初夏の咲くやこの花館③


今日は高山植物を紹介しよう。

ウコンユリってご覧になったことがありますか?

日本ではほとんど見ることのできないヒマラヤを代表する風変わりなユリです。

花弁の色が珍しく二色。

ヒマラヤ、チベット、ミャンマーの標高3000メートルあたりで湿った上昇気流にさらされた尾根筋やカシ林帯上部の崖地に咲くそうです。

これでは現地に行ってもたやすくは見られないのかもしれません!

エーデルワイス(〈ドイツ〉Edelweiß)

キク科の多年草。ヨーロッパ‐アルプスやヒマラヤ山脈など高山に自生。
高さ10~30センチ。

全体が白い毛で覆われ、葉は細いへら形。
夏、茎の頂に葉を星形につけ、その間に花が集まってつく。

日本には近縁種のヒメウスユキソウ・ハヤチネウスユキソウなどが自生。

コマクサ

美しい花と、常に砂礫が動き、他の植物が生育できないような厳しい環境に生育することから「高山植物の女王」と呼ばれている。

和名はその花の形が馬(駒)の顔に似ていることに由来する。

学名の種小名「peregrina」は、「外来の」を意味する。

命名者Makinoは、日本の植物学者の牧野富太郎。

クルマユリ

白色の鱗茎は球形で、直径約2 cm。
茎の高さは30-100 cm。
花の大きさは5-6 cm、茎の上部に1-数個が互生する。

6枚の花被片はオレンジ色で、濃紅色の斑点がある。
花粉は赤褐色。
花期は7-8月。

メコノプシス

西ヨーロッパと中央アジア、ヒマラヤの高山地帯(パキスタン、インド北部、ネパール、ブータン、中国のチベット自治区)、ミャンマー北部及び中国横断山脈(青海省、甘粛省、四川省、雲南省)という隔離分布をする一年生もしくは多年生の草本植物であり、50種近くが知られている。

日本においては幾つかの植物園で本属の花(主にベトニキフォリアとグランディス)を見ることができ、特に大阪市にある咲くやこの花館では、2007年現在一年を通していつでも花を見ることができる。

モミジカラマツ

キンポウゲ科モミジカラマツ属の宿根性多年草。高山植物。北海道から中部地方以北の高山帯の湿り気のある場所に生える。

高さは40-60cm。花期は7-8月。
根本から高く伸び上がる花茎を出し、その先に散房花序の直径1cmほどの白色の花を多数つける。

花弁はなく、目立つ白いものは雄しべである。

花の形が近縁種のカラマツソウに非常によく似ているが、葉の形がモミジ様になることから区別ができる。

名前は、花がカラマツの葉の付き方に似ていること、葉がモミジの葉に似ていることから付けられた。

レブンソウ

北海道礼文島の固有種。
礼文島の桃岩展望台や桃岩歩道などで見られる。

草丈は10〜25cm。1本の花柄に数個〜十数個の紫色の花を上向きに咲かせる。
花期は6〜7月。和名の由来は、礼文島でのみ見られるので。

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八幡堀雨中散策


近江八幡市は、豊臣秀次が築いた城下町を基礎として、近世は商業都市として発展した。
いわゆる近江商人の発祥の地。

今日は雨、赤いポストの似合う通り、雨もお似合い。

近世の風情がよく残る新町通り、八幡山もガスに煙る。

この辺りからは八幡城跡もよく見える。

橋の上の人はボランティアのエキストラ。

「時代劇の似合うまち近江八幡」をアピールしようと、近江八幡観光物産協会が春と秋に行っている催しで今回が11回目。

こちらにもさりげなく街の風景に溶け込んでいる。

日牟禮八幡宮、伝承によれば、131年、成務天皇が高穴穂の宮に即位の時、武内宿禰に命じてこの地に大嶋大神を祀ったのが草創とされている。

691年、藤原不比等が参拝し、詠んだ和歌に因んで比牟禮社と改められたと云われる(「天降りの 神の誕生の八幡かも ひむれの杜に なびく白雲」)。

ここにもボランティア侍。

黄菖蒲は近江八幡の顔、雨によく似あっている。

建造当初から、堀には「背割り」と呼ばれる排水路による下水システムがあり、堀に溜まった汚泥は、船の運航にさしさわる前に随時浚渫され、近隣の田畑の肥料として使われていた。

