早春の丹波路


野菜の収穫の終わった畑、春の植え付けを待ちます。
向こうで農作業の人がいます。

近づいてみると耕した後の畑で畝づくりをしています。

枯れ芙蓉もすでに種をまき散らした後です。

三田ではいちご狩りを楽しむ。

農業用のため池、逆さ富士はどこでもおなじみの風景。
なにやら春めいた感じがします。

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日本の原風景 美山かやぶきの里


以前は北桑田郡美山町だったのですが、今は南丹市美山町に変わっています。
「北」の集落には50戸のうち38棟がかやぶきの屋根です。

最近見かけなくなった、陶製の赤ポスト。
村の入り口にあるお地蔵さん。
この北村の真ん中を鯖街道が通っています。

高く伸びたカヤが印象的でした。

伝統的技法による建築物群を含めた歴史的景観の保存度への評価も高く、平成5年(1993年)12月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

最近葺き替えをした家。

茅葺き屋根の棟に載せられた 木製の千木(雪割り)は、降り 積もる雪を滑りやすくしたもの だという。
千木の縦板(うまのり) はほとんどが5本だが、7本 あるのは往時の庄屋あるいは 豪農の家だったとされる。

茅の葺き替えは、一部を葺き替える部分葺き。かつては50年持った屋根が、中で火を焚かなくなったため、 屋根の南面は20年強、北面は15年ほどしか持たない。

田んぼで稲を刈り取って脱穀した後の藁を円錐状に積み上げた「わらぐろ」は、今では、コンバイン導入といった機械化で少なくなってしまった。

秋の脱穀後、翌年の春まで田んぼに安置して、藁を保管し、その藁は藁細工や牛のエサなどに使用していました。

残雪もわずかありました。

これらのかやぶきの家にはそのまま、生活に使われており、生活のにおいがする。

軒下には懐かしい農機具が展示されている。

右端は唐箕(とうみ)、臼などで籾殻をはずしたあと、風力を起して穀物を 籾殻・玄米・塵などに選別するための農具。

その左は足踏式脱穀機、逆V字型の針金を埋め込んだ円筒形のこぎ胴を人力によって回転させ、そこに稲や麦の束を押し付けることで穂から子実をこそぎ落とす。
踏板と歯車をクランクで連結し、上下運動を回転運動に変えていた。

一番左は回転式中耕除草機、2個の転車の作用で水稲の条間の中耕除草を行うもので、前転車の爪は細長く先がとがっていて土中に食い込みやすく、おもに反転除草に適し、後転車の爪は幅広く湾曲を強くしてあるので、前転車で膨軟にした土壌を反転埋草するのに適している。

枯れても百合、花が落ちた後種を蓄えているのでしょうね~日光を浴び輝いて見えました

美山川の清流を泳ぐアユと、中央に旧美山町の「み」をデザインした町章が描かれています。

茅葺き民家が多く残る町として「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。
汚水管マンホール蓋。

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都心近く、中之島漁港


大阪の都心部、阿波座駅から10分ほどの場所にあります。
大阪ではなかなかできない海鮮のバーベキューが出来ます。

各地の漁港で獲れたての魚を活きたまま街に運ぶ。
まるで港にいるような活気や人のつながりが生まれる。

普通の鮮魚店と異なるのは、多くの生け簀があって、通常生では手に入らないような魚が活きたまま販売されていること。

例えば、サバなどは、大阪で手に入るのは、塩サバや、酢でしめたものなどが多く、生のものはなかなか口にする機会がありませんが、ここでは、新鮮なサバが生きたまま販売されているため、お造りなどでもいただくことができます。

漁港というから魚は船で水揚げされるのかと思いきや、も各地からはトラックで運ばれる。

中は海鮮丼が食べられるコーナーあり、外にバーベキューコーナーがあり、カキやホタテがその場で焼けて楽しい。

どちらかというと中国、韓国、台湾の客が多く春節の時期ともなるとかなりにぎわうそうだ。

川を挟んだ対岸には、大阪市中央卸売市場があり、業者さん同士の取引が行われていますが、中之島漁港にもプロの料理人の方が業務用として買い付けに来られることもあるのだそうだ。

