦盛没後、彼の妻が御影堂の寺僧とともに扇作りをはじめ、御影堂扇として有名に。
それ以来この界隈に扇工が集まることになった。

誓願寺にも扇塚があります。
舞踊家は誓願寺の和泉式部信仰が強かったことから、特に芸能世界の人々に信仰されるようになったとの事

牛若ひろば
五条木屋町の三角地帯にある。空が広く、陽あたりも良い広場。

五条通沿いとは思えない穏やかさ。
中央に見えるのは大田垣蓮月歌碑。

牛若丸と弁慶の像[五条通寺町東入 五条大橋西詰]
五条大橋の西詰、1段高くなった中央分離帯の緑地地帯に牛若丸と弁慶の像が立ち、通行人の目をひきつけている。

牛若像は高さ81cm、右手に笛を持ち、高さ1mの欄干上に軽やかに飛び上がった姿。弁慶像は高さ1.2m、右手に長刀をもち、下から牛若丸を見上げるというスタイルになっている。また像の西にある噴水は好天の日には虹が架かる仕掛けになっている。

このあたりは 源融(822~895)の河原院があったといわれている場所です。
河原院の邸宅内の庭の中の島「籬の島」が鴨川の氾濫によって埋没し かろうじて邸宅内の木々が残ったものがその後「籬の森」となったという。

榎の大木はその籬の森の名残だそうです。
河原院は源氏物語の六条院のモデルといわれています。

そうあの「源氏は五条辺りに住む夕顔と恋におち、「某の院」に誘い一夜を共にする・・・・」という幽霊屋敷 河原院跡なのです。
ここから少し西に行くと「源氏物語ゆかりの地・枳殻邸(渉成園)」があります。

正面通との交差点、正面橋。
正面とは 方広寺の大仏殿の正面に通じる路だから。
このあたりです。
お竜さんが母の貞と幼い2男2女を養うため働きに出た「扇岩」がありました。

塩小路橋より下流を見る。
かつて、京都と伏見を結ぶ運河であった頃は、現在の鴨川合流点のやや上流側で鴨川を東へ横断したのち、一部区間で竹田街道と並行、濠川と合流し伏見港を経て宇治川に合流していた。

現在、鴨川以南は東高瀬川と呼ばれ、上記高瀬川や鴨川とはつながっておらず、雨水等を水源とする河川となっている。
また、疏水放水路と合流して直接宇治川に流れ出ており、濠川とは合流していない(東高瀬川において、宇治川に直接つなげるために整備された部分を新高瀬川と呼ぶこともある)。

この塩小路通りを東に行ったところが河原屋五兵衛の隠居所跡で楢崎家離散の後、お竜の母貞と末妹の君江が住み込みで働いていた。