また、その田の粘土を使って八幡瓦が作られていた。

ヴォーリズは、近江八幡名誉市民第一号、女の子が名誉市民のお祝いの花束を渡している情景を像にしています。

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司馬遼太郎記念館 バラが見頃


司馬遼太郎記念館の玄関脇のバラが見頃を迎えています。






緑もきれい。


通路のシャクナゲも咲き誇っている。

ミヤコワスレも素敵です。

猫は日向で昼寝。

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梅宮大社は花盛り


全国の梅宮神社の総本社。
式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社で、旧社格は官幣中社。

現在は神社本庁に属さない単立神社。
旧称は「梅宮神社」。神紋は「橘」。

四姓(源平藤橘)の1つの橘氏の氏神として知られる神社。

元々は奈良時代に南方の綴喜郡井手町付近に創祀されたといわれ、のち平安時代前期に橘嘉智子(檀林皇后)によって現在地に遷座したとされる。

社務所の周りは猫だらけ。
気持ちよさそうに昼寝。

神苑はつつじが盛り。

アヤメも咲く。


少しピンクがかったつつじ。

キリシマつつじがきれい。

白い大輪のつつじ。

色とりどりに咲き乱れる。

この見事な神苑に参拝者は数名、誠にもったいない。

緑もきれい。

なんじゃもんじゃの木(一葉たご(ひとつばたご))

明治時代、東京の青山練兵場(今の明治神宮外苑)の道路沿いにこのなんじゃもんじゃの木があり、名前がわからなかったので「何の木じゃ?」とか呼ばれているうちにいつのまにか「なんじゃもんじゃ?」という変わった名前になってしまった♪

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遅かりし松尾大社のヤマブキ

今年は花の盛りがあまりにも早くついつい時機を逸してしまう。

この垂れ下がっているのが、脇勧請です。

脇勧請は、榊の小枝を束ねたものです。
榊の束は、十二(閏年は十三)あります。

月々の農作物の出来具合を占った太古の風俗を、伝えていると言われています。

注意して見ないと、鳥居に、脇勧請がぶら下がっているとは、気づかないでしょう。

松尾山の神使が亀である事から、境内の至る所に亀の像があります。

もともと松尾大社周辺はヤマブキの自生地だったが、宅地開発などのため昭和30年代半ばから境内に移しかえたという。

境内を流れる一ノ井川沿いを中心に、花びらが5枚の「一重」と、花びらが重なり合い華やかな印象の「八重」の2品種が楽しめる。

今年は例年と比べ10日以上早く開花した。
担当者は「こんなに早く開花するのは初めてと。

中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社である。

平安期に始まったと伝わる神輿の巡行は有名。
松尾大社神幸祭 おいで
神輿の巡行は平安期に始まったと伝わる。 「松尾七社」の神輿と唐櫃(からびつ)が氏 … 続きを読む →

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中之島公園のバラ 咲きはじめ

バラはまだかいなと、はやる気持ちを抑えきれずバラ園を訪れたがまだまだ蕾で、咲いているものを捜し歩かなければならない状態だ。

ホワイト セシル ブリュネ
花色は、クリームがかった白色。

花形は剣弁で、ポンポン咲きになり、小さな花をたくさんつけます。

ティー系のさわやかな香りがある。

ミセス チャールズ ランプロウ

数々の白ばらの名花を生み出してきたハイブリッド・パーペチュアル種「フラウ カール ドルシュキー」の子供。

自身もグレイパールなどの名花を誕生させていて、歴史的にも重要な立ち位置にいます。

花は上品なクリーム黄色、カップ状の花から半剣弁抱え咲きの花へと咲き進んでいきます。
ティー香があります。

荒城の月

花色は明るい黄色で、つる性・大輪の剣弁高芯咲き。
花付きが良く繰り返しよく咲くため、長い間楽しめる品種。

メアリー マグダレン

イングリッシュローズの中でも特に好きという愛好家が多い『メアリー マグダレン』

花の咲き初めから、刻々とその表情を変えて楽しませてくれる薔薇。
「定点カメラ」になってじっとその様子を見ていたい...

