「京の王朝絵巻 葵祭の歴史と文化」と題するツアーが企画されたので参加した。
「十二単の着付けと王朝舞」は前日アップしたところです。
鴨川ではサギが餌取りに夢中でした。
こちらはサギの姿を捉えるのに夢中です。
糺の森は緑が濃くなり、段々と初夏の風情を漂わせ始める。
瀬見の小川に架かる紅葉橋から撮影したが紅葉橋は鴨長明が名づけたそうな。
鳥居の赤と紅葉の緑のコラボがいい。
ご婦人が二人で何やらパンフレットを見ながら話しこんでいるようだが、女性のこのような行為、いいとも悪いも何とも断定できかねる。
石拾神事 生石お祓い場 式年遷宮に使う石を3年間さらしておくと,より一層の力を蓄えるという。
奉納された見事な巳の画。
「葵祭と下鴨神社」と題する講義が普段は参観できない直会殿(なおらいでん)で行われました。
欽明天皇の遥か古代の葵祭は荒々しい騎馬の行事だったそうだ、京へ都が移されて以降今のような雅やかな貴族行列の行事に変貌していったという過程の説明を受けた。
そういう歴史が今の「走馬の儀」の行事に残っているのかな。
直会殿(なおらいでん)は伊勢神宮の1993年の時の式年遷宮で解体した用材を再利用された立派な建造物で、中に入ると檜の香りが漂っていました。
三方は窓ガラスや戸の向こうに庭園の緑が見えるという環境で会議や話し合いなどには持ってこいの場所です。
庭には、平安時代からの紫極(帝の座)に因み、紫珠(ムラサキシキブ)が植栽され、「紫式部の庭」も復元された。
当日は椿も見頃を迎え見事な姿を見せてくれました。
散り落ちた椿の花が哀れを誘うようで切ない気になる。
鬼瓦はたくさんの種類が見られたが、このスタイルが最も多かったように思う。
これから行われる「十二単の着付けと王朝舞」を見るために唐門を潜るが重要文化財の唐門は江戸時代寛永5年造替、屋根の唐破風(からはふう)の形式からその名があります。
また、欄間(らんま)にブドウの紋様が彫刻されているところから、ブドウ門ともよばれています。
「古事記(こじき)」や「日本書紀(にほんしょき)」に伊 諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉国(よみのくに)から逃げ帰られたとき、追いかけて来た鬼に髪飾りを投げつけられるとエビカズラの実に変わった。との神話があります。
エビカズラは、野生のブドウのことで「源氏物語」などに、えび色(ぶどう色)と記しています。
また平安時代は、薬草の一種とされていました。
ブドウ棚の紋様は、我が国独自の意匠であり、神話が伝えるように門をくぐると人々を御祓(おはらい)する意味を表しています。(現地案内板)
本殿の左手に大飯殿(おおいどの)があります。
ここでは昔、朝夕のお供えを調理していたとのことです。
今は平安時代の形を伝える葵祭をはじめ、年中の神事のお供えを展示しています。
入り口からすぐに目に留まる竃。
唐車(からぐるま)は屋根の造りが「唐破風(からはふ)」になっていることから名づけられたもので、上皇(じょうこう)・皇后・東宮(とうぐう)・親王または摂政・関白が用いた最も格式の高い牛車です。
乗車の際には後方から、降車の際には前方から降りる事が決められ、車内には畳が敷かれています。江戸時代のものを復元しました。(現地案内板)
葵祭で見かけるものより一回り小型です。
こちらは洋風の儀装馬車。
流鏑馬神事 と御蔭祭 の際に使われています。
「水ごしらえ場」ですが、此の石は神の降臨の場であるという伝承があって、御降臨石として御水桶を置いて神事を行うところだそうです。
建物の右手にある庭は「葵の庭」と呼ばれ、葵やカリンなど色とりどりの花をつける薬草の庭です。
葵祭で大量に使われるフタバアオイは北区で委託栽培されていて場所は極秘とのこと。
光格天皇が好み、下鴨神社に奉献した純白の椿。
それは枯れてしまい、三井グループから奉献された同種の椿だそうです。
下鴨神社の椿餅は、椿寿(ちんじゅう)と言って長寿をお祝いする言葉。
「源氏物語」若菜に、光源氏が六条院の蹴鞠の後の宴に椿餅が出されたことを記しています。
これから河合神社に向かいますが瀬見の小川の流れは清冽です。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という起筆で知られる日本三大随筆のひとつ『方丈記』。
著者の鴨長明は、下鴨神社(賀茂御祖神社)第一摂社である河合神社の神官の次男として生まれました。
しかし父の死後、後継としての道を断たれ、出世の道から遠ざかり始めた事で彼の人生には影が落ちます。
また、彼の生きた世は天災・人災といった数々の災難が降り掛る時代でもありました。
そのような経験を経て、彼が書き残した『方丈記』は切迫するかのような世情の描写により、短編でありながらも、後世の我々が無常観を語る際必ず引き合いに出す感覚を残します。
美麗祈願の鏡絵馬(河合神社)は日本古来の柄鏡の形をしている。
“鏡絵馬”に描かれた顔を自分の顔に見立て、自分の化粧道具などで絵馬にお化粧をし、外見的な美しさだけでなく、内面的にも美しい真の日本女性となれます様に。
とお祈りするのだそうです。
祭の起源は、欽明(きんめい)天皇朝、暴風雨の害が賀茂神の祟りによると占われたので、4月吉日を選び、馬に鈴をかけ走駆させ祭ったところ、五穀成就豊年を迎えたことに由来するという。
賀茂祭に走馬(はしりうま)の行われるのもこれに基づくという。
森の中、参道に平行して西側に馬場が設けられており、ここで毎年5月3日には「流鏑馬(やぶさめ)神事・平騎射」が行われ、5月15日の葵祭の日には祭馬を疾駆させる走馬(はしりうま)が催される。