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夕暮れ迫る南港にて








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一乗山大伝法院根来寺


大門
根來一山の総門で嘉永3年(1850年)に再建されたもので、左右に仁王像を配し、この寺にふさわしい大門です。

上層には釈迦三尊と十六羅漢像が安置されています。
高さ16.88m 横幅17.63m 奥行6m

入り口にたくさんの無縁仏群があります。

永禄の年号が刻まれたお地蔵さんもおられました。秀吉の根来攻め以前の石仏です。

平安時代後期の高野山の僧で空海以来の学僧といわれた覚鑁が大治5年(1130年)に高野山内に一堂を建て、伝法院と称したことに始まる。

鳥羽上皇は覚鑁に帰依し、荘園を寄進するなど手厚く保護した。2年後の長承元年(1132年)、覚鑁は鳥羽上皇の院宣を得て、高野山に大伝法院と密厳院(みつごんいん)を建立した。

さらに2年後の長承3年(1134年)、覚鑁は金剛峯寺座主に就任し、高野山全体を統轄する強大な勢力をもつに至る。

大伝法堂(三尊像)
根来寺を総括した本堂。

中央に大日如来、左脇に金剛薩た、右脇に尊勝仏頂尊を安置してあります。

このお堂は、天正十三年に焼失を免れた直後に、秀吉は京都紫野大徳寺の文蔵主に管理を任せたのですが、どう間違ったものか文蔵主は拝領したものと思い、大傳法堂を解体して紀の川を下り海路淀川をさかのぼりはじめたところで差止められ、文蔵主は罰せられて流罪となりお堂の用材はその場に全部荷揚げしてそのまま朽ち果ててしまいました。

今の淀川河口の伝法町がその場所といわれています。
現在のお堂は文政十年(1827年)に再建されたものであります。

大塔(多宝大塔) – 国宝。

高さ40メートル、幅15メートルの日本最大の多宝塔。

「多宝塔」とは二層一階建ての塔で、通例、初層(裳階)の平面が方形、上層が円形に造られる。

この塔も、初層の外見は方形だが、初層内部には円形の内陣が造られており、円筒形の塔身の周囲に庇を付した、多宝塔本来の形式をとどめている。

内部には12本の柱が円形に立ち、そのなかに四天柱が立っている。

覚鑁は当時堕落していた高野山の信仰を建て直し、宗祖・空海の教義を復興しようと努めたが、高野山内の衆徒はこれに反発し、覚鑁一門と反対派は対立しあうようになった。

保延6年(1140年)には、覚鑁の住房・密厳院を含む覚鑁一門の寺院が高野山内の反対勢力により焼き討ちされるという事件が発生。

覚鑁一門は高野山を下りて、大伝法院の荘園の一つである弘田荘内にあった豊福寺(ぶふくじ)に拠点を移した。

室町時代末期の最盛期には坊舎450(一説には2,700とも)を数え一大宗教都市を形成し、寺領72万石を数え、根来衆とよばれる僧衆(僧兵)1万余の一大軍事集団を擁した。

また、根来寺僧によって種子島から伝来したばかりの火縄銃一挺が持ち帰られ、僧衆による鉄砲隊が作られた。

織田信長とは石山合戦に協力するなど友好関係を築いたが、信長没後、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄の戦いにおいて徳川方に通じ留守の岸和田城を襲ったほか南摂津への侵攻を図ったことで秀吉の雑賀攻めを招くこととなった。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで徳川方が勝利した翌年、家康は東山の豊国神社の付属寺院の土地建物を根来寺の僧で焼き討ちされた塔頭智積院の住職であった玄宥に与え、智積院は東山の地に再興した。

慶長20年(1615年)の大坂の陣で豊臣家が滅びた後、家康によって秀吉が鶴松を弔うために建立した祥雲寺が根来寺に寄進されるが、そのまま智積院が譲り受けて寺地を拡大させた。

閼伽井(あかい)