そんな気持ちにさせてくれる メアリー マグダレン。

スパニッシュ ビューティー

ピンクのつるばらの名花、弁端が大きく波打つ、優雅な花と「シャトー ド クロブージョ」譲りの甘美な香りにいつも魅了されます。

枝数が少なめである欠点はあるものの、比較的早咲きで、伸長は良く、窓廻りやパーゴラなどに素晴らしい植栽効果を発揮します。

ブライダルピンク

銘板の撮影を間違えたかな。

オールド ブラッシュ

四季咲きバラ誕生に大きく貢献した品種で60日に一度は咲く「庚申(コウシン)」の名の由来ともなりました。
実際には60日よりも速いペースで咲き続けます。

最良の花壇用品種でもあり、秋の花はローズ色がかる微妙なタッチで、なお一層美しい。

銘板の撮影を忘れてしまった、かわいい花色です。

同じ思いの人がいるようで、まだもう少し先だねと言葉を交わしながらの撮影でした。

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春本番 自宅の庭では


自宅の庭では今年もクレマチスが咲き誇っています。

クレマチスには大きく分けて、つるを残し越冬する旧枝咲き(モンタナ系、パテンス系など)や新旧両枝咲き(フロリダ系、ラヌギノーサ系など)と地上部が枯れ翌年に新枝を伸ばす新枝咲き(ビチセラ系、ジャックマニー系など)がある。

花びらの枚数が6枚のものは「鉄線」(てっせん)、8枚のものは風車」(かざぐるま)と呼ばれるようだ。
「クレマチス」はこの2つの総称。

「鉄線」は、つるが細くて丈夫で針金のようであることから。中国原産。
「風車」は花の形から。日本原産。

我が家のは花びらが8枚あります。

花言葉は「精神的な美しさ、旅人の喜び」

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ヤマボウシとかわいい子供の石像たち


新緑のきれいなな季節、河内長野の興禅寺を訪れた。

境内には大きな蓮池があり、千年以上前から咲き続けているという斑蓮が有名。
現在では全国に数箇所しかない珍しい種類のもの。

行基が開いたとされる曹洞宗の寺院。
蓮池の周りをぐるりと囲んで並ぶ多数の羅漢像も圧巻、静かにお顔を拝見していると、なにやら話し声が聴こえてきそうな気配。

門を入ると慈母観世音菩薩とかわいい子供の石像たちのお出迎え。


優しい光の中、かわいい子供の石像たち。

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斜め一文字 天橋立

北側の傘松公園からの天橋立の眺めは名前のとおり斜め一文字に見える景観から斜め一文字と呼ばれる。
日本三景の一つ。

天橋立は、宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔て、全長3.6キロメートル及ぶ湾口砂州。

形成についての詳細には諸説ある。

2万年前に宮津湾が完全陸地化して後、約7〜8千年前に氷河期が終わって海面上昇が落ち着くなか当初水中堆積で発達が始まり、縄文時代の後氷期(完新世、約6千年前)に急速に成長し、2〜3千年前に地震により大量に流出した土砂により海上に姿をみせ、有史時代に現在の姿にまで成長したとされる。

この松は、人の手により植林されたものではなく、大部分が自然発生的に生えたもの。

天然の道ともいえる天橋立には、「日本の道100選」にも選定された京都府道天の橋立線が走っており、主に観光の散策路となっている。

遠く見えるのが冠島(かんむりじま)、別名を、大島、雄島、常世島(とこよじま)、竜宮島ともいう。

舞鶴市成生岬の北北西方、約10キロメートル沖の日本海にある無人島で、1924年(大正13年)にオオミズナギドリ繁殖地として、島全体が国の天然記念物に指定されている。

