柳生 芳徳禅寺


芳徳禅寺は正木坂を上り詰めた小高い山の上にある。

右へたどれば一刀石への分岐。

芳徳寺(ほうとくじ)は、奈良県奈良市柳生下町にある臨済宗大徳寺派の寺院。

山号は神護山(じんごさん)で、本尊は釈迦如来。
芳徳禅寺とも称される。

『念ずれば花ひらくなる必ずや
        柳生街道来ます日待たむ』
先代の住職の奥様のお歌だそうです。

直ぐ反対側には、誰もいない静かな正木阪道場に。

柳生十兵衛の弟・友矩の邸宅跡に建てられています
 
芳徳禅寺の先代住職・橋本定芳さんが、昭和6年に道場建設を願い約30年の年月をかけて、同40年春にようやく完成しました

屋根や柱などの構造物は、もと興福寺の別当だった一乗院の建物で、玄関は京都所司代の玄関を組み合わせた重厚な建物です

兵法の 梶をとりても 世の海を
       渡りかねたる 石の舟かな

柳生城は戦国時代、柳生家厳の時に筒井氏との戦いでその名が登場するが、創築の時期は分らない。

柳生氏が土豪として戦国を生き抜く過程で整備されたものであることは間違いないだろう。

(写真・芳徳寺山門前に残る土塁と「石舟斎塁城址」の碑。)

寛永15年(1638年)大和国柳生藩主柳生宗矩の開基、沢庵宗彭の開山により創建されたと伝えられる。

宗矩が父の石舟斎宗厳の菩提を弔うため、柳生城があったと伝えられている場所に建立した。

宗矩の子列堂義仙が第一世住持となり、宗矩の遺領1万2500石のうち200石が芳徳寺に寺領として分与された。
宝永8年(1711年)の火災により全焼したが、正徳4年(1714年)に再建された。

本堂には本尊釈迦三尊像の他、木造沢庵和尚坐像および、木造但馬守宗矩坐像を安置している。

また、伝柳生三厳筆「月乃抄」などの寺宝を伝え、柳生氏に関する資料多数を収蔵しており、資料館が併設されている。

廃藩後は荒廃して山門や梵鐘も売却され、明治末期には無住の寺となったが、大正11年(1922年)に柳生家の末裔である元台湾銀行頭取の柳生一義の弟・基夫氏が資金を遺贈し、本堂が再建された。

その後、大正15年(1926年)6月に副住職として赴任した橋本定芳(昭和5年(1930年)には住職に就任)は、芳徳寺の再興に奔走。橋本は柳生新陰流の普及に努めた他、昭和3年(1928年)には境内に大和青少年道場(現在の成美学寮)を開設し、知的障害児の保護育成に尽力するなど、多方面の事業を手がけた。

墓地へ回る。

うっそうと茂る森の中に墓地はある。

柳生家の墓地は元々は中宮寺(現・奈良市柳生下町)にあったが、芳徳寺の創建に伴って改葬され、芳徳寺裏の墓地に柳生藩主・柳生氏一族代々の墓石が80基あまりが並ぶ。

霊源坂を北へ降りる。

霊源坂の中ほど東側の地が柳生宗厳(石舟斎)の居住地とされる。

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