青空の服部緑地公園

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1941年(昭和16年)の防空緑地計画に由来する大阪四大緑地(服部・鶴見・久宝寺・大泉)のひとつ。

面積は約126.3ヘクタールで、甲子園球場33個分(東京ドームなら27個分)という広大な敷地を有する。

園内のほぼ全域が風致地区に指定されており、日本の都市公園100選や日本の歴史公園100選にも選出されている。

緑地公園駅を降りてすぐ、緑のトンネルが出迎えてくれます。

見上げれば青く澄んだ空。

そのまま進むと噴水のある東中央広場に出ます。

東中央広場、緑道からつながる東の入口にある広場。
中央に大きな噴水と福岡道雄さんによる彫像「白昼夢」があります。

服部緑地の中央にある円形の花壇と広場。

昭和34年に皇太子殿下御成婚を記念して整備されました。
「仔牛と女」など4基の彫刻や梅塚古墳があります。

今日は緑地公園の中にある日本民家集落博物館を訪れます。

17~19世紀に建築された岩手から奄美大島までの民家11棟を服部緑地内に移設し、日本最初の野外博物館として昭和31年(1956年)に開館したもの。

後日、順次紹介します。

画像は、堺の風車。

石津川の河口付近から北にかけての海岸部の一帯は砂質の畠が、昔は続いていました。
ここは、コマツナ、キクナ、ネギなどの野菜の産地でしたが、なにしろ砂質壌土だけに水ハケが良く、農家にとっては毎日の畠の水ヤリが大変でした。

大正時代後期、この重労働の作業に強力な援軍が登場しました。

オランダの風車にヒントを得て堺の地場産業、自転車製造の技術を応用して畠にある井戸のポンプを風車で自動灌水する方式が導入されたのです。

この堺の風車は昭和22年頃になると350台にも増え、一躍泉州地方の風物詩となりました。

この畠地も今では、すっかり住宅や高層マンション群に変わってしまい当時の面影を見ることは出来ませんが1基だけ、堺市楠町に残っています。

また、この風車は堺市の貴重な文化遺産として大泉公園や大仙公園でも危険防止のため羽根を取り外した状態で復元保存されており、豊中市の服部緑地公園内にある日本民家集落博物館にも保存展示されています。

栗栖山南墳墓群、室町時代の墓の五輪塔・石仏を移設していました。

公園のトイレです、民家のモザイクで飾られている。

蓮が美しい山ヶ池は以前ボート乗り場でしたが、今は親水スポットとして親しまれています。
この時期花は見れませんが見事な風景が広がっています。

子供たちが池の橋を渡ります、この子達、民家博物館であった子たちでした。

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服部緑地公園へのアクセス、行き方歩き方

北大阪急行 緑地公園駅
緑地の東端まで約200m。駅名にある「緑地」はこの服部緑地を指しており、その名の通り鉄道における玄関口となっている。