17世紀中期、加賀藩により金沢城の外郭に造営された藩庭を起源とする江戸時代を代表する池泉回遊式庭園。
広さは約3万坪。岡山市の後楽園と水戸市の偕楽園と並んで、日本三名園の一つに数えられる。
1922年に国の名勝、1985年には国の特別名勝に指定されている。
「石川四高記念文化交流館」の前に建つ記念碑。
ほぼ現在の姿に造園されたのは13代藩主斉泰の時代で、「兼六園」の名は宋代の詩人・李格非が書いた「洛陽名園記」に由来し、宏大・幽邃(ゆうすい)・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える名園として時の老中松平定信が命名したと伝えられています。
この噴水は霞ヶ池を水源とし、池の水面との高低差による自然の水圧であがっています。
水の高さは約3.5mあり、霞ヶ池の水位の変化によって変わります。
藩政末期、金沢城内の二ノ丸に水を引くため試作されたものと伝えられています。
日本で最古の噴水であると言われています。
瓢池周辺はかつて蓮池庭(れんちてい)と呼ばれ、兼六園の作庭はこの辺りからはじまったと言われています。
そのユニークな名前は、池のなかほどがくびれて、瓢箪(ひょうたん)のような形をしていることから名付けられたものです。
池の中には不老長寿の島、神仙島をかたどった大小二つの島があります。
右側の海石塔(かいせきとう) は瓢池の中島に建つ、高さ4.1mの塔。
虫が喰ったように穴の空いた淡茶色の笠石が、六重に重ねられています。
3代藩主・利常(としつね)がつくらせ、金沢城の庭園にあった13層の石塔の一部を移したという説と、朝鮮出兵の際、加藤清正(かとうきよまさ)が持ち帰ったものを、のちに豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、前田利家(まえだとしいえ)に贈ったという説があります。
夕顔亭(ゆうがおてい) は瓢池(ひさごいけ)の東岸にある茶亭。
安永3年(1774)に建てられました。
蓮池庭にあった四亭の一つで、当時のままの姿を今に伝えています。
本席は小間ながら、本格的な茶の湯が催せるようになっています。
また、その美しい名は、茶室内の壁にしつらえられた夕顔の透彫りから名付けられました。
竹根石手水鉢(たけねいしちょうずばち)
瓢池たもとの夕顔亭、貴人口側に据えられている。古代ヤシ類の化石で、1億3000万年前のものと鑑定された。
浅野川上流の段丘堆積層に同種の化石が見つかったことから、この竹根石も古代の医王山に由来する化石と考えられている。
直径約40cm、中央が空洞で、厚さが5~8cm。空洞部分に水が貯められている。
胴の高さは20cmほど。
手水鉢と名が付いているが、湯桶石、手燭石、前石はなく、蹲踞の形態ではない。
緑深い瓢池。
時雨亭のあたりは小川が縦横に流れのどかな雰囲気。
ここ金沢でも桜は終末期を迎えている。
中央に日本武尊像を、左に石川県戦士尽忠碑を据える明治紀念之標は、西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰めるもの。
銅像の身長は5.5m、明治13年(1880)日本で最初に建てられた銅像といわれている。
両脇に植えられた赤松は「手向松(たむけまつ)」と呼ばれ、当時、京都の東西両本願寺の門跡から移されたもの。
園内は老松がおおく素晴らしい光景を見せる。
霞ヶ池の北岸に配された兼六園を代表する景観。
徽軫灯籠(ことじとうろう)は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています。
この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したもので、高さは2.67m。
かたわらのモミジの古木、曲水に架かる虹橋と一体となって優れた風景を醸し出しています。
兼六園菊桜(けんろくえんきくざくら)は見つけられなかったが・・・・
日本で一つしかなかった天然記念物、兼六園菊桜の2代目。
一つの花に花びらが300枚以上つき、ちょうど菊の花のように咲くことからこの名で呼ばれています。
開花期は4月下旬から5月上旬までの約2週間。普通の桜と違って、濃紅、薄紅、白と色が移っていくのが特徴。
全国にある桜のなかでも特に珍しい品種。
京の昼食は兼見御亭(けんけんおちん)でした。
兼六園へのアクセス、行き方歩き方
兼六園公式サイト
〒920-0936 石川県金沢市兼六町1-4
金沢駅前バス乗り場の東口3番、西口5番で乗車(約13分)「兼六園下」バス停下車後、徒歩2分。