修景古墳 紀伊風土記の丘


総面積は65ヘクタール。

その広大な敷地全体が博物館施設となっている。

国の特別史跡に指定されている約400基の古墳群、復元した竪穴式住居、移築した江戸時代の古民家集落(重要文化財2件を含む)、資料館および万葉植物園などで構成される。

紀伊風土記の丘資料館から南西に花木園が位置する、途中に万葉植物園がある。

勢能山に 黄葉常敷く 神岡の 山の黄葉は 今日か散るらむ (巻9-1676)

花木園は、生活環境保全林として整備されたもので、その中央部あたり、墳丘に芝を張った4基の古墳がある。

古墳は、標高30mから37mに位置し、それぞれが古墳時代後期に造られた円墳である。

斜面上方から順に前山B花木園地区1・2・4・3号墳と呼び、昭和50年(1975)度に発掘調査が実施された。

現在は、調査成果をもとに復元修復されたものである。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

復元竪穴住居 紀伊風土記の丘


復元した古墳時代の竪穴住居。

和歌山市音浦遺跡で発掘調査された古墳時代の竪穴住居をモデルにして平成8年度に復元したもの。

内部の床面積は正面4.5m、奥行き5.2m で、23.4 ㎡ の広さがあり、畳に換算すると 14 畳ほどの広さとなります。

この時代の竪穴住居には床、窓、天井などがなく、すべてこのひと部屋で住んでいました。

こも編み機

原理は、木でできたおもり(「つちのこ」呼ぶ)で固定しながら編んでいきます。

弥生時代の前期には鋤や鍬も刃先まで木製であったが、中期以降、先端に鉄の刃先を装着するものが出現。

収穫具も中期後半から後期になると石包丁など穂先を摘み取って収穫するものから、根元を刈る鎌に変化していった。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

旧谷村家住宅 紀伊風土記の丘


旧谷村家住宅は、和歌山県の中部、有田川町粟生(あお)にあった茅葺きの農家住宅。

粟生地区は有田川の中流域にあり、林業のほか古くはシュロやハゼの生産などを行っていた地域です。

玄関を入ると、奥まで仕切りのない広い土間となっており、手前には地下にイモアナがあり、唐臼が据えられ、奥に三連のカマドが設けられています。

主屋の建立年代は不明ですが、言い伝えや建築手法から18世紀後期と推定されます。


苗籠

籠目編みで円形に浅く編まれ、針金で縁を留めている箇所もある。

苗籠とは苗代から代掻きの済んだ田へ苗を運搬する用具で、本来は2個1組として担棒で前後に担ぐもの。

「イモ穴」

「食事に必要な分を取り出したり、種芋として使ったりして先祖代々使い続けている。
冬場の生活に欠かせない」

山間部でよく利用されていたが、生活習慣の変化で次第に姿を消した。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

旧小早川家住宅 紀伊風土記の丘


旧小早川家住宅は、和歌山県中部の日高川町(旧中津村)三佐にあった伝統的な茅葺き民家で、建築に二間取りという古い形式を残している貴重な住宅です。

移築復元された主屋は、その形式から今から250年程前の18世紀後半に建てられたと考えられます。

桁行三間半、梁間三間強の小規模な建物で、入口を入ると土間(ニワ)が広がります。

左側には、板の間のオモテやナンドと呼ばれる部屋が並び土間側は建具が無く開放的になっています。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

紀伊風土記の丘資料館


和歌山県立紀伊風土記の丘は、国の特別史跡「岩橋(いわせ)千塚古墳群」の保全と公開を目的として1971年8月に開館した、考古資料・民俗資料を中心とした県立の博物館施設(登録博物館)です。

郷土出身の実業家松下幸之助の寄付により建てられた。

和歌山市郊外の丘陵地(標高150m)にあり、総面積は65ヘクタール。
その広大な敷地全体が博物館施設となっている。

国の特別史跡に指定されている約400基の古墳群、復元した竪穴式住居、移築した江戸時代の古民家集落(重要文化財2件を含む)、資料館および万葉植物園などで構成される。

古墳時代のクスノキの巨木

平成23年9月の台風12号にともなう豪雨によって、紀ノ川の川底に沈んでいたとみられる木の枝が川面に姿を現しました。
 
クレーンによって引き上げられたその木の正体は高さ約7m、直径約4m、重さ推定40tの巨大なクスノキでした。
 
「放射性炭素14年代測定法」という自然科学的な年代決定法によると、この巨木が西暦700年ごろに生命活動を終えたことが判明しました。その年輪からは樹齢がおよそ350年と推定されましたが、どのような経緯でこの大木が川底に沈んだのかは分かりません。