仏にお供えする水の他、宗門僧侶の水垢離(みずごり)用として使用される。この水は当山中第一の清水で、永雨で河川がにごっても、この水はにごらない。
しかも非常に冷たい水であり、依って金剛清水と呼ばれている。

鐘楼門
鐘楼が付いた門、毎日、午前6:00に鐘を鳴らしています。

名勝聖天池に浮かぶ堂は聖天堂で聖天尊を安置している。

この堂正面の朱塗の壇が有名な「根来塗」で古くから伝わっているものです。

九社明神

根來寺の草創当時から豊福寺の鎮守社。
丹生大明神(にう)・
高野大明神(こうや)・
伊太祁曽大明神(いたきそ)・
御船三所大明神(みふねさんしょ)・
金折六所大明神(かなおりろくしょ)・
金峯山金剛蔵王(きんぷせんこんごうざおう)・
熊野三所権現(くまのさんしょごんげん)・
白山妙理権現(はくさんみょうりごんげん)・
牛頭天王八王子(ごずてんのうはちおうじ)を祀っています。

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根来寺 身代り不動


根来寺は広大な寺域を持つ寺院だが不動堂は、少し本堂から離れた、こじんまりとした所にあります。

本尊は大聖不動明王大仏。

高野山にて真言宗の立て直しを押し進めた覚鑁上人に対し、反対派は刺客を差し向けますが不動明王が身代わりとなって上人の危機を救ったという故事から「きりもみ不動」として信仰されている。

四大明王、文殊菩薩、愛染明王も祀られます。

「身代わりお不動さん」の信仰が広く親しまれており、体の悪いところや、病気の場所などをタワシで洗います。

「八角円堂」の後ろに「北向不動明王」がおられるようです。

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橋上への落陽ならず


春分の日、秋分の日は明石海峡大橋上に陽が沈むにの目安だ。

少し早めだが天候を見計らったうえで撮影に、期待しながら大阪府庁咲洲庁舎、地上252mの展望台を目指す。

少しガスがかかっている、時を待つこととする。

現時点では橋は確認できず。

天保山桟橋を望遠すると客船が着岸している。
後で調べたらアマデア 29,008t バハマ船籍 ホノルル~横浜~名古屋~大阪~広島~金沢~ウラジオストック~

出港するのは名門カーフェリー「ふくおかⅡ」新門司を目指す。

日の入りまであとわずかだが依然として橋の姿は見えず、ほぼ絶望と感じる。

危惧した通り下層には黒い雲が。

完全に雲の中に埋没、夕暮れの中「ふくおかⅡ」がかすむ。

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春近し 長居植物園


三寒四温の日が続き春の近づきが感じられるこの頃、今日は暖かい日差しに恵まれサギもあたたかさにさそわれて日向ぼっこ。

スイセンはわが世の春と咲き誇る。

梅もそろそろ最盛期を迎える。

若い芽が芽吹くこの時期、枯れ芙蓉はなにか絵心を刺激してくれる。

ネコヤナギも芽吹いてきました。

クリスマスローズは今が盛り、下を向いて咲く花が多く撮影には難儀。

シンシローバイも見頃。

カンツバキも華やぎを添える。

少し気が早いかな、早咲きのチューリップが登場。

室内の温かいところではハナキリンも見られる。

シクラメンもあでやかさを競う。

ハツユキカズラの紅葉もきれいです。

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大阪市中央公会堂


大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は、1911年(明治44年)、株式仲買人である岩本栄之助が公会堂建設費として当時の100万円(現在の貨幣価値にしておよそ数十億円とも)を寄付したことにより、1911年8月に財団法人公会堂建設事務所が設立され、建設計画が始まった。

特別室に入るとまず目に飛び込んでくる壮大な天井画!!

