春爛漫 粉河寺の桜


粉河寺参道左手にある「大神社の大クス」、環境省巨樹巨木林DBによれば、幹周/11. 42m、樹高/20m。
和歌山県下で第三位の大木。

大門から南に約1キロメートル続くJR粉河駅前通は門前町として栄えたが、県道の拡幅工事により、かつての面影はなくなってしまっている。

大門(仁王門、重要文化財) – 宝永4年(1707年)建立。
入母屋造、本瓦葺きの楼門。仏師春日作と伝える金剛力士像を安置。

天台宗系の粉河観音宗総本山。山号は風猛山(ふうもうざん、かざらぎさん)。

西国三十三所第3番札所。本尊は千手千眼観世音菩薩。伝承によれば創建は宝亀元年(770年)、大伴孔子古(おおとものくじこ)によるとされる。

粉河寺は平安時代には朝廷や貴族の保護を得て栄えたことは確かである。

清少納言の『枕草子』194段には「寺は壺坂、笠置、法輪(中略)石山、粉川、志賀」とあり、『梁塵秘抄』に載せる今様には、「観音験(しるし)を見する寺、清水、石山、長谷の御山、粉河(後略)」とある。

西行の『山家集』や、架空の物語である『うつほ物語』『狭衣物語』にも粉河寺への言及があるなど、遅くとも平安時代中期・10世紀には観音霊場として著名であったことがわかる。

平安時代後期には、その頃から始まった西国三十三所観音霊場巡りの札所の1つとして栄えた。

中門(重要文化財) – 入母屋造、本瓦葺きの楼門。
左右の間に四天王像を安置する。

棟札によれば明和年間(1764年 – 1772年)から長い年月をかけて天保3年(1832年)に完成。
「風猛山」の扁額は紀州藩第10代藩主徳川治宝の筆。

金剛力士は仏師春日の作と云われ、尊像の用材は桂の巨木。

鎌倉時代には550か坊もの子院を持ち、大勢の僧兵を擁し、寺領は4万石もあって広大な荘園を持ち、根来寺や金剛峯寺と比肩しうる大寺院であった。

戦国時代の天正元年(1573年)には境内南側の猿岡山(現・秋葉山)に猿岡山城を築き、寺の防衛を図ったが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の紀州征伐にあい、根来寺や雑賀衆とともに抵抗したものの全山焼失し、猿岡山城も陥落した。

この時、粉河寺縁起絵巻も焼損している。江戸時代の正徳3年(1713年)にも火災があり、現在の伽藍はほとんどがそれ以降の再建である。

粉河寺庭園

国の名勝。
中門から約3メートルの高さの石段を経て本堂に至る、その両翼に土留め石垣を兼ねた石組の庭である。

緑泥片岩を主とし、琴浦(ことうら)の紫石、龍門石(りゅうもんいし)などの紀州の名石を含む、多数の巨大な岩石が変化に富む手法で堅固に、美しく組まれている。ツツジの刈込みで石の間隙をうずめ、さらにビャクシン・シダレザクラ・ソテツなどの植栽が組み合わされている。

用いられている紀州石は、雑賀崎の青石(緑泥片岩)、琴浦の紫石(紅簾片岩)、竜門山の竜門石(蛇紋岩)と多岐にわたっています。

和歌山県の紀の川市にある粉河寺の本堂の脇に植えられている桜の木。
湯浅の元祖である湯浅宗重の父、藤原宗永が植えたと伝えられています。

すでにかなり世代が代わっているようですが、湯浅のスタートとなる桜です。

本堂(重要文化財)

西国三十三所の寺院の中で最大級の堂

中門の先、一段高くなった敷地に建つ。
享保5年(1720年)建立。

本尊千手観音(秘仏)を安置する二重屋根の正堂(しょうどう)と、礼拝のための一重屋根の礼堂(らいどう)を前後に並べた形式になり、西国札所として多数の参詣者を収容する必要から礼堂部分を広く取っている。

