飛鳥坐神社

奈良県


創建の由緒は不詳であるが、『出雲國造神賀詞』に「賀夜奈流美命ノ御魂ヲ飛鳥ノ神奈備ニ坐テ皇孫命ノ近守神ト貢置」とあり、大国主神が皇室の近き守護神として、賀夜奈流美命の神霊を飛鳥の神奈備に奉斎したとある。

また、当社地が天照大神を初めて宮中の外で祀った地「倭笠縫邑」であるとする伝承もあり(有力な説は大神神社摂社の檜原神社である)、近世には元伊勢とも称していた。

寛永17年(1640年)に高取城に入った高取藩初代藩主・植村家政は、高取城の鬼門に当たる当社を深く信仰した。
享保10年(1725年)に里からの火災により社殿の大半を焼失したため、天明元年(1781年)に高取藩8代藩主・植村家利により再建された。

万葉歌碑。

斎串(いぐし)立て 神酒据ゑ奉る 神主の うずの玉陰 見ればともしも  (巻13-3229)

また、境内には多種多様な奇石が安置されており、その中には古代の性器崇拝の名残と思われる陰陽石や、異様な姿をした人型の石像などがあります。

そのため、謎の石造物が多い明日香村の見どころの一つであるとも言える。

折口信夫の祖父酒造ノ介は、岡寺前の岡本善右衛門の8男であったが、当社81代宮司飛鳥助信の養子となった上で折口家に入った。

父・秀太郎の代には交流は途絶えていたが、明治33年(1900年)夏に初めて当社に参詣し、同37年には祖母つた・叔母えいと共に参詣し旧交を復した。

折口は、祖父が大和飛鳥の由緒ある神社の出自であったことを終生誇りにしており、慶應義塾の教授時代にもよく学生を連れて飛鳥を旅している。

飛鳥寺(法興寺)は蘇我氏の氏寺として6世紀末から7世紀初頭にかけて造営されたもので、明日香村豊浦の豊浦寺(尼寺。現在の向原寺がその後身)と並び日本最古の本格的仏教寺院である。

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飛鳥坐神社へのアクセス、行き方歩き方

高市郡明日香村飛鳥708
電話0744-54-2071

近鉄橿原神宮前駅から岡寺前駅行きバス「飛鳥寺前」下車、徒歩約3分