日本神話から「天地開闢(てんちかいびゃく)」の様で高天原に生まれた三柱の神。

伊邪那岐に天沼矛を授けようとする天津神。

堀江を開削し 茨田堤(まむたのつつみ)を築き、高津宮を難波に造営した仁徳天皇。
画は 仁徳天皇が 淀川の治水工事の関して臣下から説明を受けているところだろうか。

北浜の風雲児と呼ばれた相場師・岩本栄之助は渋沢栄一が団長となった1909年(明治42年)の渡米実業団に参加し、アメリカ大都市の公共施設の立派さや富豪たちによる慈善事業・寄付の習慣に強い印象を受けた。

彼は父の遺産と私財をあわせた100万円を公共施設建設に寄付することを決め、蔵屋敷の廃止後衰退し再生を模索していた中之島に公会堂を建設することにした。

見事なステンドグラス!中央円部分の四隅のリボンのような紋様が大阪市の市章である「みおつくし」になっています。

このリボン、実は大阪の市章「みおつくし」をモチーフにしたデザインなのだそう。

「みおつくし」とは、船の航路を示す目印として海に立てられた杭のことで、川が多いため水の都と言われた大阪市が、明治時代に市章として採用したものです。

扉の模様も描かれているように見えて、実は色の異なる木を模様に切り出しはめ込むという木工象嵌(もっこうぞうがん)という技法が用いられています。

このような技術者はもういないという。

このカーテンは建設当時の物を復元したもので、図柄は「四騎獅子狩文錦(しきししかりもんきん)」と言い法隆寺に伝わる国宝から取っているそうです!

四騎獅子狩文錦は1400年以上むかしササン朝ペルシャで流行した文様である。
この錦はササン朝ペルシャで製作されシルクロードを通って隋朝の中国にもたらされたかまたは中国でペルシャ人織工によって織られたかまたはペルシャ織を学んだ中国人染工、織工によって中国で製作されたのだろう。

いずれにせよ遣隋使小野妹子が日本に持ち帰り厩戸の皇子( 聖徳太子 )に献上した。

太子は行啓(ぎょうけい)の際、この錦を御旗とした。

隋、唐の文明も 西域の影響を受けていた。

この大理石の床には所々に化石も見られます。

なによりも一枚一枚タイルが敷き詰められているように見えますが、実は大きな石一枚に筋を入れて9枚のタイルに見えるよう細工されているそうです。

この部屋はツァーの対象外、何か催しの準備中。

地上3階地下1階建ての建築内部は階段部分のみ吹き抜けになっていて、手すりのレリーフなども凝ったデザインが施されています。

また地下一階展示室北側の階段脇には、創建当時、地中に打ち込まれた松杭も保存展示されています。

通常時のガイドツアーは要予約で月に5日ほど設定日があります。

コースは、特別室と展示室や地下一階の見所を案内してもらえる30分ほどのベーシックコース(500円)と、地下1階のレストランでのランチ付きスペシャルコース(2000円)の2種類。
どちらも公会堂オリジナルグッズのお土産付き。

大会議室の緞帳が廊下の壁に保存されている。

この緞帳は五代目で1968年公会堂の建設50周年記念に造られた。
そごう百貨店、日本生命によって寄贈された。

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間もなく一番きれいな時期を迎えます 大阪城梅園


間もなく暦の上では雨水、昔から農耕の準備を始める目安とされてきた。

大阪城梅園の花の期間は長く12月下旬から3月中旬まで。

梅園が一番きれいな時期は2月下旬~3月上旬とされる。

梅園は画像の右側、雁木坂を下ったところにあります。

梅林は「市正曲輪」という場所にあります。
豊臣時代に秀頼の後見人であった片桐市正(いちのかみ)且元の屋敷のあった場所。

江戸時代には城内警備に当たる大番職を助勢する加番職のための三つの屋敷(加番小屋)が南から順に立ち並んでいた場所でした。

しかし戊申戦争の折りに全て焼失しており残っていません。

梅は、大阪万博後に北野高校同窓会から22品種880本を寄贈されたことに始まります。
それも現在では100品種1270本を超える梅の数となり、様々な種類の梅が楽しめるスポットとなっています。

一重野梅(ヒトエヤバイ)

金獅子(キンジシ)

金獅子の名はその枝振りが唐獅子の頭髪に似ているところから付けられ たようです。

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