石座神社


創建については明らかでないが、日本三代実録に

元慶四年十月十三日癸巳、山城国正六位上石坐神、授従五位下

とあり、元慶4年(880年)時点で既に岩倉の地に鎮座していたとされ、この地の名称の由来となった。

なお、当時の鎮座地は、現在の岩倉西河原町にある石座神社の御旅所にあたる山住神社であり、社殿を持たず、御神体の磐座を崇める古神道の形が今に残る。

磐座から神秘的な雰囲気が 山住神社
古代の人々は、山住神社の後ろにそびえたつ山を神南備山(かむなびさん)と仰ぐ巨石を … 続きを読む →


天禄2年(971年)に行われた大雲寺の造営に伴い、石座明神がその鎮守神として、現在地の大雲寺境内に勧請される。

長徳3年(997年)4月18日に神殿が新築され、石座明神と共に、新羅・八幡・山王・春日・住吉・松尾・賀茂の七明神が勧請、合祀され「八所明神」と称した。

なお、旧来の石座明神社は、八所明神社の御旅所となった。

後に西社が建造され、東社の八所明神に加え、伊勢・平野・貴船・稲荷の四明神が祀られ「十二所明神」と称した。

天文15年(1546年)、細川国慶と当時の岩倉領主山本尚則が大雲寺近辺で交戦し、大雲寺も兵火を被った。

その際、鎮守社であった八所・十二所明神の社殿及び古文書を焼失する。

その後、天文22年(1553年)に両社が再興され、天正2年(1574年)に両社の社殿も再建される。

この社殿は明和3年(1766年)にも改造築され、この時作り変えられた社殿が現存している。

明治以降、旧来の石座明神社が「山住神社」、八所・十二所明神社が「石座神社」と改称される。

明治10年(1877年)、現在の岩倉村松町にあたる「正水山」の一言神社が石座神社境内に合祀される。

明治11年(1878年)には石座神社裏の「万年岡」にあった福善社が石座神社境内に合祀される。

昔、岩倉に2匹の大蛇が現れて、人々や田畑に危害を加えた。

人々はおおいに苦しみ、大蛇の退去を願って様々な手法を用いても効果がない。

神に祈っても無駄で途方に暮れていた。

石座大明神に訴えたある夜、夢枕に老いた尼が立ち、「神火をもちて向え」と教授したという。

夢が覚めて神前の燈火をうつして大蛇に対すると、大蛇は後ずさりしつつ、遂にいずれかへ逃げ去ったという。

現在、雌雄の大蛇をかたどった松明を燃やす神事は、大蛇退治の模式であるという。

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