法華寺 摂津国分尼寺の後身

聖武天皇の命により創建された国分尼寺が前身。
境内には、鎌倉期のものとみられる石造古五層塔がある。
また、弘法大師が爪で刻んだといわれる線彫りされた地蔵は見もの。

天平13年(741年)、聖武天皇は国家鎮護を目的とし、中央集権体制を推進するために、全国に国分寺(金光明四天王護国寺:こんこうみょうしてんのうごこくじ)と国分尼寺(法華滅罪之寺:ほっけめつざいのてら)を置くように命じた。

同年、法華寺はこの勅命により創建され、尼僧10人が常住し、「摂津法華滅罪之寺」と称したことから、摂津国分尼寺にあたるといわれている。

室町時代に入ると、法華寺はいったん廃絶したが、応永13年(1406年)に僧了庵慧明(りょうあんえみょう)が再興、寛永16年(1639年)に篤信家であった吉田忠次が堂宇(神仏が祭ってある建物)を寄進し、曹洞宗の禅寺法華寺として知られるようになった。

当時、柴島浄水場付近に再建されましたが、大正3年(1914年)に浄水場建設のため、現在地に移転した。

境内には、鎌倉期のものとみられる石造古五層塔があり、塔の下には経文が書かれた小石が数千個埋蔵されているといわれている。

五層塔の後ろには、国分尼寺時代の礎石がある。

山門の右にある地蔵堂には、弘法大師が爪で刻んだといわれる「爪引地蔵(つめびきじぞう)」が祀られており、石仏の地蔵では大阪で一番古いものといわれている。

台石に乗った高さ1.8メートル、幅1メートル、厚さ0.5メートルの不整形な花崗岩の自然石に、線彫りされた地蔵。

そのお姿は、地蔵が人々を救うために町へ出たところ、救済にもれた人をふと見かけて振り返り、救いの手をさしのべようとする姿を象徴する見返りの姿をとっている。

本尊は見事な瓔珞(ようらく:仏像を飾るもの)をつけた釈迦牟尼仏像で、華厳の釈迦と呼ばれている。

国分尼寺伝承地の碑

聖武天皇開創を記した碑

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法華寺へのアクセス、行き方歩き方

住所:大阪市東淀川区柴島2丁目12-28
阪急電車千里線「柴島」駅南へすぐ

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