粉河寺の本尊千手観音像は絶対の秘仏とされ、公開された記録はない。

このため西国三十三所の札所などで見かける粉河寺の本尊の模造像や絵については、それが本物と相違しているか証明できる者はいないとされている。

日本の仏教寺院では、本尊が秘仏である場合、「お前立ち」と称する代わりの像を本尊厨子の手前に安置する場合があるが、粉河寺においては「お前立ち」像も秘仏である。

本尊像は火災を避けるために本堂下の地中に容器に入れて埋められているとされる。

「お前立ち」像は年に一度、12月31日に僧籍にある関係者が掃除のために開扉するのみで、在家の者が拝観する機会はない。

なお、内陣背面(後戸)に安置された「裏観音」と称する千手観音立像は拝観可能である。

環境省巨樹巨木林DBによれば、幹周/7. 70m、樹高/20m。粉河寺本堂の東側にあります。

傍らに「踞木地」の石碑が立っています。

粉河寺の開祖・大伴孔子古が踞(うずくま)り下を通る鹿を狙った故事によります。

十禅律院 – 元は塔頭の十禅院。

寛政12年(1800年)に独立して天台宗安楽律院派の寺院となっている。

正暦元年(990年)に塔頭として創建された十禅院が、寛政12年(1800年)に紀州藩第10代藩主徳川治宝により 天台宗の寺院に改められて十禅律院として独立した。

粉河寺にある丈六堂に安置されている阿弥陀如来像 。

釈尊は一丈六尺あったっとされておりこの大きさに作られた仏像を丈六という。

「粉河寺縁起」には2つの説話が語られている。

1つ目の話は粉河寺の草創と千手観音の由来に関するものである。

紀伊国の猟師・大伴孔子古は宝亀元年(770年)のある日、山中に不思議な光を発する場所を見つけて、そこに小さな庵を営んだ。

これが粉河寺の始まりという。
その後のある日、孔子古の家に一人の童子(童男行者)が訪ねて来て、一晩泊めてくれと言う。

童子は宿を借りたお礼にと言って、7日かけて千手観音の像を刻んだ。
8日目の朝、孔子古が見てみると童子の姿はなく、金色の千手観音の像だけがあった。

孔子古は殺生をやめて観音を信仰するようになったとのことである。

2つ目の話は千手観音の霊験説話である。

河内国の長者・佐太夫の娘は重い病で明日をも知れぬ命であった。

そこへどこからともなく現れた童行者が千手千眼陀羅尼を称えて祈祷したところ、娘の病は全快した。

喜んだ長者がお礼にと言って財宝を差し出すが童行者は受け取らず、娘の提鞘(さげざや、小太刀)と緋の袴だけを受け取り、「私は紀伊国那賀郡におります」と言って立ち去った。

長者一家が那賀郡を尋ねて行くと、小さな庵に千手観音像が立ち、観音の手には娘の提鞘と緋の袴があった。

長者一家は、あの行者が観音の化身であったことを知ってその場で出家し、孔子古とともに粉河寺の繁栄に尽くしたとのことである。

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ディープな大阪散策?! 日本一長い商店街


大阪にある天神橋筋商店街は、全長約2.6kmという日本で一番長い商店街。

南から1丁目、2丁目と北上していき7丁目まで続き、最寄り駅としては南から南森町駅~扇町駅~天神橋筋六丁目駅と3つの駅にまたがっている超ロングな商店街なのです

天神橋筋商店街入り口の御迎人形のモチーフ。

江戸時代、大坂の淀川沿いには諸藩の蔵屋敷が立ち並び、堂島の米市場、天満の青物市場、雑喉場の魚市場と三大市場の繁栄とともに、天神祭は盛大化していきました。
その江戸時代前期、町人文化(元禄文化)が花咲く元禄期に、御旅所は常設されました。
この御旅所周辺の町々では、天神祭の様々な趣向を凝らした風流人形をこしらえました。これが、御迎船人形(御迎人形)の始まりです。

井原西鶴は天満の天神さんへ度々通い、近松門左衛門は天満に住んでいたという。今も昔も人を惹きつける商いの町である。

天王寺7坂めぐり ⑦真言坂
生國神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が、明治の廃仏廃仏毀釈まで神 … 続きを読む →

生玉神社といえば井原西鶴。

浮世草紙(小説、好色一代男とか)を書く前は俳諧師(俳句読み)だったらしく、なかでも夜を徹して数多くの俳句を創作する「矢数俳諧」の先駆者として有名で、この生玉神社でも1680年に一晩で四千句を読み上げたとのこと。

近松の里
JR尼崎駅より北へ約2キロメートルにある広済寺、近松の墓、近松記念館、近松公園周 … 続きを読む →

近松門左衛門の50代の油ののりきった時代を、資料をもとに、二 紀会の彫刻家 故村上炳人(へいじん)さんが創作した「近松のま ち・あまがさき」のシンボル像。

この世の名残夜も名残・・・ お初天神
「誰が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞え。 取伝へ貴賤群集の回向の種。 未来成仏 … 続きを読む →

一月後近松門左衛門はこの二人の悲恋を人形浄瑠璃『曽根崎心中』として発表したところ、当時の大きな話題となった。

昔ながらの豆腐屋さんが作る「豆乳プリン」で有名な店。

豆腐3丁分の豆を使用したヘルシースイーツ。
丹波の黒豆を使用しているため、豆の甘みと風味が濃厚!黒蜜で甘さを調節しながらプルプルねっとりとした食感を堪能できます。

