雨の日 十輪院を訪れる


予期せぬ雨になってしまった、久しぶりに十輪院を訪問。

本堂(国宝)
この建物は内部にある石仏龕を拝むための礼堂として建立された。
近世には灌頂堂とも呼ばれていた。

石造不動明王立像

鎌倉期の作、高さ205センチメートル、一部に彩色が残る。

ここには川島英五が眠る。

ハギはやや早いかな、雨に打たれている。

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畝傍山を借景に14万本のホテイアオイ


今年も国の特別史跡に指定されている本薬師寺跡周辺(橿原市城殿町)の休耕田に、約14,000株のホテイアオイが見られる。

西方に目をやれば名勝大和三山の一つである畝傍山がそびえ立っており、この山を背景にカメラを構える。

夕日とのコラボが楽しめる夕方がおすすめ。

ホテイアオイは葉柄(ようへい:茎の根元)の中央部がふくれ、これが浮き袋の役割をしています。

名前の由来は、この姿を七福神の一人「布袋様(ほていさま)」のお腹に例えたもの。

蕾(つぼみ)が朝の太陽の日ざしにより花開き、夜になると萎んで、翌朝にまた新しい蕾が花開きます。

特に日ざしが強い日は開花が多いようです。

その涼しげなすみれ色の花は、素朴な農村景観に艶やかな風情を醸し出す。

どこからともなくカモが飛来、目の前をスイーッと泳ぎ飛び去りました。

もしかすると散歩している黒い豚さんに会えるかも。

ヒガンバナとのコラボ、満開まであと少しか。
8月中旬にはハスとのコラボが楽しめる。

現在奈良市の西の京にある薬師寺(やくしじ)の前身にあたる寺です。

天武(てんむ)天皇が後の持統(じとう)天皇である皇后の病気平癒のため祈願して、天武9年(680年)に薬師如来を本尊とする寺の建立に着手。

完成しないうちに天武天皇が崩御したので、持統天皇がその遺志を継いで完成させました。

藤原宮が完成したのと同じ時代に建設されたので、藤原薬師寺とも呼ばれている。

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初秋の花々

秋の訪れを感じ、長居植物園に咲き誇る花を訪ねた。

スモークツリー、四季折々の変化が楽しく毎度取り上げている。

「ギボウシ」は擬宝珠(ぎぼうしゅ)の転訛であるが、これはこの植物のつぼみ、または包葉に包まれた若い花序が擬宝珠に似ることに由来する。

ギンボ(青森県)、タキナ(高知県)などの地方名がある。

風鈴ブッソウゲ

アフリカ・ザンジバル島あるいはケニアモンバサ付近原産の高さ1 – 3mの非耐寒性常緑低木であるブッソウゲの近縁種で、大型の5弁花には細く深い切れ込みがあり、後ろに反っている。

花柄は風鈴のように下に長く伸び、先端付近に筒状の雄蕊がついている。

ヒオウギは山野の草地や海岸に自生する多年草。

高さ60 – 120センチ・メートル程度。
葉は長く扇状に広がり、宮廷人が持つ檜扇に似ていることから命名されたとされる。
別名に烏扇(からすおうぎ)。

万葉名「ぬばたま」

「ぬばたまの夜さり来れば巻向の」(柿本人麿)

夜になってきたら近くの巻向川の川音が、とりわけ高くなってきた。山嵐が激しくなっているのだろうか。

フヨウ

7-10月始めにかけてピンクや白で直径10-15cm程度の花をつける。
朝咲いて夕方にはしぼむ1日花で、長期間にわたって毎日次々と開花する。

同属のムクゲと同時期に良く似た花をつけるが、直線的な枝を上方に伸ばすムクゲの樹形に対し、本種は多く枝分かれして横にこんもりと広がること、葉がムクゲより大きいこと、めしべの先端が曲がっていること、で容易に区別できる。

フヨウとムクゲは近縁であり接木も可能。

アメリカディエゴ

アメリカ原産と思いきや東南アジアらしい。

沖縄県を象徴する県花。

シコンノボタン(紫紺野牡丹、学名:Tibouchina urvilleana)は、ノボタン科ティボウキナ属(和名シコンノボタン属)の常緑低木。
別名スパイダーフラワー
中南米原産の常緑低木。

