社伝によると、
前田利家公の沒後、その霊を神として奉祀しようとしたが、当時はばかる所があって、越中国射水郡守山海老坂鳥帽子峰に鎮座の八幡大神を遷座すると称して、その実公の霊を加賀国卯辰山麓に鎮座の卯辰八幡社に奉祀した。
初代加賀藩主前田利家公と正室おまつの方を御祭神とする当神社は、明治六年(一八七三)に歴代藩主の別邸であった金谷御殿跡に建立された。
明治になって、当社を旧加賀藩主金谷邸址に遷そうとして明治5年10月請願し、翌6年3月許可せられると同時に尾山神社と改称、同年11月、現社地に御社殿を創建した。
加賀藩二代藩主 前田利長公をはじめ、十七代までの藩主と正室をお祀りしている。
泉水築山を設けた池泉回遊式庭園。
1954(昭和29)年金沢市の指定名勝となる。
江戸時代の作風を残し、沢渡りによって琵琶島に至り、ここから八ツ橋、琴橋、図月橋等によって鳳笙島に回ることができ、これらは楽器に型どられています。
金谷神社の前には「さし石(力石)」が置いてあります。
これは旧藩主前田家からの拝領石で、若衆達がこの石を担いで力と技を競ったそうです。そのため、この石に触ると健康になると言われています。
青年時代は赤母衣衆として信長に従軍、槍の名手で「槍の又左」の異名をもっていた利家公。
池の側にある、お松の方を刻んだ石碑は、平成十四年のNHK大河ドラマ『利家とまつ』を記念して建立されたものらしい。
境内には、利家公愛用の「烏帽子兜」像もあります。
庭園の水は、辰巳用水が完成したとき、兼六園から暗渠によって低地に流下させ、サイホンの原理により再び流上させたものでした。
現在は辰巳用水が断絶したので地下水を水源としています。
ギヤマンがはめ込まれたり、和・漢・洋折衷様式を見せる神門は、異国情緒漂う造り。
明治8年(1875)建立の神門は三層のアーチ型楼門で、屋根には日本最古といわれる避雷針、最上階の三層目の窓にはステンドグラスがはめ込まれています。
夜には灯りが点され、その灯りは海をゆく船からも見え、灯台がわりにもなったといわれます。
尾山神社東神門はもともと金沢城二の丸御殿の唐門と伝えられます。
金沢城の建物は残っているものが少ないのですが、これは宝暦9(1759)年 の大火でも焼けなかったといわれます。
明治3(1870)年、招魂社の門として卯辰山に移築、昭和38(1963)年、 現在地に移りました。
「母子順風の像」
尾山神社公式サイト
金沢市尾山町11-1
TEL/076-231-7210
FAX/076-231-4685
JR北陸本線金沢駅より北陸鉄道グループバス「香林坊」方面行き乗車「南町」バス停下車、徒歩5分。