「左官」というレトロな文字が何ともうれしい。

地魚屋台にかかっている優勝旗がレトロ。

商店街のおこりは、江戸時代初期の1653年(承応2年)頃に、約2.3 kmの青物市が立ったことに始まる。

その後、この通りが大阪天満宮の表参道として繁栄し、交差する寺町通りに並ぶ多数の寺院への参拝者でもにぎわった。

さらに、大坂市中における青果物(野菜・果物)の取り扱いをほぼ独占していた天満青物市場を中心として発達した。

古称・別称は十丁目筋商店街で、現在も地元では十丁目(じっちょめ)と通称される。

これは、江戸時代から1872年(明治5年)まで天神橋の北詰が天満10丁目という町名だったことに由来する。

何故かこの通りには規模の大きい理髪店が多い。

天神橋5丁目あたりから横道に入ったところにある天満市場の周辺は、別名“ウラ天満”と呼ばれ、夜は屋台風の居酒屋やバーでおいしいお酒を楽しめます。

五丁目と六丁目の境目辺りから道幅がぐっと狭くなります。

この狭さが庶民的地元的雰囲気をよりいっそう引き立てますね。

気軽な雰囲気、酒も食事もうまい、安い!と、立ち飲み、ハシゴ飲みの聖地として地元でも人気を集める裏天満。

店に入ると漂う異国の香り、まるで上海に来たかと・・・・・・・

近くには本格的でいてリーズナブルな寿司屋が軒を連ねる「寿司屋通り」も・・・・・・・



「JR天満駅」もすぐ近くにあります。

この辺りお寿司屋さんが多いグルメ激戦区です!また、商店街から少し東側には安くて美味しいお店が集まり、「裏天満」と呼ばれる人気のエリアとなっています。

「大阪くらしの今昔館」の窓から商店街を見下ろす。
ウナギの寝床状のアーケードが続く。

「大阪くらしの今昔館」で江戸時代にタイムスリップ!
10階 展望フロア 桂米朝の歓迎の挨拶が流れ、9階の江戸時代の大坂の町並みが一望 … 続きを読む →

マクロの世界
住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は2001年4月に開館。 ここは「住ま … 続きを読む →



江戸時代の町名としての天満は、大川の北岸に東から西へ1丁目 – 11丁目下半まであり、天神橋の北詰がちょうど10丁目だった。

天神橋筋沿いは南から天満10丁目、宮之前町、又次郎町、摂津国町(つのくにまち)、綿屋町、夫婦町(めおとまち)、池田町という町名で、現在の天神橋5交差点付近が北限だった。

それより北側は1887年(明治30年)に西成郡川崎村から編入された地域にあたる。

その名前の通り、「天五」交差点からOsaka Metro谷町線中崎町駅へつながるアーケード商店街で、中崎・黒崎町・浪花町を通る。

天五中崎通商店街の東側は天神橋筋と交わり、西側は都島通と交わる。

無国籍シティ・中崎町
伝統文化から韓流情報まで 料理に踊りに音楽などのカルチャースクールもあり韓国の文 … 続きを読む →


天五中崎商店街近くに在る印度ネパール料理店『カンティプール 天五店』。

ランチは「日替わりカレー」をはじめ「チキンカレー」や「ベジタブルカレー」など10種類。結構、量が多いですが、持ち帰りもできます。

夜はコースメニューなども楽しめます。

もとは西成郡川崎村・北野村の各一部。延長開削される以前の天満堀川の堀止付近に位置し、大坂城下(大坂三郷)の天満綿屋町・夫婦町に隣接していた。


天満堀川沿いの綿屋町にあった備前岡山藩の蔵屋敷が浪花百景「堀川備前陣屋」にも描かれている。

江戸期には刑場があり、1882年(明治15年)に堀川監獄(のち大阪監獄に改称)が設置された。

1895年(明治28年)に大阪鉄道の玉造駅 – 大阪駅間が延伸された際に天満駅が開業し、1897年(明治30年)に大阪市へ編入されると急速に市街化した。

このため、大阪監獄は1920年(大正9年)に堺市へ移転され(現在の大阪刑務所所在地)、跡地には移管された大阪市によって公園が整備されることとなり、3年後の1923年(大正12年)12月に扇町公園が開園した。

大阪の中心部・梅田から扇町通を東へ徒歩約15分、または、Osaka Metro堺筋線扇町駅下車すぐ。

カラフルな建物デザインが目を引くキッズプラザ大阪に隣接する公園。

ジャングルジム、マウンテンスライダーなどの大型遊具や、小山を利用したトンネル状滑り台、ロッククライミングの練習場、グラウンドなどがある。

噴水やせせらぎ、季節の花々の花壇、芝生広場なども整備されているので、子ども達や家族連れ、散歩するお年寄りなどでいつも賑やか。近隣の会社員らが昼休みにお弁当を広げる姿も。

