淀殿の墓のある 太融寺


太融寺は、大阪市北区太融寺町にある高野山真言宗の寺院。
新西国三十三箇所第2番札所。

嵯峨源氏の祖である源融ゆかりの寺で、古くから当寺付近の地名にもなっている。

承和10年(843年)に嵯峨天皇の皇子である左大臣源融によって境内地が広げられ、八町四面の七堂伽藍が建立された。

その際、山号を佳木山とし、源融の諱から寺名を太融寺と改めたうえ、鎮守社として神野太神宮(現・綱敷天神社)も創建されている。以後は浪華の名刹として参詣者でにぎわった。

清涼寺
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幽霊屋敷 河原院跡
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事件現場の「某の院」は、源氏のモデルとなった左大臣源融の邸だという(融の実像は式部が描くような女好きではないが)。

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源融ゆかりの塔
左大臣源融は、嵯峨天皇の皇子であったが源の姓を賜って臣籍に下った。
「源氏物語」の主人公、光源氏のモデルの一人とも言われている。

太融寺本堂

慶長20年(1615年)5月の大坂夏の陣の兵火で全焼するが、元禄年間(1688年 – 1704年)に本堂など25の諸堂が再建される。

1945年(昭和20年)6月1日の第2回大阪大空襲により再び全焼してしまうが本尊は無事であった。
戦後になって本堂、大師堂を始め20余りの堂宇が再興された。

明治13年(1880)には太融寺で国会期成同盟が結ばれ、自由民権運動はここから全国へ広がったと言われています。

一願不動明王は古来より「1つだけ願い事を叶えてくれる」と信仰を集めてきた不動明王です。

人生でただ1つの願い事ですから、何をお願いするかはしっかりと考えた上で参拝したいものです。

一願不動明王が安置されている場所には陽の光が直接届かないためにほの暗く、後ろの岩屋の上からは糸のような滝が水を落としており、一種独特の神秘的な雰囲気を醸し出してます。

本堂の鬼瓦、なんとも味のある顔つきだ。

太融寺の資料では「元和元年5月、大阪城落城によって秀頼と共に自刃して果てた淀殿の遺骨は、大阪城外鴨野郷、弁天島に一祠を作って埋められた。
これが淀姫神社である。

明治10年11月城東練兵場(現大阪城公園)造成に当り移祀されることになり、豊臣に縁りの深い当寺に埋め九輪の塔(現在戦災に依り六輪)を建て境内西北隅に祀った。」とあります。

昭和になり、元は「淀君」と表記していた案内板を、差別用語でもあるため「淀殿」と表記を改めたそうだ。

移転先に四天王寺が候補に挙がったが、家康の本陣だった茶臼山に近いことから淀殿は嫌がるだろうと、北の太融寺にとなった。
ここまでが寺の記録として残っている。

淀殿ゆかりの 淀古城跡
淀古城は、徳川幕府が築城した淀城の東北、500m程のところにあります。 江戸時代 … 続きを読む →

僅かに残る「淀古城址」の石碑は妙教寺鐘楼前にある。

大阪城の謎を探る
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鴫野神社(しぎのじんじゃ) – かつては弁天島(現在の大阪ビジネスパークの位置)に祀られており、淀殿が篤く崇敬した。

淀殿死去の後は淀姫社と呼ばれるようになった。

秋晴れの大阪城を散策
何度も通いなれた大阪城だが、意外と知らない場所がある。 いかに表面的にしか見てい … 続きを読む →

慶長20年(=元和元年、1615年)の大坂夏の陣では、旧暦の5月8日、徳川軍に追い詰められた豊臣秀頼とその母淀殿が、山里丸にあった櫓にひそみ、自害したと多くの記録が伝えられている。

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