クスノキの巨木の枝の部分。

特別史跡岩橋千塚古墳群の大日山35号墳で頭部の両側に顔がある埴輪が出土しました。

顔がふたつある理由は評価が難しく、現段階では謎の埴輪としかいえません。

この古墳では、翼を広げた鳥形埴輪やころく形埴輪など全国で初めての埴輪が見つかっています。

古墳時代の鳥形埴輪は数多くみつかっていますが、このように翼を広げてた鳥形埴輪は、全国的にみても珍しいものです。

頭とくちばしの形状から、この鳥をタカとする見方があります。

阪和自動車道和歌山インターチェンジ(IC)に近い、国特別史跡・岩橋(いわせ)千塚古墳群内の大日山35号墳(6世紀前半)から出土。

ころく(胡+たけかんむりに録)とは、馬に乗って矢を射るときに腰のあたりにさげていた「矢入れ具」で、矢羽根を上に向けて入れる特徴があります。

この埴輪は、逆台形をしたころく形の部分に円筒形の基部を取り付けた形状をしており、復元高約96cm(残存90.0cm)、復元横幅約39cm(残存37.8cm)の大きさがあります。

ころく形埴輪の発見は、古墳時代の武具の研究や朝鮮半島との交流、紀伊の地域性などを考える上で、非常に貴重な研究資料といえます。

大日山35号墳のほか、和歌山県北部を中心に分布している全国的にはめずらしい埴輪です。

大日山35号墳は6世紀前半の和歌山県で最大の古墳(墳長約86m、基壇を含めた総長約105m)であり、古代豪族「紀氏」の首長墓と考えられている前方後円墳です。

馬型埴輪

大日山35号墳(和歌山市)
古墳時代後期 6世紀

埋蔵人骨

鳴神貝塚(和歌山市) 縄文時代

韓式系土器

鳴神地区遺跡群(和歌山市)

古墳時代中期 5世紀

備前焼 大甕

根来寺遺跡(岩出市) 中世

石敷き製塩炉

和歌山市の西庄遺跡から発見された、古墳時代の製塩炉を移築したもの。

1.8mX2.3mの範囲に、砂岩系の川原石を規則的に敷いて作られたもので(石敷き製塩炉)、製塩時に熱を受けたために石の表面が赤く変色したものがあります。

製塩土器は、粘土の紐を手のひらで巻き上げ、貝殻などで形を整えたて作られたうすでの土器で西庄遺跡からは非常に多くの製塩土器が出土しています。

和歌山県には、100遺跡以上の製塩と漁撈をなりわいとした集落が存在する。

農業を中心に生活する人々とは異なる文化を持ち、製塩のための土器や鹿角で作った釣り針などが出土する。

代表的な遺跡として、西庄遺跡(和歌山市)・磯間岩陰遺跡(田辺市)がある。

紀伊風土記の丘には市民の皆さんの作品が沢山展示されている。

これは女性の埴輪で非常にユニークなものです。

これは何でしょう、狐のように見えますが、少し恐ろしい感じがします。

資料館の入り口近くに置いてあったものですが、客を迎えているかのような形をしています。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

シーズンオフの磯ノ浦


磯ノ浦は遠浅で昔からの自然の砂浜が残り、海水浴シーズンには紀北では片男波と人気を二分する海水浴場。

京阪神間では最も近いサーフィンのできる海水浴場としもて知られる。

万葉集に「磯の浦に 来寄る白波かへりつつ 過ぎかてなくは 誰にたゆたへ」と歌われています。

パーキングの看板、いかにも書き足した感じが面白い。    

レンタルボードのお店、シーズンオフはほとんど閉店。
4月ごろ開店予定とか。

海水浴客目当ての食堂も当然閉まっている。

この浜でウミガメの産卵があったとか。

マリーナに無造作に積まれたボート、シーズンまでこのままかな。

廃屋が結構多い。

作品つくりにはもってこいの材料になる。


関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

磯ノ浦 波とたわむれる


京阪神間では最も近いサーフィンのできる海水浴場として知られている。
大阪からの海水浴場客の間では「イソコ」と呼ばれている。

地元民はそのまま「いそのうら」と呼ぶ。
新日鐵住金の和歌山製鐵所近くに位置する。

この日は波も穏やかでこんな日は浜には人っ子一人としていない。

波の作り上げた芸術を一つ一つカメラにおさめる。

波のひいた後の砂浜にはきれいな芸術作品が現れる。

角度を変えると様々に変化する。

何の変哲もない浜だが国際的にもサーファーの間では有名らしい。

ヨットハーバーには国際色豊かな人たちが集まっている。

浜は西に向かって開いており夕日がとてもきれいだ。
いつか撮りに来たいと思った。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