ブッドレアは長い円錐形の花穂が甘く香り、チョウが集まるため、英名では「バタフライブッシュ」と呼ばれている。

藤色を基本に、白や紫などの花色があり、ほかに葉に斑が入るもの、小型のものなど、数多くの園芸品種がある。

オミナエシ(女郎花 Patrinia scabiosifolia)は、合弁花類オミナエシ科オミナエシ属 の多年生植物。
秋の七草の一つ。
チメグサ、敗醤(はいしょう)ともいう。

秋の七草「萩の花尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花 女郎花 また藤袴 朝貌(あさがお)の花」山上憶良(万葉集・巻八 1538)

「手に取れば袖さへにほふ女郎花この白露に散らまく惜しも」不詳(万葉集・巻十 2115)

源氏物語では歌の言葉、前栽の花や襲色目の名として何箇所にも出てくる 「女郎花しほるゝ野辺をいづことて一夜ばかりの宿を借りけむ」(夕霧の巻)「霧ふかきあしたの原のをみなへし心をよせて見る人ぞ見る」(総角の巻)

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実りの秋

陽が傾く時間も少しずつ早くなり、朝夕の風に秋の気配を感じ始めるこの頃。
旬のおいしい食材が多く市場に出回る季節がまもなくやってきます。

「実りの秋」「食欲の秋」と言われるように、楽しみな季節の到来です。

長居植物園でも実りの秋を感じるこの頃です。

クリ

9月から10月頃に実が成熟すると自然にいがのある殻斗が裂開して中から堅い果実(堅果であり種子ではない)が1 – 3個ずつ現れる。

果実は単に「クリ(栗)」、または「クリノミ(栗の実)」と呼ばれ、普通は他のブナ科植物の果実であるドングリとは区別される(ただし、ブナ科植物の果実の総称はドングリであり、広義にはドングリに含まれるとも言える)。

また、毬状の殻斗に包まれていることからこの状態が毬果と呼ばれることもあるが、中にあるクリノミ自体が種子ではなく果実であるため誤りである。

香りの主成分はメチオナール(サツマイモの香りの主成分)とフラノン(他にはイチゴやパイナップルに含まれている)。

花梨 (かりん)

実はかなり固くて酸味が強く、そのままでは食べられないので、ハチミツ漬けやジャム、果実酒などに用いられる。

あへたちばな (万葉表記 阿部橘 )  クネンボ、ダイダイ、タチバナ、ユズなどのミカン科の植物の総称

我妹子に逢はず久しもうましもの安倍橘の苔生すまでに  作者不詳 巻17-2750

恋しい彼女に長いこと会っていない・・・。 あのおいしいあへ橘に苔が生えるくらい長い間。

あへたちばなを詠んだ歌はこの1首のみ。

カツラ(桂)

名前の由来・・・葉が香りを発することから、「香出(かづ)ら」が転訛したと言われている。
東北地方では、昔、この葉を集めて乾かして粉末にし、抹香をつくったので、別名「マッコノキ」と呼んだ。

果実・・・未熟な緑色のうちはミニバナナのような実をつける。
熟すと帯黒紫色になり2二つに裂け、先端に翼のある種子を出す。

ハナミズキは、1912年に東京がアメリカにソメイヨシノを贈った返礼として、1915年に日本に贈られたのが始まりとされています。

花が鮮やかで観賞用として街路樹や庭木に使われますが、果実が有毒で食用にはできず、葉の表面の毛も刺激性物質があるため触ると皮膚炎を起こしてしまうので注意が必要です。

小紫は紫式部を小さくしたものなのでこの名前になった。
 
小さいが、実のつきかたがいいので花屋さんでは紫式部より人気が高い。

カンレンボク

中国の中南部からチベットを原産とする落葉樹。
大正時代に日本へ渡来し街路樹や公園樹として使われる。

生薬としては「喜樹果」と呼ばれる。

楝(あふち)は、センダン科センダン属の落葉高木の栴檀(せんだん)の古名。
5~6月頃に薄紫色の花を咲かせます。秋に実がなります。

ちなみに、「栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より香(かんば)し」の栴檀(せんだん)は白檀(びゃくだん)の別名で、楝(あふち)とは別物です。

