落合上の渡し


大正9(1920)年には旧道路法が施行され渡船は無料になり、現在の運行方法が確立した。
現在でも、大阪市には8つの渡船が残り、市民の足として活躍しています。

落合上渡船場は、大正区千島1丁目と西成区北津守四丁目を結ぶ(岸壁間100メートル)。
平成29年度現在、1日平均484人が利用している。

「木津川水門」は、造船所などが立ち並ぶ、木津川にある尻無川水門と同じタイプの、アーチ型の巨大水門です。

この水門が、完成したのは1970年(昭和45年)の11月。

台風などで押し寄せる大阪湾からの高潮をせき止める重要な役割を担っています。

毎月1回程度開閉試運転のため閉まっているのが見られる。

この辺りはセメントのプラントなど大型の工場が多く視界はきかない。

うず高く積み上げられたスクラップ、フェンスなどが視界を遮る。

西成高校および西成公園は、元は大日本紡績の木津川工場があったところ。

日本近代の工業化は紡績産業の発展から始まりました。
その中心を担ったのが明治16年(1883)に大正区三軒家村に出来た大阪紡績の三軒家工場。

昭和4年(1929)には大阪港からの綿製品の輸出額がイギリス を押さえて世界第1位となり、大阪は 「東洋のマンチェスター」とまで呼ば れるようになります。

大阪紡績は他社と合併して世界最大の紡績会社に発展したが、しかし、戦争の激化とともに三軒家工場は軍需工場に転換させられ、昭和20年(1945)3月の 大阪大空襲で無塵と化した。

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