敷地内には卓球場、多目的室を備える施設・扇町プールや大阪市北部公園事務所もある。
南北に約2.6kmつづく天神橋筋商店街へは歩いてすぐ。

1950年(昭和25年)には公園内に大阪プールが設置され(現在は八幡屋公園に移転)、水泳競技を始め、多くのスポーツイベントが開催されたことでも知られる。

大阪プールのスタート台(飛び込み台)がモニュメントとして公園内に残されている。

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松下幸之助創業の地

福島区は大阪大空襲の被害をあまり受けなかった、区の7割が非戦災地域。

今では近代的な街に生まれ変わっているが、商店街の奥の奥は戦後のどさくさ横丁「地獄谷」、伝説のストリッパー一条さゆりの引退公演が行われた吉野ミュージック劇場が存在していた町でもある。

地獄谷、こんなディープゾーンがあったとは!

リバーガーデン福島 こもれびの丘

14,998㎡の広大な敷地を活かし大阪市中心6区最のガーデン。

アテナ塔

人々の幸せと森を守るアテナ神。
ここに住まう方、地域の方々全てが幸せに暮らせるよう遺跡に願いを込めました。

アテナ神の聖鳥である知恵の鳥フクロウも共に見守っています。

野田阪神駅前にはトヨタやイオンモールなどが並ぶ。

イオンとファッション・グルメなど多彩な専門店を有するショッピングセンター、ウイステ。

ウイステとは、植物の「フジ」(Wisteria)のこと。

15世紀ごろの当地周辺は「野田藤(ノダフジ)」と呼ばれるフジが美しく咲き乱れ、日本中に花の名所として知られていた(現在、福島区の花はフジである)。

このことから、新たに開業したショッピングセンターの愛称に、当地ゆかりの植物であるフジにちなんだ名が付けられた。

阪神本線の高架下、「野田阪神機械工具街」という看板が掲げられている。

この界隈は松下幸之助が電気器具工場を始めた地だけのことはあって、いまだに町工場の多い一帯だ。

松下幸之助創業の地記念碑(大開公園)

1918年(大正7年)松下幸之助23歳の時に、大阪市北区西野田大開町844番地(現在の大開二丁目)に借家を借り、妻むめの、義弟井植歳男(三洋電機創業者、当時15歳)の3人で松下電気器具製作所を創立。

1922年(大正11年)創業の家が手狭になったことから、西野田大開町896番地(現在の大開二丁目)に100坪余りの新工場(第一次本店・工場)を竣工した。

松下幸之助は終生この地に本籍を置いていた。

松下幸之助さんが誕生した、和歌山(紀州)を代表する石といえば、緑泥片岩(りょくでいへいがん)であり、阪南・和歌山から四国一帯にかけ一つに繋がる地層の中にある約1億年前の堆積岩で、緑泥岩を含んでいるため、青緑色に冴え、色があせず、景岩、石碑、石垣に用いられています。  

築城の名人・藤堂高虎が造った和歌山城の石垣をはじめ、松下幸之助氏生家跡の松下公園に建立された「松下幸之助君 生誕の地」(湯川秀樹氏 揮毫)などに使用されています。

和歌山周辺では昭和初期から採掘や採石が禁止され、現在は四国の阿波、伊予などのみで販売され、この緑泥片岩の石碑も、伊予西条市周辺の川から採石された自然石で、大きさ、形、色、艶など一番良いものを現地で探し当てました。

題字「松下幸之助創業の地」は、松下幸之助氏のご長女、松下幸子様の揮毫により刻み込まれました。

昭和7年(1932)の創業記念式典で、水道水のように大量の製品をどこでも安価に供給するのが産業人の使命であるという有名な「水道哲学」を説きました。

記念碑は直筆の「道」の文字が刻まれています。

「松下幸之助 創業の地」由来

松下幸之助氏:1894.11.27 ~ 1989.4.27 和歌山県海草郡和佐村出身。

この地大開は、松下電器産業株式会社の創業者 松下幸之助氏が大正7年(1918)3月7日、同社の前身「松下電器器具製作所」を創立した創業の地です。

のちに経営の神様と呼ばれ世界中にその名を馳せた松下幸之助氏は23歳の若さで配線器具の製造・販売を始め、昭和8年(1933)に門真市に移転するまでの15年余をこの地で過ごし、事業の進展とともに逞しく大開から巣立っていきました。  

松下幸之助氏は大開の人情や風土に育まれ、大開小学校の保護者会会長や大正14年(1925)には区会議員に当選するなど、文字どおり大開の一員として充実した日々を過ごしました。