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ヒガンバナ見つけた 長居植物園


小池の渓流近く、早くも彼岸花が咲いています。

彼岸花の名は秋の彼岸ごろから開花することに由来する。

彼岸の入りには少し日にちがあるが、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように朝晩は秋を感じるこの頃です。

別の説には、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、というものもある。
別名の曼珠沙華は、法華経などの仏典に由来する。

『万葉集』にみえる「いちしの花」を彼岸花とする説もある(「路のべの壱師の花の灼然く人皆知りぬ我が恋妻は」、11・2480)。

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秋の気配 長居植物園

暑さがおさまるころと言われる 処暑 (しょしょ)8月23日も過ぎ、まもなく、しらつゆが草に宿るころといわれる白露 (はくろ)9月8日もちかい。
日中は相変わらずの酷暑、しかし朝夕は少し涼しくなり秋の気配を感じる。

秋を感じようと長居植物園に出かけた、大池を右手に見て時計回りに回るのがいつものパターン。

ここは定点観測の地点でもある、見た目秋を感じる風景ではなさそうだがカツラ、ハナミズキは実を着けており既に秋。

右側に見えるのはセンダンの大木。

実をたわわにつけている、この実が初春のころまで景観を楽しませてくれる。

珠に貫(ぬ)く 楝(あふち)を家に 植ゑたらば 山霍公鳥(やまほととぎす) 離(か)れず来むかも

         大伴宿禰書持(ふみもち) 万葉集 巻17ー3910

玉に貫く『あふち』を家に植えたら山ホトトギスはいつも来るでしょうか。

青く澄み渡った秋の空、万葉の小径のほとりのススキが秋を知らせる。

我が宿の尾花が上の白露を消たずて玉に貫くものにもが(万葉集 1572)

私の庭の尾花に付いている白露を、消さないで玉のように貫(ぬ)き通せたらよいのになあ

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ちいさい秋見つけた

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋・・・・

立秋は過ぎたと言え盛夏の真っ只中、秋恋いしと思ってしまう。

メタセコイヤの実を見つけた。

常緑樹であるセコイアに似た木の化石としてメタセコイアは発見された。

そこで発見者は、ギリシャ語で「後の・変わった(meta)」と「セコイア(Sequoia)」を合わせて名付けた。

冠雪したメタセコイヤ並木
このところの寒波で冠雪したマキノのメタセコイヤ並木。 マキノピックランドを縦貫す … 続きを読む →


クリがもうこんなに育っている。

日本において、クリは縄文時代初期から食用に利用されていた。

長野県上松町のお宮の裏森遺跡の竪穴式住居跡からは1万2900年前~1万2700年前のクリが出土し、乾燥用の可能性がある穴が開けられた実もあった。

縄文時代のクリは静岡県沼津市の遺跡でも見つかっているほか、青森県の三内丸山遺跡から出土したクリの実のDNA分析により、縄文時代には既にクリが栽培されていたことがわかっている。

桃栗三年、柿八年(梨の馬鹿めが十八年、もしくはユズの馬鹿野郎十八年、梅はすいすい十六年) – 種を植えてから実を収穫できるまでの期間を指すことわざ。

瓜食めば子等思ほゆ栗食めば況して偲ばゆいずくより来たりしものそ目交ひにもとな懸かりて安眠しなさぬ
         山上憶良  5・802 (子等を思ふ歌)

日本から1789年にヨーロッパへ、1870年に北アメリカへ伝わったことから学名にも kaki の名が使われている。

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すっかり冬支度の梅北 新・里山


木漏れ日の清々しい小径をたどっています、ここは梅北 新・里山。

兄弟分の「中自然の森」が紅葉見頃なのに対してこちらは木々の葉も落ちてしまって早くも冬支度。

コナラやクヌギなどの広葉樹は葉を落としてしまった。

ここで人間はもちろんのこと野鳥、昆虫や植物など、いろいろな生き物が関わりを持ちながらともに成長し、都市環境と自然の融和を目指している。

森の中にさりげなく、彫刻が置かれていました。
今は人工のものと分かりますが、時がたつと、聖霊になるのかも。

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大阪で一番最後まで紅葉が楽しめる 梅北中自然の森


訪れたのは12月20日、よそでは殆ど紅葉は終了していますがここ中自然の森はまだご覧の通りの見ごろ。

新梅田シティという大都会の中で、こんな森が広がっているのは意外と思う方も多いのでは。

ここには多くの人々が自然を模した環境を再構築しています。
それは花野、中自然の森、希望の壁の3つです。

あたかも鎮守の森であるかのようにこんもりと繁った中自然の森には、に約50種2,100本の樹木が育ち、その中には滝・せせらぎ川の流れ・池へと変化する水辺が造られています。

