細川ガラシャ終焉の地


明治27年(1894)に「聖アグネス聖堂」として建てられたが、空襲で焼失。

昭和38年(1963)に「大阪カテドラル聖マリア大聖堂」に生まれ変わった。

敷地が細川大名家の屋敷跡であったことから、大聖堂前広場には細川ガラシャとキリシタン大名・高山右近の石像がある。

教会の内部はきれいなステンドグラス。

壁面には、故堂本印象氏による画「最後の日のガラシャ夫人」が掲げられている。

細川忠興と結婚後、高山右近からカトリックの教えについて聞かされ心魅かれ、イエズス会士グレゴリオ・デ・セスペデス神父の計らいで、自邸で密かに洗礼を受けます。

洗礼名はガラシャ。

関ヶ原の戦の直前、夫・忠興が徳川方につき上杉討伐のため不在となった隙に、大坂玉造の細川屋敷にいた彼女を、西軍の石田三成は人質に取ろうとしたが、ガラシャはそれを拒絶します。

その翌日、三成が実力行使に出て兵に屋敷を囲まれると、ガラシャは家老の小笠原秀清に槍で部屋の外から胸を貫かせて死にました(キリスト教では自殺は大罪なので)。

38歳で死を選択した彼女の辞世の句は胸に響きます。

散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ

ここは、細川越中守の屋敷跡と伝えられている場所で、屋敷の台所があったとされるところに「越中井 細川忠興婦人秀林院 殉節之遺址」という石標が立っています。

青刻昆布は、昆布の加工品の原点ともいわれるものだそうです。

“刻み昆布”とは、原料の昆布を煮てから細かく糸状に刻み、乾燥した食品。野菜と煮たり、煮物の具にする。

大阪で昆布の加工品が盛んに製造されるようになったのは、享保年間(1720年前後)から,北前船が北海道へ米や酒を売りに行き,戻り船に大量の昆布などを買い付けてきたため、その良質の昆布を加工する産業が発達したためとされる。

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小説「細川ガラシャ夫人」は女流作家三浦綾子が昭和48年1月から2年5ケ月に亘って執筆。

初めての歴史小説。

この小説の中に「鉦の音」「縁」の中に光秀が坂本城主になってから、西教寺の不断念仏の鉦の鳴る本堂へ、妻煕子、末娘玉子(細川ガラシャ夫人)、左馬助光春(家臣)、郎党を連れての参詣の様子が描かれている。

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本堂庭園には忠興とガラシャ夫人の墓塔となっている春日灯籠がある。
この燈籠は忠興が生前こよなく愛し,自ら墓標に指定したといわれる。

また、細川家墓地から藪を挟んだ裏手には非公開の墓地があり、忠興とガラシャの嫡男で追放された細川忠隆こと長岡休無や、出雲阿国、名古屋山三郎、森鴎外の著作「興津弥五右衛門の遺書」で有名な興津弥五右衛門などの墓がある。

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玉20歳の天正10年(1682)父光秀が主君信長を倒した「本能寺の変」で、丹後三戸野(みとの)に幽閉される。

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