松下電器の業容の発展に伴い移転を余儀なくされたものの、終生本籍をおいていたことが物語るように大開きは同氏ときわめてゆかりの深い土地であります。

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難波八十島の海老洲の八坂神社


当神社の創建に関しては、境内に現存の天治(1124)大治(1131)と読み得る石燈籠があります。

又、村の旧記に永徳3年(1383)霜月社殿再建と書かれており、足利3代将軍義満の頃で再建とあるから、これより更に以前に祀られた事がうかがえます。

元亀元年(1570)織田信長が石山本願寺攻めで、野田城の三好党を討とうとしたとき、先陣の将荒木村重を遣わして、戦勝を祈り陣馬陣刀を献じたと云われています。

細川家の記録に海老江堤の田の中に陣したと記されています。

「菜の花の はじめや北に 雪の山」 松 瀬 青 々

菜の花畑をとおし、雪をいただいた六甲山を望み詠んだもので、明治40年の作であるが当地はこの頃まで浪速津の中の一農村であり、農耕守護、生産守護、疫病災厄守護の御神徳を以て崇敬篤く地車三基、枕太鼓一基の巡行は今猶夏祭りの神賑として行われています。

淀川改修記念碑(海老江中公園)

淀川流域は豊かな水量で農作物には恵まれましたが、一方で数多くの洪水にあいました。とくに有史 以 来といわれる大 洪水が 明 治 18年(1885)に起こり、さらに同22年(1889)、同29年(1896)にも洪水
が続いて大阪は甚大な被害を受けました。

これを契機に中津川を利用して新淀川を開削する計画が立案され、明治29 年(1896)から淀川大改修を開始、明治43年(1909)にようやく完成しました。

このとき、中津川流域にあった海老江村の北部90町余りが新淀川の河床となりました。

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下町情緒を残す石畳路地


大和田街道

梅田街道ともいいう、起点は難波橋北詰で、海老江から西成大橋(明治41年・1908年竣工。現存せず)、姫島、大和田、出来島、佃、左門殿川を通り、終点は大物(尼崎市)にいたる旧国道。

大正15年(1926)に淀川大橋が架かって新国道ができると自然と廃れてしまいました。
所々に大和田街道の石碑が点在しています。

下町情緒が残る福島区海老江に石畳が残された地域があります。

結構まとまった区画で残っているので、大阪市内ではかなり貴重です。

「田辺聖子のエッセイにそんな風景を描写したものがあったよ」という。

田辺さんが子供のころ暮らした場所とスケッチした場所は一駅分離れているが、エッセイに登場する路地はおそらくこんな雰囲気だったに違いない。

「1975年(昭和50年)5月6日 国道線・甲子園線・北大阪線全線廃止」になったのでその石畳が使われたのだとの説がある。

上下水管はこの石畳の下を通ってるんですよね。


古代、旧淀川から運ばれる土砂によって大小さまざまな砂州や島々が数多く形成され、この辺りは難波八十島とも呼ばれました。

海老江もそのうちのひとつで古文献などによると、かつては海老洲とよばれていた。

戦災の被害が比較的、少なかった地域で、海老江7丁目には長屋や石畳の路地などが残って、下町情緒を今に伝えてくれています。

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開花前の小休止 長居植物園

今長居植物園では早咲き種とソメイヨシノに代表される一般種の交代時期に当たっています。

河津ザクラのような早咲き種は花が散ってしまっており、ソメイヨシノはあと一息というところで、公園には見るべきものがない状態です。

コウヨウ

早咲き種とソメイヨシノの橋渡しをするような花です。

アーモンドの花は、3月から4月に咲きます。見頃の時期は桜よりも少し早いと言われています。

アーモンドと桜の大きな違いは 花柄(かへい) にあります。

花柄とは、枝上における花の配列状態を支える茎のこと。

アーモンドはこの花柄が短く、枝に沿うように花を咲かせています。

一方、桜はさくらんぼのようにふんわりとした長い花柄で、1つの花芽から複数の花を咲かせることが特徴です。

ムスカリ

名の由来はギリシャ語の moschos(ムスク)であり、麝香のことである。
花は一見するとブドウの実のように見えることから、ブドウヒアシンスの別名を持つ。

ウンナンオウバイの名前は、雲南省原産で梅の時期に梅に似た花を咲かせることに由来しています。

名前に「梅」と付きますが梅の仲間ではなく、モクセイ科ソケイ属に属する植物で、ジャスミンの近縁種です。

スノーフレークは、スイセンに似たすらりとした葉に、スズランのようなベル形の花を下向きに咲かせます。

白い花弁の先端に緑色の斑点があり愛らしい。

コブシ

ハクモクレンとコブシは、遠くから見ると、同じような形をした白い花です。

近寄って見たときに最もわかりやすい違いは、花びらの枚数です。

コブシの花びらは、6枚ですが、ハクモクレンは、萼も花びら並に大きく目立つため、花びらの様に見えるものが全部で9枚あります。

クリスマスローズ

クリスマスローズは種類が沢山あります、意外と知られていないのでは。

ボケ

果実が瓜に似ており、木になる瓜で「木瓜(もけ)」とよばれたものが「ぼけ」に転訛(てんか)したとも、「木瓜(ぼっくわ)」から「ぼけ」に転訛したとも言われる。

白花のボケ。

スモモの花言葉の一つに「誤解」という言葉があります。

「誤解」については中国の故事に由来する有名なことわざ「李下に冠を正さず」に由来しています。

これは「スモモの木の下で冠をかぶりなおすと、それが遠目で見るとスモモを盗んでいるように見えるので、誤解を招くような紛らわしい振る舞いはするなという意味で使われます。