加太の街


和歌山市駅から終点加太駅までは、南海線の”加太さかな線”に乗ります。
ここでおすすめなのが、ピンクの車体が可愛らしい「めでたいでんしゃ」。

石垣にも「めでたいでんしゃ」の文字が。

加太は、和歌山市の北西にある港町。水質のよい紀淡海峡の好漁場に恵まれ、鯛の一本吊りなど、魚釣りのメッカでもあります。

和歌山県と大阪府の県境にほど近い場所に位置する加太(かだ)は、古い建物や史跡が残る歴史ある港町です。

今回は、南海加太線の終着駅である「加太駅」から徒歩で海岸を目指し、お寺巡りやグルメを楽しむ小旅行へ。

和歌山を代表する緑色片岩(通称=青石)。

街中は古い建物のオンパレード。

古い趣のあるお店が沢山あります。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

淡嶋神社


淡嶋神社は、人形供養で有名な神社。
全国に1000社もある「淡嶋系統」の総本社となっています。

全国で行われているひな流しの原型は、加太の淡嶋神社だと言われています。

三月三日は、朝から神社のなかは人々の熱気でむせかえります。

それぞれの思いや願いと共に、関西はもとより日本全国から境内に女性たちが集まってきます。

そして、日が高くのぼった正午、ひな流しの神事がおごそかに始まります。
当日は境内はもちろん港までの狭い道も人で埋め尽くされます。

雛祭りの起源は、中国から伝わった厄払いの儀式とされていますが、淡島神社では全国から奉納された雛人形や形代を海に流し供養を行っています。

午後から神事が行われ、3艘の船に乗せられた人形達が海に流されます。
なお、流された人形はその後回収されお焚き上げがなされ供養されます。

針供養の神社としても有名で、同神社境内には針塚が建てられており毎年2月ごろに全国から集められた針を供養する。

近年では縫い物をする機会が少なくなっていることから、供養に奉納される針の数も減っているという。

淡嶋神社で針供養
流し雛で有名な加太の淡嶋神社で8日、針供養が行われた。 この日は朝から多くの女性 … 続きを読む →

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

関西一の早咲き桜 紀三井寺


JR紀三井寺駅方向から名草山(なくさやま、228.6メートル)を望む、山桜がきれいです。

寺域は紀ノ川河口平野の南部にある名草山の中腹にあって、境内から和歌浦湾を一望のもとに収める。

竹の青とと桜、そして空がきれい。

寺号は詳しくは紀三井山金剛宝寺護国院と称し、宗教法人としての公称は「護国院」であるが、古くから「紀三井寺」の名で知られる。

仏殿から北を眺める。

山内に涌く三井水(さんせいすい:吉祥水・清浄水・楊柳水)は紀三井寺の名の由来とされ、いずれも水源には慶安3年(1650年)の年記とそれぞれの名水の名を刻銘した砂岩製の水槽がある。

楼門からの231段の急な石段は結縁坂と呼ばれている。

豪商紀ノ国屋文左衛門は若いころ貧しいが孝心篤い青年でした。

ある日母を背負って紀三井寺の表坂を上り観音様にお参りしましたが草履の鼻緒が切れてしまいました。

困っていた文左衛門の鼻緒をすげ替えてくれたのは和歌浦湾にある玉津神社の宮司の娘おかよさんでした。

これがきっかけで二人に恋が芽生え結ばれました。
その後文左衛門は宮司の出資金によって船を仕立てミカンと材木を江戸へ送って大儲けしたのです。
紀ノ国屋文左衛門の結婚と出世のきっかけとなった紀三井寺の表坂はそれ以来結縁坂と呼ばれるようになったそうです。

護国院楼門(重要文化財)、本来はこちらが正門 – 参道正面、境内への入口に建つ楼門。

室町時代中期の建立、三間一層入母屋造。
寺伝では永正6年(1509年)に建立、永禄2年(1559年)に加修。下階中央間は開放で扉がなく、正面両脇間に仁王像を安置している。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!