ここは蝶はいませんが、案内板にあるように、聖霊を感じる人もいるかもしれません。
それはともかく、都会の中で、花野とはまた違った雰囲気があります。

樹木の間を流れるせせらぎでは6月にはホタルが舞うなど水辺の生物が生息し、豊かな自然の営みが満ちあふれています。

そこの案内板には
いにしえの日本人が、森に神を感じたように、現代のわたしたちも未来都市、新梅田シティの中で、森の持つ聖霊や畏怖を感じたいものです。

(中略)これは現代の鎮守の森と言えます。(中略)この森は100年、200年と育っていくのです。」

この2つの庭は水路でつながって水が循環しています:列柱滝→渓流(中自然の森)→地下水路→噴水(銀河の泉)→運河(光のプロムナード)→花うず→地下水路→小川湧出口(まぼろしの泉)→花野のせせらぎ→地下水路→列柱滝。

そして夜ともなると付近では皆さんイルミネーションに夢中ですが、ここではご覧の通り紅葉のライトアップが楽しめます。

向こうにイルミネーションが見えていますが喧騒の渦です。

喧騒のすぐ傍にこんな静寂な環境があるて・・・・・

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古墳の町 上中まで歩く


昨夜のトラフグの宴会が尾を引いています。

全員昼食はいらない!!と 時間が余ってしまい結局バス停二つ分歩くはめに。

前方の山は冠雪しています、越前方面の山か。

天気も良くいい景色を眺めながら・・・

柿の実ひとつ。

こちらは吊るし柿、田舎の風情だ。

ピラカンサもきれい。

上中駅は相対式ホーム2面2線で交換設備を有する地上駅。
敦賀地域鉄道部が管理し、自治体が窓口業務を受託する簡易委託駅でありながら、みどりの窓口(営業時間7:00 – 18:00)も設置されている(e5489サービスによるきっぷの受け取りは不可)。

窓口は上りホーム側に面した南口側に設けられている。
駅舎は2005年(平成17年)3月3日に改築された。

福井県内の駅では最初にエレベーターが設置された駅(その約1ヵ月半後、福井駅には高架化工事完成と同時にエレベーターのほか、福井県内の駅では初のエスカレーターも設置された)。

JRバスはここから山中に分け入り、熊川宿を経て近江今津に至る。

ここ上中は古墳の町。

若狭(上中地域)の古墳と継体大王の擁立

5世紀後半の西塚古墳(福井県若狭町)からは金製の耳飾や金銅製の馬具が出土しているが、特に大加耶地域を中心に、ヤマト政権を介した外交によりもたらされた遺物と考えられている。
 
それが、5世紀末から6世紀前葉にかけての「十善の森古墳」(福井県若狭町)築造の時期には、金銅製の冠帽やガラス玉など百済産と考えられる遺物が出土するようになる。

この時期がまさに継体大王擁立の時期、つまりヤマト政権の不調和の時期に相当し、遺物の内容からも若狭の豪族が独自に朝鮮半島との交流をもった可能性が高いと考えられる。
 
さらに、継体朝から欽明朝にかけては再びヤマト政権の中央集権体制が強化される時期である。

若狭においては、6世紀中葉から首長墓が前方後円墳から円墳にいち早く変化している。

ここからの出土品は、画文帯神獣鏡や馬具など、全国的に見られるものとなっており、ヤマト政権の介入を古墳の形態と出土遺物からも読み取ることができる。
 
今城塚古墳(大阪府高槻市)に近い梶原1号墳からは、剣菱形の馬具が発見されており、十善の森古墳や丸山塚古墳(ともに福井県若狭町)からも類似したものが発見されている。

また、6世紀前半から中頃に築造された、下船塚古墳(福井県若狭町)などの埴輪は、尾張地方の古墳と類似しており、継体朝との関連が推測されている。

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