「スモモ」という名前の由来は、「果実がモモに似ていること」と「酸味が強く酸っぱいこと」から「酸っぱいモモ」→「スモモ」と呼ばれるようになったというのが有力な説なようです。

水が抜かれた大池に鳥のアシ跡が点々と・・・・

小池で陽を浴びてひときわ目立つ木があり、風情を感じる。

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宗像神社


宗像三女神(多紀理比売命、多岐都比売命、市寸島比売命を主祭神に、倉稲魂神と天岩戸開神の2柱を配祀する。

主祭神は『日本三代実録』に、筑前国の宗像神社(現宗像大社)と鎮座地を異にするが「同神」であると記されたり、「同神別社」であると記されている。

社伝によれば、延暦14年(795年)、藤原冬嗣が桓武天皇の勅命を蒙り、皇居鎮護の神として筑前宗像神を勧請し、自邸である東京第(東京一条第ともいう)の西南隅に祀ったものと伝えるが、当神社の鎮座由来を記す最古のものとしては源師房による『土右記』が挙げられる。

ちなみに、この藤原冬嗣とはどんな人なのかと言いますと

810年に起こった『薬子の変(くすこのへん)』で活躍した人物として知られています。

この事件は都が平安京に遷都されたにも関わらず先代の天皇であった平城天皇(へいぜいてんのう)や藤原薬子(ふじわらのくすこ)によって再び奈良(平城京)に都を遷都させようとした政変です。

この時、藤原冬嗣は時の天皇であった嵯峨天皇や坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)らと協力し平安京を見事に守った。

花山院家は、三條家や西園寺家と同じく「清華家」に属する。「清華家」とは太政大臣になる資格を有する名家7家の家格の名称である。

さらに上位に、摂政になる資格を持つ「摂家」がある。

東京第は嘉祥3年(850年)に清和天皇(生母は冬嗣の孫の明子)が誕生した場所で、その縁から同天皇の産神・産土神と崇められたようで、宗像3神には即位の翌年である貞観元年(859年)に正二位が授けられており(その後従一位に昇進)、同7年(865年)には同じく邸内社であった天石戸開神にも従三位が授けられ、同年4月17日には特に楯・桙・鞍を奉納するほどであったが、『延喜式神名帳』には登載されずに終わった。

その後、藤原時平の代に倉稲魂神を合祀し、更に天承元年(1131年)に藤原師実から子家忠が花山院(小一条第も花山天皇の皇居とされて以来「花山院」と呼ばれるようになっていた)を伝領して花山院家を開くと、天石戸開神をも合祀して同家の守護神とするようになり、建治元年(1275年)になって初めて官社に列したという

御苑南部にある宗像神社周辺のクスノキの大木には、毎年4月下旬頃から10月頃までアオバズク が訪れ営巣します。

この時期、運が良ければ夕方から夜にかけて、ホウホウという鳴き声が聞けたり、また、7月以降になると、2羽の親と数羽のヒナと仲良く肩を並べている姿を見ることもあります。

平成4年に「アオバズクのすむ森」として、京都府の自然200選に選定されました。

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京都早咲きさくら探索


川端通、春風にヤナギが緩やかに揺れています。

途中で見かけたかわいい猫たち。

冷泉家は現存する唯一の公家の住居だが同志社大学の一角に埋もれた形だ。

五摂家筆頭とされる近衛家の邸宅跡。
かつての庭園にあった池は今も「近衛池」として残り、邸内にあった糸桜は今も名所として知られます。

池に水がなくちょっと寂しい。

ここにあった屋敷は織豊時代の頃に当時の近衛家当主であった近衛前久が建てた物です。

といっても当時戦乱であちこちを流浪していた近衛家にそんな金があったわけが無く、 前久はある「由緒ある金蔓」におねだりするわけです。

この「由緒ある金蔓」というのが島津氏なんです。

一般に糸桜と言われますが、枝垂れ性の江戸彼岸(エドヒガン)で、いわゆる枝垂桜と同じものです。

やや遅れて咲く八重の枝垂桜は八重紅枝垂桜という園芸品種です。

半日の雨より長し糸桜  松尾芭蕉

福島県三春町の三春滝桜(みはるたきざくら)は糸桜の巨木として古くから知られています。
日本三大桜「三春滝桜」は見事でした
樹齢推定1000年超のベニシダレザクラ(紅枝垂桜)の巨木。 国の天然記念物。三春 … 続きを読む →