島自体は、安山岩を主に火山性の岩石で、周囲のほとんどが切り立った崖になっており、タブノキなどの常緑広葉樹の原生林で覆われている。
また、島周囲の海底の一部には弥生時代に創られたといわれる遺跡のようなものの人工的痕跡があるが、その詳細ははっきりしない。

元伊勢の一社で「元伊勢籠神社」とも称し、また「元伊勢根本宮」「内宮元宮」「籠守大権現」「籠宮大明神」とも称する。
現在まで海部氏が神職を担当している。丹後国総社は不詳だが、当社が総社を兼ねたとする説がある。

主祭神
彦火明命 (ひこほあかりのみこと) 「天火明命」、「天照御魂神」、「天照国照彦火明命」、「饒速日命」ともいうとする。
社家海部氏の祖神。

社伝によれば、現在伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神は、神代は「真名井原」の地(現在の奥宮真名井神社)に鎮座したという。

その地は「匏宮(よさのみや、与佐宮/吉佐宮/与謝宮)」と呼ばれたとし、天照大神が4年間営んだ元伊勢の「吉佐宮」にあたるとしている。

そして白鳳11年(671年)彦火明命から26代目の海部伍佰道(いほじ)が、祭神が籠に乗って雪の中に現れたという伝承に基づいて社名を「籠宮(このみや)」と改め、彦火火出見尊を祀ったという。

その後養老3年(719年)、真名井原から現在地に遷座し、27代海部愛志(えし)が主祭神を海部氏祖の彦火明命に改め、豊受・天照両神を相殿に祀り天水分神も合わせ祀ったと伝える。

境内に咲くつつじがきれいです。

つぼみもかわいい。

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桜咲く 出石城址


谷山川に架かる登城橋から登城。

今年の桜の見納めとなった出石城址の桜。

出石城の代名詞の感のある本丸西隅櫓。

稲荷郭の高石垣はすばらしい、この時期緑がきれいです。

東隅櫓。

出石城には天守はなく、櫓が四基上げられていた。
そのうち本丸西隅櫓と東隅櫓が現在復興されている。

感応殿は明治時代に仙石氏の旧臣が建立。

祀り神は幕末に藩主であった仙石氏の祖、仙石秀久公。

1604年(慶長9)、小出吉英により有子山城の山上の丸および天守部分が廃され、有子山城山麓の郭および館のみを出石城と命名し幕府に居城として届けた。

それにともない平地に、堀で囲まれた三の丸が築かれ、下郭、二の丸、本丸、稲荷丸が階段状に築かれた。

城主の居館も成り、このとき城下町も整備され、出石の町並みが形成された。

山上の旧有子山城天守は城割は行われなかったが幕府を憚り荒れるに任されたため樹木が生い茂り一見したところ山林となった。
なお、一国一城令により、但馬守護山名氏以来の出石城が但馬国唯一の城郭となっている。

江戸時代は、出石藩の藩庁となり、小出英及が1696年(元禄9)3歳で死去すると小出氏は無嗣改易となった。

代わって松平(藤井)忠周が入城。
1706年(宝永3)忠周が転封となると、仙石政明が入城し、廃藩置県まで仙石氏の居城となった。

江戸末期には仙石騒動がおこっている。

明治時代になり、廃城令で出石城も取り壊されたが、辰鼓楼、堀、石垣などが現存、また隅櫓、登城門・登城橋などが復元され、堀の周囲一帯は登城橋河川公園として整備されて、観光地となっている。

2017年(平成29年)4月6日、有子山城とともに続日本100名城(162番)に選定された。

三の丸には、藩主 の居宅と政務の場所を兼ねた対面所と呼ばれる建物や上級武士の屋敷が 構えられ、周囲を内堀で囲まれていた。

辰鼓楼は、明治4年(1871)旧三の丸大手 門脇の櫓台に建設された。

明治14年 に医師、池口忠恕氏が大時計を寄贈してからは、時計台として親しまれ、今では3代目 の時計が時を刻み続けている。

駐車場より本丸西隅櫓を望む。
緑に包まれ美しい姿を見せる。

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