京都御苑 出水のしだれ桜

「出水の小川」の向かいに銘木「出水のしだれ桜」がたっています。
この回りには桜が少ないため、1本桜で目立ちます。

京都御苑の中には、雪柳が美しいスポットはいくつかありますが、なかでも、宗像神社の東側の雪柳は、なかなか見事なものがあります。

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長徳寺のおかめ桜散り始めてます

コロナ自粛が解除されたので早速京都の早咲きザクラへ。
おりから「ニューヨークが生んだ伝説の写真家永遠のソール・ライター」展が美術館「えき」KYOTO(京都駅ビル内ジェイアール京都伊勢丹7階隣接)で開催されており兼ねて出かけた。

すでに桜は散り始めています。

ピッタシのおかめはなかなか見れない。

遅かりし長徳寺のおかめ桜
3/16所用で京都を訪れ長徳寺に寄ってみる。 すでに見頃を終わっていた。 昨年は … 続きを読む →

見頃を迎えた長徳寺のオカメ桜
3/10に訪問したのですが、3/13京都を訪れた際、気になり長徳寺に寄って見る。 … 続きを読む →

長徳寺おかめ桜咲き始め
3月10日、知る人ぞ知る京都の早咲きスポットである長徳寺のオカメ桜の開花を確認。 … 続きを読む →

今年の出町柳 おかめ桜
法然院の椿を見に出かけたついでに出町柳の長徳寺のおかめ桜を覗いてみる。 今日は4 … 続きを読む →


さすがに地元だけあってMKタクシーはドンピシャの画像をのせている。
長徳寺のオカメ桜 見頃 2021年3月7日 撮影:MKタクシー。

足下を見ると、地面がピンクに染まっています。

この時期ならではの楽しみ方です。

桜は咲いているときだけでなく、散るときまで美しいのが魅力のひとつです。

やや小ぶりな花を咲かせるオカメ桜は、散ったときの姿もまた魅力的です。

その後ソールライタ展を見に美術館「えき」へ、ここでクラブのメンバーとばったり、しばし写真談議に花が咲いた。
ソールライタ展の会期は3.28 日まで、まだの方はお急ぎを。

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春 到来 長居植物園


落葉樹の姿は冬のままですが日射しは春めいてきています。

暖かい日差しでネコはのんびり日向ぼっこ。

シジュウガラがやってきました。

どうやら水たまりが目的のようです。

ごく普通に見られ市街地の公園や庭などを含む平地から標高の低い山地の林、湿原などに生息します。

通常は渡りを行わないが、寒冷地に分布する個体や食物が少ない時には渡りを行うこともある。

和名は地鳴きの「ジジジッ」が「シジュウ」に聞こえることに由来する。

ハイポーズ!
カンザキハナナの中でほほえましい風景が見られます。
コロナ過の中、少人数で蜜を避けながら春を楽しんでいます。

白木蓮はモクレンの仲間で、真っ白な花が春の訪れを感じさせてくれる落葉高木の1つです。

花が開くと風が上品な香りを運び、心を和ませてくれます。

こちらは蕾です。

アセビは、ツツジ科アセビ属の常緑低木。
日本に自生し、観賞用に植栽もされる。
別名あしび、あせぼ。

馬酔木の名は、「馬」が葉を食べれば毒に当たり、「酔」うが如くにふらつくようになる「木」という所から付いた名前であるとされる。

ミニ水仙(すいせん)・ティタティタは花径は3?4cm、草丈は10?20cmくらいの可愛らしいミニスイセンです。

エピデンドラムは、中南米に広く分布するラン。

ゴールデンクラッカーが属するユリオプス属の植物は、南アフリカを中心に約95種が分布しており、花の美しい幾つかの種が観賞用として栽培されています。

ネモフィラ

北アメリカ原産の一年草で、和名を瑠璃唐草(るりからくさ)といいます。

ウンナンオウバイは、中国南西部に分布するモクセイ科ソケイ属の常緑性低木。

分布域は中国南西部の雲南省、貴州省、四川省にあり、標高500~2600mの渓谷、森林などに自生しています。

クリスマスローズは、クレマチス、ラナンキュラス、アネモネなどと同じキンポウゲ科の植物です。
クリスマスローズは、冬の花が少ない時期に花を咲かせる常緑の植物。

ゲンカイツツジ

カラムラサキツツジの変種で、岡山県以西の本州、九州北部、四国北部などの岩場に自生が見られる。

対馬諸島や朝鮮半島などにもあり、玄界灘を囲むように分布することからゲンカイツツジと命名された。

ミツマタ

3月から4月頃ごろにかけて、三つ叉(また)に分かれた枝の先に黄色い花を咲かせる。

そのため、「ミツマタの花」は日本においては仲春(啓蟄〔3月6日頃〕から清明の前日〔4月4日頃〕まで)の季語とされている。

皮は和紙や紙幣の原料として用いられる。

マンサクの語源は明らかでないが、早春に咲くことから「まず咲く」「真っ先」が変化した説、多数の花が豊作に通じることから「万年豊作」に由来するなどの説がある。

ボケ

原産地は中国大陸で、日本へは古く平安時代に渡来し、観賞用に栽培された帰化植物。

果実が瓜に似ており、木になる瓜で「木瓜(もけ)」とよばれたものが「ぼけ」に転訛(てんか)したとも、「木瓜(ぼっくわ)」から「ぼけ」に転訛したとも言われる。

シナレンギョウ

日本の公園や庭木などで「レンギョウ」として一般的に植栽されているのは、レンギョウ、シナレンギョウ、チョウセンレンギョウです。

サンシュユ

中国原産で、春先に葉が出る前に黄色い花を咲かせ、秋にグミに似た赤い実をつける。
別名でハルコガネバナ、アキサンゴ、ヤマグミとも呼ばれる。

クローズアップ

和名アンズは、杏子の唐音とされている。

古名は、カラモモ。
中国植物名は杏(きょう)。

中国大陸から日本への渡来は古く、日本最古の本草書『本草和名』(918年)には、漢字を「杏子」、和名「カラモモ」とある。

オガタマノキ

和名は神道思想の「招霊」(おぎたま)から転化したもの。
和歌、俳句の季語にも用いられる。
黄心樹の字は本来誤用である。

日本神話においては天照大神の天岩戸隠れにおいて天岩戸の前で舞った天鈿女命が手にしていたとする説がある。
榊の自生しない地域を中心に神前に供える玉串として古くから代用されたり、神木とされて神社の神域などに植栽されている例がみられる。

常陸宮正仁親王のお印であり、宮崎県高千穂町や三重県伊勢市などが町のシンボルとしている。

ギンヨウアカシア(Acacia baileyana)は、春早くに株を覆うほどの黄色い花を咲かせ、よく目立ちます。

名前のとおり葉色が銀灰色で観賞価値が高く、庭園樹として人気があります。

キクカチャ

白菊によく似た小ぶりの、とっても可憐な花です。

キンカチャ

中国の広西省地方原産。
椿としては珍しい黄色花。
温室内でときどき見かける。

残念ながらまだつぼみです。

カンザキハナナ

春の畑は菜の花がいっぱいであるが、カンザキハナナは真冬から咲き始めるので「寒咲き花菜」である。

花の部分は真冬から早春に掛けて「菜の花」として花材として、あるいは食卓に彩りをそえている。

1万本の春 第一なぎさ公園、早咲き菜の花
残雪の比良と菜の花のコラボレーションを見ようと滋賀を訪れた。 12月下旬~3月上 … 続きを読む →

春を先取り 第1なぎさ公園の菜の花畑
今年は暖冬のため、定番の雪の残る比良山とのコントラストは望めないなあと考えつつ公 … 続きを読む →

もうずいぶんと前から春先の菜の花の鑑賞地、撮影地として知られた所だが、極寒のこの時期からほぼ満開を迎えていた。ちょうど琵琶湖越しに雪化粧した比良山との取り合わせがきれいで、毎年多くの人が訪れる。

ユキヤナギは春、枝垂れた枝先の長い穂に、たくさんの花を咲かせてひときわ目を引き、花壇や公園によく植えられている植物。

近年は、‘フジノ・ピンク’などの花弁の外側がピンクの品種が植えられることも多く、白一色だったユキヤナギにも色幅がふえました。

ユキヤナギの和名は、葉がヤナギに似て、白い多数の花が、雪をかぶったように見えることからつけられました。

シバザクラ

4・5月頃にサクラに似た形の淡桃、赤、薄紫、あるいは白色の花を咲かせる。
葉形やその匍匐性などから芝桜と名付けられた。

サクランボは有史以前から食べられていた。

原産地の推定は、1世紀の古代ローマの博物学者プリニウスが著書博物誌に書いた説明に基づく。

これによると、古代ローマの執政官ルクッルスが第三次ミトリダテス戦争で黒海南岸のケラソス(Kerasos、現在のトルコギレスン (Giresun) )近くに駐屯した際、サクランボの木を見つけ、ローマに持ち帰ったという。

残念ながら見頃を過ぎています。

ジンチョウゲ

原産地は中国南部で、日本では室町時代頃にはすでに栽培されていたとされる。
雌雄異株だが、日本にある木は雄株が多く、雌株はほとんど見られない。

沈丁花という名前は、香木の沈香のような良い匂いがあり、丁子(ちょうじ、クローブ)のような花をつける木、という意味でつけられた。

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